[32]お久し振りです
あたしとヤナギさんはだだっ広い原っぱに出た。春の日差しがあたたかい、のどかな場所。
「ここ……」
そういえば、あたしはノギおにいちゃんの家の外観を知らない。気を失った状態で運び込まれて、出て行く時はリビングから飛んだんだから。ただ漠然と、森のそばだってことしか知らなかった。
赤い屋根の可愛らしい一軒家。木製の柵で囲まれたその家が、ノギおにいちゃんの家なんだろう。
あたしはそこへ向かって駆け出した。けど、その柵の中に踏み入るか踏み入らないかのところで、慌ててついて来たヤナギさんに首根っこをつかまれてしまった。
文句を言おうとしたけど、ヤナギさんが何故あたしを引き戻したのかがすぐにわかった。さっきまであたしがいた場所に思い切りよくバケツの水を放水したノギおにいちゃんが、バケツを担ぎ直してから言った。
「なんだ、お前か」
「ななな、何? 危うくかかるところだったよ!?」
「ああ、かけるつもりだった」
「ええ!」
「不法侵入だ」
「……相変わらずだな、お前は」
と、ヤナギさんが疲れた様子でぼやいている。そんなヤナギさんを見て、ノギおにいちゃんは片眉を跳ね上げた。
「なんだ? ハトリに会いに来たのか?」
「私がではなく、彼女がな」
ノギおにいちゃんは納得してくれたみたいだった。ああってつぶやいた。
「ハトリのヤツ、あれから結構気にして会いに行ってたんだけどな」
「うん、この服を届けてくれたからわかったよ。キリュウがイジワルで会わせてくれなかったけど!」
苛立ちを込めて言うと、さすがにノギおにいちゃんも少し驚いていた。
ヤナギさんは、そんなノギおにいちゃんにぼそりと言う。
「すまないが、彼女が落ち着くまで少し預かってもらえないか?」
「はぁ?」
「少々情緒不安定でな」
情緒不安定になったのは、誰のせいだと思ってるの!?
あたしはキッとヤナギさんを睨んだ。
「あたしが悪いんじゃないもん。ぜーんぶキリュウが悪いの!!」
それだけは間違いない。絶対に間違いない。
「放っておくと何をするかわからないので、それくらいならハトリに託そうかと」
「何を勝手なこと言ってやがる」
ノギおにいちゃんは呆れたみたい。
「キリュウはなんて言ってんだよ?」
「……」
途端に黙るヤナギさん。答えようがないよね。
だからあたしは二人の会話に割って入った。
「あんなワガママ坊ちゃんの話はいいの! ハトリおねえちゃんは中? お邪魔しまーす!」
ノギおにいちゃんをすり抜けて中へ入ろうとするあたしに、ノギおにいちゃんは思わずといった風な口調でぼやいた。
「お前、相当図太いな」
失礼な話だ。
「こんにちはー! ハトリおねえちゃん?」
あたしが玄関先で声を張り上げると、ハトリおねえちゃんがパタパタと軽やかに駆けて来た。相変わらず美人で、ヒラヒラのスカートが可愛い。
「フゥちゃん!?」
最初にここへ来て以来だもん。何年も経ってるわけじゃないけど、すごく懐かしいような気分になった。
「お久し振りです」
あたしが笑うと、ハトリおねえちゃんはほっとしたような顔をした。
「大丈夫だった? 寂しい思いをしていないといいなって、心配だったの」
寂しい……。
家族に会えない寂しさは常にあるけれど、人の心に土足で入り込んで来るヤツがいたから。
あ、思い出したら腹が立って来た。
あたしはハトリおねえちゃんに抱き付いて訴える。
「いっぱい聞いてほしいことがあるの! あたし、誰かに話さないとおかしくなりそうで!」
ふえぇ、と泣き真似――らしきことをして甘えてみると、ハトリおねえちゃんはあたしの頭をよしよしと撫でてくれた。やっぱり優しい。いい匂いがする。
あたしはちょっとだけ落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、向こうで話しましょう。ノギにも聞かれたくないでしょ?」
「うん」
ハトリおねえちゃんはあたしを自分の部屋に連れて行ってくれた。あたしが目覚めたあの部屋だ。
二人してベッドに腰かける。そうして、あたしは城に行ってからのことを全部ハトリおねえちゃん相手にぶちまけるのだった。
キリュウは、皇帝である自分の好みを利用しようとする人間が多いから、あまり歌が好きだとか話すなと言ってたけど、ハトリおねえちゃんがそれを利用するとは思えない。
だから、本当に洗いざらい全部喋ってやった。
あたしに対する、ペットみたいなオモチャみたいな楽器みたいな扱いを全部!
そうしたら、ハトリおねえちゃんはすごくびっくりしていた。そりゃあそうだと思う。キリュウが普段すましている分、余計に。
「そ――それはまた……」
なんて言っていいのか、本気で困ってる。
あたしはやさぐれた気分だった。
「好きな人が他にいるって話がデマだったとしても、あたしのことが好きなわけじゃないのに!」
好きでもないくせに、あんなことをするキリュウが許せない。
すると、ハトリおねえちゃんはぽつりと言った。
「キリュウ様にとって特別な人は確かにいたけれど、そのお気持ちがいつまでも変わらないとは言えないわ」
「え?」
「フゥちゃんに惹かれ始めている可能性もあるんじゃない?」
「はぁあ?」
ない。
絶対にない。キリュウに限ってそれはない。
いくらあたしだって、それくらいはわかるよ。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、ハトリおねえちゃんは苦笑した。
「まあ、フゥちゃんが落ち着くまではゆっくりして行ってね」
今はとりあえず、そう言ってくれるのがありがたかった。




