[3]知らない世界
あったかい。
ふわふわと、空に昇るような気持ちだった。
あったかいって幸せだなぁ。
冬場の布団って最高。
――布団?
そこでハッとした。あたしは雪の中に倒れたはずで、間違っても布団の中にいるわけがない。
だとするなら、これは夢で、あたしは寝ちゃったのかも知れない。あの吹雪く雪の中。もう、生きてないんだ。
家族にも友達にも二度と会えない。
そう思ったら、閉じたままのまぶたの裏からぼろぼろと涙が溢れる。
すると、その涙を優しく拭ってくれた手を感じた。ほっそりとした滑らかな指に、あたしは驚いて飛び起きる。
「あ、よかった。目が覚めたね」
あたしが寝かされていた大きめのベッドの脇に椅子を置き、そこに座っていた女の人が心配そうにこちらを見ていた。
びっくりするくらいきれいな人だった。年齢はあたしより少し年上――十九歳のうちのお姉ちゃんくらいかな。
長いピンクの髪に青い瞳。変わった色だし、染めているのかも。
でも、不思議と不自然さはなくて、すごく似合っているからおかしいとは思わなかった。スタイルがいいのも、座っていたってわかる。ニットワンピースがきれいな曲線を描いているから。
「大丈夫? 施術はしたけど、まだどこかおかしいところはある?」
気遣うように優しく微笑む。こんな時だけど、その笑顔にちょっと見とれた。
自分の状況を確認してみると、あたしは夏物のセーラー服を着ていなかった。
雪のせいで濡れてしまっただろうし、あの格好では寒さに堪えられないから着替えさせてくれたのかな? この美人さんのものなのか、パイル生地っぽいルームウェアを着せられている。
「……あの、もしかして助けてくれたんですか?」
おずおずとそう訊ねた。美人さんは小さくうなずく。
「うん。あなたは森の雪の中で倒れてたの。体温がすごく下がっていたけど、施術してあたためたし、もう大丈夫」
きれいなだけじゃなくて優しい。あたしには女神様に見えた。
あたしはその手をがっしりとつかむ。
「えっ!? な、何?」
ちょっと驚いた風だったけれど、そんな顔も美人だ。あたしはその目を直視して心から礼を述べる。
「ありがとうございました!!」
「あ、うん。どういたしまして」
捨てる神あれば拾う神あり。
ひどい目にあったけど、結果として助けてもらえた。大丈夫、すぐにこんな体験は笑い話になる。もとの生活に戻れる。
あたしはそう、希望を持った。
なんだけど、この美人さんはあたしの希望を申し訳なさそうにへし折った。
「あのね、気を落とさずに聞いてほしいんだけどね」
「はい?」
「あなたは多分、こことは違う世界から来たんだと思うの。それで、もとの世界に戻るのはちょっと大変かも知れないわ」
「はいぃ??」
こことは違う世界。
じゃあ、ここはどこ?
「ここは地球じゃないんですか?」
あたしが身を乗り出すと、美人さんは困惑したように答える。
「ないわね」
「じゃあ、ここ、どこですかぁ!?」
パニックになったあたしが泣きそうになると、美人さんはあたしの肩を優しく押し戻して悲しげに言った。
「ライシン帝国。どう、聞き覚えはある?」
「ないですよ!」
即答した。聞いたこともない。
「あたし、帰れないんですか? 明日も学校なんですよ! 晩ご飯までには帰らないと!」
錯乱してわあわあ喚いた。だって、そうでもしないと頭がパンクしてしまいそうだった。
言うだけ言って、最終的にはふぇ、と泣き顔になったあたしに、美人さんは慌てた。
「いえ、大変って言ったけど、不可能じゃないわ。だから、落ち着いて、ね?」
優しい。
その優しさが嬉しいけど、心細いからかえって泣きたくもなる。優しい人に助けてもらったけど、この先のことはわからなくなった。
帰るのは難しい。どうしてここにやって来たかもわからないんだから、帰りだって難しいのは当然かも知れない。
あの蝶――光る蝶を捕まえたら帰れるのかな?
あたしがそんな風に考えた時、部屋の扉が乱暴に開いた。ノックも何もなく、それは唐突に。
思わずヒッと悲鳴を上げたのはあたしだけで、美人さんは動じなかった。ツヤツヤの髪を揺らして振り返る。
「ノギ、彼女がびっくりしてるでしょ」
ノギ。そう呼ばれたのは、これまたきれいな顔立ちをした人だった。
淡い水色の髪と、青緑色の瞳のお兄さん。女装したら似合うんじゃないかなと思うような線の細いタイプ――なんだけど、その表情は少しもにこやかじゃない。面倒くさそうに顔をしかめて言う。
「なんだ、起きたのか。まあいい、ハトリ、メシだ」
正直言って、怖い。あたしのことなんて目に入ってない。
あたしが固まっていると、美人さん――ええと、ハトリさんはフォローするように微笑んだ。
「ご飯、食べられる?」
ご飯。これを逃したら今度はいつ食べられるのかわからない。
あたしは一生懸命、首がもげるほどにうなずいた。
「た、食べます食べます!!」
「食うのか。元気そうだな」
ノギさんの言葉には、元気そうだからほっといてもいいんじゃないのか、という響きがあったように思えてならない。危機感を覚えたあたしはとっさにハトリさんにしがみ付いた。
「おねえさん、ハトリさんって言うんですよね?」
「うん、そうよ」
あたしは上目遣いでハトリさんを見つめた。それは、防衛本能というやつからだ。
「ねえねえ、ハトリおねえちゃんって呼んでもいい?」
要するに、全力で甘えた。優しいハトリおねえちゃんを味方に付けること。これがあたしが今ここでできる最大の術だ。
「おねえちゃん……」
ちょっと照れたようにつぶやくハトリおねえちゃんは、あたしから見ても可愛い。きっと、妹とか下の兄弟姉妹がいないんだ。免疫がない。
「うん、いいよ」
コロッと落ちた。嬉しそうにニコニコしてる。
ちょろ――いやいや、さすがにそんな失礼なこと言わない。
兄と姉を歳の離れた弟が産まれるまで独占し続けたあたしだ。甘え上手と人は言う。
ノギさんが眉間にしわを寄せて冷ややかな目線を向けていたけれど、気にしちゃいけない。
「あたしは鳴海楓花っていうの」
「ナルミフウカちゃん? 長いね」
ここの人たちには苗字がないのかな? どこで区切っていいのかわからないようだ。
「えっと、『ふぅ』でいいよ」
「うん、フゥちゃんね。じゃあ、ご飯にしましょう。食べながら色々と教えてあげるね」
やっぱり、ハトリおねえちゃんだけが頼りみたいだ。あたしは大きくうなずいた。