[25]勘違い
キリュウは一瞬、呆けていた。けど、すぐにものすごく凶悪な顔をしてその人を睨んだ。
そりゃあ、いきなり殴られたんだから仕方ないとは思うけど。その人は、それでも動じなかった。
まっすぐな金髪をした細身のお兄さん。甘い顔立ちだけど、今は怒っている風に見えた。背中には剣らしきものを背負っている。
――やっかいなことになったなってあたしがオロオロしてると、そのお兄さんは言ったんだ。
「何してんだよ、お前」
「や、ら、乱暴は止めて下さい!」
あたしなりにことを丸く収めようとしたけれど、そのお兄さんはあたしに目もくれない。キリュウはすごい形相になったけど、何故か不意に表情を和らげた。
「ノギ、お前、なんでこんなとこで女の子と腕組んで歩いてるんだよ? ハトリはどうした?」
キリュウが表情をゆるめたのは、ようやくその勘違いに気付いたからだ。
この人は、ノギおにいちゃんだと思ってキリュウを殴ったんだ。あたしはどっと疲れてしまった。
「あの、ノギおにいちゃんの知り合いですか?」
あたしがそう訊ねると、その人はやっとあたしに顔を向けた。
「そうだけど、君は?」
あたしは深々とため息をついてから言った。
「あの、大きな声では言えないんですけどね、この人はノギおにいちゃんじゃありません。ノギおにいちゃんの姿を借りてるだけなんです」
「は?」
お兄さんは眉間に皺を寄せつつ、ノギおにいちゃんにしか見えないキリュウを見遣る。キリュウは、嫌な笑みを浮かべた。
「イルマ、だったな?」
キリュウは、名乗りもしていないそのお兄さんの名前を呼んだ。声はノギおにいちゃんのものじゃない。イルマさんとやらはぎくりと体を硬くする。
「君とは幾度か顔を合わせたこともあるはずだが。背後にヤナギがいなければわからぬか?」
その言葉に、イルマさんは青くなった。
「まさか?」
キリュウは鷹揚にうなずく。
「まあよい。ノギがどういった人間か知りつつ姿を借りたのだ。この程度のことは仕方がないだろう」
ノギおにいちゃん、敵が多いのかな。口が悪いから多い気がする。
「君はここへ仕事で来たのか?」
キリュウがため息混じりに訊ねた。イルマさんは恐る恐るうなずく。
「はい。嫁が身重なもので、俺が稼がないと」
イルマさんには奥さんがいるらしい。ちょっと軽い感じがすると思ったけど、実際は真面目なのかな。
キリュウはそっと微笑む。ノギお兄ちゃん、そんな顔する時あるのかな、なんて密かに思った。
「そうか。おめでとう」
「ありがとうございます」
イルマさんは深々と頭を下げたけど、キリュウがノギおにいちゃんの姿をしているからちょっと複雑そうだった。
そうしてイルマさんと別れたあたしたちは食事を摂れるお店を探した。でも、あたしは先に公園の中にある屋台を見付けてしまった。キリュウの腕をぐいぐいと引っ張る。
「あそこがいい」
キリュウは特に反対する理由もなかったのか、あっさりとその屋台へ向かった。カラフルな庇の付いた屋台は、ホットドックの店みたいだった。キリュウはお金じゃなくて、何か宝石のようなものを使ってホットドックふたつ分の支払いを済ませた。カードみたいなものなのかな?
ホットドックをひとつあたしに差し出す。あたしはそれを受け取った瞬間にすごく嬉しくなった。
「ありがと」
ニコニコと笑顔を向けると、キリュウは不思議そうに訊ねて来る。
「どうした?」
あたしがあんまりにも上機嫌だから不気味だったのかも。って、まあ失礼な話だけど、今はうるさく言わない。
「うん、キリュウも一緒に食べてくれるんだね」
キリュウは皇帝だから、口に入れるもののすべてが管理されているんだと思った。それに、こんな一般市民が食べるようなものに興味がなくて、あたしの分だけ買って来るのかなって。
でも、こういうものは一人で食べたって美味しくない。一緒に誰かと食べたい。
だから、こんなものは食べないと言わずに付き合ってくれていることが嬉しかった。
「一人で食べるのは寂しいから、嬉しいなって」
あたしが素直にそう言うと、キリュウは少し面食らった様子だったけど、すぐに苦笑した。
「そういうものなのか」
「そうだよ」
ベンチに腰かけて、服を汚さないようにぱくりとかぶり付く。肉の他にフレッシュトマトとレタスと玉ねぎ。パンにはゴマとオリーブオイルの風味がして美味しかった。
食べにくいものだけど、キリュウは優雅に食べていた。やっぱり、育ちがいいからなぁ。
あたしが食べ終わるのを、キリュウはただ座って待っていてくれた。その間、キリュウは公園で遊びまわる子供たちや、ゆったりと散歩するお年より、買い物帰りの人々を眺めてた。
その横顔を見遣ると真剣そのもので、それでも穏やかで優しい目をしてる。
キリュウにとっては自分が統べる民だから。子供を見守る親のような感覚なのかな。
あたしはそんなことを、口をもごもごと動かしながら思った。




