[22]キリュウの言い分
その後、あたしは領主館の内部へ、気まずい空気を醸す二人と一緒に入った。
それからどれくらいか経って、使用人の人たちが整えてくれた晩餐の席でも、クレハさんは自らキリュウを接待するつもりはないみたいだった。
クレハさんはむしろ宰相のヤナギさんたちに敬意を払って接していたから、本当にキリュウただ一人が気に入らないんだと思う。
で、何故かあたしまで晩餐の場にいた。末席だけど、お呼びがかかってびっくりした。
ただ、あたしは日本人だしお箸でご飯食べて来たんだってば。
ここへ来てからはちょっとだけナイフとフォークの扱いにも慣れたと思ったけど、見とれてしまうくらいに優雅なユズキさんのテーブルマナーを目にすると、あたしはあんまり食べられなかった。――うぅ、後でおなかが空きそう。
ユズキさんはあたしに興味がないみたい。うん、あたしだけじゃなくて、ユズキさんの目にはキリュウしか入ってない。キリュウってめったに会いに来ないっぽいし、仕方がないかな。
こんなに好かれてるのに、何が不満なんだろう?
ちらりと、長いテーブルの端の遠い遠いキリュウを見遣るけど、何を考えてるのかさっぱりだ。
クレハさんはそんなキリュウに訊ねられたことを嫌々ながらに答えてる。町の状態、問題や変化がないかといった問いには、皇帝と領主という立場上、答えないわけにもいかないんだろう。
でも、空気は最悪だった。
この険悪な空気の中、キラキラした瞳をしてうっとりとキリュウを見つめていられるユズキさんがちょっと羨ましい。この屋敷の使用人の人たち、絶対胃が痛いはず。クルスさんはよくわからないけど、ヤナギさんも心底困った顔をしてた。
そんな息が詰まる晩餐はようやく終わりを迎えた。キリュウが宿泊する部屋へ、執事らしき人が案内しようとした瞬間に、キリュウはよく通る声で遠くのあたしを呼んだ。
「フウカ」
場の空気がいっそうピリリとおかしくなる。
「は、はい」
ここでいつもみたいな口を利いちゃいけないって、あたしだってそれくらいのTPOは弁えてる。
ただ、TPOを弁えていないのはキリュウの方だった。
「来い」
なんだろうと思って従うと、周囲の視線がグサグサ刺さった。キリュウはそれを振り払うようにして、うっとうしい衣装の中から差し出した腕であたしの肩を抱き込む。
ん? 何これ?
「では、行くか」
唖然とした人たちの中を、キリュウは颯爽と歩く。あたしはそれに引っ張られながらついて行くしかなかった。一度だけ振り向きざまに見たユズキさんの見開かれた目が、ガラス細工のように儚くて、あたしはそのことがどうしようもなく怖くなってしまった。
通された一室は、城の豪華な部屋にも劣らない、オフホワイトが基調の部屋。金の房飾りが付いた艶やかなカーテンが引かれていて、絹糸の刺繍がびっしり施された馬鹿でかいベッドの縁にも同じ房飾りが付いてる。床のタイルも磨き上げられてて、シャンデリアみたいな証明器具が上品な灯りを演出してた。
皇帝を持て成すって、やっぱり気が張るんだと思う。使用人の人たちはペコペコと頭を下げながら去った。だだっ広い室内に、あたしとキリュウは取り残される。
その途端、キリュウはあたしを放り出した。
こいつ……!
あたしはイラッとして、ベッドに腰かけてひと息つくキリュウに言った。
「ユズキさんへの予防線にあたしを使うの止めてよね!」
もしかして、あたしがこのローシェンナへ連れて来られた本当の理由はこれだったのかも。
すると、キリュウは小さくため息をついた。
「大声を出すな」
言うことはそれだけか!
それでもあたしは一応声を落とした。
「あんなにキリュウのこと好きなのに、かわいそうだよっ」
そのひと言に、キリュウは眉をひそめる。
「かわいそうだとか、そうした感情は二の次だ。……クレハとユズキは先帝の子。あまり権威を持たせては後に厄介なことになる」
「え?」
先帝の子。
先帝って、先の皇帝?
キリュウのお父さんが先帝じゃないの?
混乱していたあたしに、キリュウは言う。
「クレハも私と同じ『プリマテス』としての高い魔力を持つ。けれど、私には及ばなかった。だからこそ、あれではなく私が選ばれたのだ」
魔力の高さがすべて。
つまり、必ず世襲制じゃないってことみたい。シビアな世界だ。
キリュウがいたから、クレハさんは皇帝になれなかった。だから、キリュウのことが嫌いなの?
でも、皇帝になれなかったことって、考えようによってはいいことだったんじゃないのかな。
ちらりとキリュウを見た。その額に青く輝く宝石をあしらった冠がある。あの青の凄みに、いつも圧倒される。
あんな重責と激務が幸せなんて思えない。キリュウくらいふてぶてしくないと堪えられないんじゃないのかな?
――ううん、キリュウだって逃げたい時ってあると思う。
本当は、いつだって逃げたいのかも知れない。
あたしはそれ以上訊ねることを止めた。そうして、キリュウの隣にどすりと腰を下ろす。
あたしの役目――歌を、と。
スゥッと息を長く吸って歌い出そうとしたあたしに、キリュウはあっさりと言った。
「今日はよい」
「は?」
「今日は歌わずともよいと言っている」
何この気分屋のワガママ坊ちゃんは!?
あたしが呆然としていると、キリュウは難しい顔をして言った。
「クレハに聴かせたくない。この屋敷にいる時は歌わずともよい」
クレハさんなら、あたしが歌う歌がこの世界のものじゃないって気付いてしまうかも知れないから?
「あ、そ」
まあ、いいって言うならあたしはそれに従うだけだ。
あたしは肩透かしを食って、少しだけスッキリしない気持ちを抱えながら立ち上がった。部屋を出ようと踏み出したあたしの手を、とっさにキリュウが取る。
「どこへ行く?」
なんでそんなにも不思議そうに首を傾げるのか、あたしにはわからなかった。
「どこって、歌わなくていいならここにいる意味がないでしょ? ここはあたしの部屋じゃないんだし」
「お前の部屋などない」
「はいぃ?」
「お前の部屋の用意などないと言っている。もともと、お前を連れて行くとは伝えていないからな」
「…………」
じゃあ、どうするつもりだったって言うの?
あたしの血の気がサッと引いた。
「この部屋の中にいろ。部屋から出なければ、後は好きにすればいい」
だから、あたしはこれでも嫁入り前の娘なんだってば!
身の危険なんて微塵も感じてないけど、またクルスさん辺りに勘違いされる!
ここでの出来事をご近所さんに知られて噂を立てられることはないけど、でもね――。
あたしだって一応女の子なんだから、簡単にそんなこと言わないでよ!
「キリュウのバカ!」
苛立ち紛れに怒鳴ってキリュウの手を振り払うと、キリュウは平然としたままパリン、と小さな音を立てて何かの触媒を使用して魔術を使った。
一体、何を――と、口に出して問うことができなかった。
ただ、体に力が入らなくなって、急激な眠気に襲われた。体が傾いて倒れ込んだあたしを受け止める腕を感じる。
「うるさいヤツだ。もう寝てしまえ」
最低だ、と、思、う――。
そこであたしの意識はブラックアウトした。
フゥは気付いていませんが、部屋のひとつくらい皇帝が言えば急でも用意してもらえます(笑)




