[18]ナマイキ幼帝
翌日。あたしはアズミさんと一緒に執務室の掃除をしていた。
毎日同じ仕事の繰り返し。慣れたら違うことも覚えなくちゃいけないのか、このままなのかはわからないけど。
せっせと机を磨いていると、執務室の扉が開いた。そこにいたのはヤナギさんだった。相変わらず渋い。
クルスさんじゃなくてよかったとか思ってしまった。嫌いってわけじゃないけど、クルスさんはすぐにからかうから対応に困る。
ヤナギさんはあたしに用があったらしく、あたしの前までやって来た。そうして、ヤナギさんはそこからアズミさんに視線を送った。有能なアズミさんはすぐに何かを察して一礼すると部屋の外へ行ってしまった。ヤナギさんはそれを満足げに眺めると、重低音で言った。
「明後日からキリュウ様はローシェンナの町まで視察に行かれるのだが」
「はあ」
そのローシェンナの町がこの国のどこにあるのか知らないけど、翼石とやらがあればすぐに行って帰って来れる。だから、何を改まって言われるのかと思った。
「最低三日間は向こうに滞在されることになる」
視察って、色々見て回るわけだから、すぐには終わらないってことみたい。でも、それが何?
「三日間留守にするってことですよね。わかりました」
あたしがそう言うと、ヤナギさんは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「キリュウ様が、君も同行させると仰るのだが」
「いっ」
嫌だって思い切り言いそうになってしまった。
そんなあたしに、ヤナギさんは深々とため息をつく。
「ああ、私はキリュウ様から事情を聞かされている。私に対してごまかす必要はない」
キリュウにとって、このヤナギさんは別格の腹心みたい。ヤナギさんはキリュウの一番身近な人なんだ。
あたしはそれを聞いてホッとした。
「そうですか。よかった。でも、ついて来いって、三日間歌を聴けなくなるからですか?」
「そう仰っていた」
「たった三日じゃないですか」
思わずそうぼやいてしまった。
「大体、昨日なんてぐうぐう寝ちゃって途中までしか聴いてなかったんですよ?」
ほんとのことしか言ってない。けれど、ヤナギさんはすごくびっくりしたみたいに瞬きをした。
「キリュウ様が?」
他に誰がいるって言うんだか。
「そうですよ。コウテイヘイカがですよ」
冷ややかに言うと、ヤナギさんは意外そうにあご髭を撫でた。
「キリュウ様が人前でそうした姿をさらすことはほぼない。どんなに体調が悪かったとしても、毅然と振舞って来られた」
「あたしが自分の民じゃないから、気が抜けちゃったんじゃないですか?」
すると、ヤナギさんは柔らかく目を細めた。
「そうかも知れないな。けれど、それはとても珍しいことだ」
「はあ」
あたしが気の抜けた返事をすると、ヤナギさんはそっと笑った。
「キリュウ様は即位されてから一度も、私にさえ寝顔など見せられたことはないよ」
え?
キリュウはヤナギさんのことを誰より信頼してる。それは間違いない。
でも、それでもヤナギさんは家臣だから、みっともない姿は見せちゃいけないと思うんだろうか。
それ、ちょっとしんどいよ。
「……即位って、そういえばキリュウっていくつから皇帝になったんですか?」
「ああ、御歳九歳になられたばかりの時だな」
「九歳!?」
うちの弟の桐也と同い年だ!
って、小学生だよ?
宿題ひとつ終わらすのに大騒ぎしてるような桐也と同じ歳に、国を任されたって――。
そこであたしはハッとした。
よく歴史の授業で、幼い皇子が帝位に就いて、その裏で実権を握って権力を持つ人が出て治世が乱れるって言ってた。摂政っていうのかな。
キリュウにもそうした人がいたのかも。
そんな風に思ったあたしに気付いたのか、ヤナギさんは先回りをして言った。
「キリュウ様はいついかなる時もすべてご自分で決断されて来た。どれほど若年であったとしても、あの方は紛れもなく帝王であったのだ」
むちゃくちゃだ。でも、ひとつだけわかったことがある。
「そうですか。だからあんなに偉そうなんですね……」
あ、しみじみと本音が出てしまった。
小さい頃からすっごく生意気だったんだろうなって。
ヤナギさんが唖然としている。
「あ、いえ、つい」
慌てて取り繕ったつもりが、何ひとつ前言撤回していない。あたしって正直だから。
けれど、ヤナギさんはクスクスと笑った。どうやらお咎めはなしみたいだ。
「君はそう自由でいいのかも知れないな。キリュウ様もそれを望まれているように思う」
不敬だ無礼だとすぐに言うけど。でも、もしそうなら遠慮しなくていいかな? したことないけど。
でも。
「自由なんかじゃないですよ。ほら、これ、首輪付けられました」
あたしはキリュウにはめられたチョーカーに触れる。これ、どうしても外れない。
GPS付き――ちょっと違うけど、そういう効果があるらしいし。こうして働かされているし、自由なんかじゃない。
すると、ヤナギさんは苦笑した。
「キリュウ様なりのお考えがあってのことだ。それに関しては窮屈かも知れないが、我慢してくれ」
お考え?
そうだった。ヤナギさんは優しいけど、キリュウの味方だった。そりゃあ肩も持つよね。
「では、出立の支度はこちらで整えておく。心構えだけはしておいてくれ」
どうせ断れないんだから、聞かなきゃいいのに。
拗ねた心で、ちょっとだけそう思った。