[16]内緒です
しっかりと歌い終えたあたしに、キリュウは満足げだった。
本当に、すごく真剣に聴いていてくれたんだと思う。
いくら合唱部だからって、あたしは自分の歌が特別だとは思わない。
キリュウの知らない珍しい異国の曲を歌えるかも知れないけど、あたしより上手い人なんてこの世界にもゴマンといるはずだ。
それでも忙しい時間を割いて聴きに来る価値があるんだと思うとちょっとだけ嬉しかった。
あたしは最後にそれをぼそりと訊ねる。
「ねえ、そんなに歌が好きなの? それなら、国の中から募れば、すっごく上手な人が来てくれるんじゃない?」
素朴な疑問だった。けど、キリュウは眉根を寄せて首を振った。
「私が楽曲を好むと知れ渡ったとするなら、間違いなく国中から歌唱力に覚えのある娘たちが集うだろう」
「うん、そうだよね」
「だからこそ、私は自らの好むものを知らしめたいとは思わぬ」
よく、わからない。
あたしが小首を傾げると、キリュウは皮肉っぽく笑った。
「そうした娘たちは自らが成り上がろうとする。それから、その娘たちを使って、自分の地位の向上を願う者も出るだろう。つまり、私の好みが知れ渡れば、それを利用して私の機嫌を取ろうと画策する輩が多いということだ」
好きなものが好きって言えない。皇帝って、なんて面倒くさいんだろう。
「ふぅん。皇帝って大変なんだね」
しみじみと言うと、キリュウは気が抜けたように笑った。少し、意外なくらいに。
「その点、お前には面倒な親族がここにはおらぬ。私も気が楽だ」
なるほど。
あたしを利用してキリュウに気に入られようとする人はいない。それは確かだ。
そこでキリュウは、ただ、とつぶやく。
「ただ、私がここへお前の歌を聴くためだけに訪れているということは他言するな」
「え? 誰かに歌が聞こえてるかも知れないよ?」
「お前が私に聴かせるために歌っていると言えばいい。私が所望したと言えば面倒なことになる」
心底面倒くさいなぁ。
でも、バラしたりしたらきっとマイナスポイントを付けられて、もとの世界に帰るのが遅れそうな気がする。
「誰かに何かを言われても、上手くごまかせ」
またそういう難しいことを言う。
「それから、明日からはお前が私のもとへ足を運ぶように」
……ワガママだ。
あたしが一瞬嫌な顔をしたのを、キリュウは見逃さなかった。
「私に対し、ここまで敬意を払うつもりがないとは、度胸がいいのか考えなしなのか、どちらだろうな」
ぐ。
ノギおにいちゃんだって敬意なんて欠片もなかったし。あたしだけじゃないと思うけど。
まあ、仕方がないのであたしは少しだけ下手に出ることにした。
「わかりましたよ。寝る前に行けばいいんでしょ。……ちなみに、毎日?」
「そうだ」
毎日かぁ。疲れるなぁ。
歌うのが嫌なんじゃないけど、キリュウと毎日顔を合わせると疲れちゃう。
なんて考えたことがばれたのか、キリュウは何かを言いたげな目をしていた。
いや、駄目だ。ここはいい風に考えよう。
ええと、顔だけ眺めてたらキリュウは美形だ。好みかって言われると、ちょっときれい過ぎて違――ととと、うーん、プラス思考って難しい。
一人でうんうん唸っていると、キリュウの手があたしの額を押さえるように乗った。
「返事は?」
笑顔で凄まれた。
そういうところが怖いんだって。
「はぁい」
そんなわけで、あたしとキリュウの間には小さな秘密ができた。
ほんとに奇妙な関係。
でも、まあ、これがもとの世界に帰るための手段になる。精々キリュウのご機嫌を取って、快く帰してもらわなくちゃいけない。今は足がかりができたんだって喜ぶべきとこなのかもね。
あたしの返事を聞いてひとまず納得したのか、キリュウは光を振り撒いてあたしのベッドからいなくなった。やっと出てってくれた。
あたしは大きくため息をつくと、そのままベッドに倒れ込む。
そうして眠りについた。けれど、この時のあたしは考えなしだった。
明日にはそう後悔することになる。
☆ ★ ☆
「やあ、フゥ君」
朝の廊下で、爽やかに笑顔でクルスさんに挨拶された。
「おはようございます」
あたしは礼儀正しく頭を下げる。アズミさんを見習って、ちょっとはおしとやかに挨拶くらいはできるようにならないとね。
ただ、そんなことを考えたあたしの思考は、次の瞬間にはぐっちゃぐちゃになってしまった。
「昨晩、陛下は君のところにおられたんだよね?」
「ふあ」
さっそく来た、この質問!
すると、クルスさんはクスクスと笑った。
「やっぱり。お部屋が空のようだったから、もしやと思ったんだけど、その反応で確信したよ」
か、カマかけられた。それにあっさり引っかかるなんて……。
がっくりと項垂れたあたしに、クルスさんは楽しげに言う。
「で、でも、ちょっとの間だけですよ。すぐ帰りましたよ」
これは嘘じゃない。
けれど、クルスさんの眼鏡の奥の目がなんとも言えない色をしていた。
「陛下が女性に興味を覚えて下さったのは喜ばしいのだけど、君には魔力がまるで感じられない。お世継ぎの問題がねぇ……」
「はい?」
「あ、懐妊の兆しとかあったらすぐに教えて」
「ふああぁ!?」
思わずあたしは奇声を発してしまった。だって、今、なんて言った!?
要するに、クルスさんはあたしとキリュウが――――駄目だ、頭に酸素が行かない。眩暈がする。
「あ、あの、そういう事実はありません。なんにもありません!」
力一杯言うと、クルスさんは首をかしげた。
「じゃあ、あんな時間に何してたの?」
「な、何って、その……ちょっと喋ってただけです」
キリュウがあんなこと言うから、上手くごまかせない。
嫁入り前の娘にとんでもない疑惑がかけられているっていうのに! あいつのせいで!!
「うん、わかったよ」
笑顔で言われた。
いや、絶対わかってない!!