[13]一応って
トントン、と頭のてっぺんを小突かれた。あたしはそれを手で払い除ける。
その次の瞬間には頭を鷲づかみにされた。
「!!!」
慌てて飛び起きると、眼前には呆れたような表情をしたキリュウがいた。ベッドの上でふんぞり返っている。あたしはそのベッドの縁に突っ伏して寝ちゃったみたい。
段々と昨日のことを思い出して来た。
具合が悪そうだったキリュウはそのまま倒れ込んで、仕方ないからあたしはその隣でひたすら歌ってた。少しでもよく眠れるようにって。
でも、この表情――うるさくて寝れなかったとでも言うんだろうか。
あたしが苦情を覚悟して身構えると、キリュウは難しい表情を解いてため息をついた。
「まだいたのか」
何それ!
ムッとしてあたしが睨むと、キリュウはそれを受け流して少しだけ笑う。
「キーキーうるさいばかりかと思えば、特技のひとつくらいはあるものだな」
唖然としてしまった。
これ、褒めてるの? けなしてるの?
無言のあたしに、キリュウは上からものを言う。
「そうだな。一応は礼くらい言っておいてやろう。だから、もう戻れ」
はいはい、お邪魔さまでした。頼んでもないのに、恩着せがましいとでも思ってるのかも。
あたしも皮肉のひとつでも返してやろうかと思った。
「あ゛――」
なのに、口を開いた瞬間、自分の声に驚いてしまった。ガラガラだ。声がかすれて上手く出ない。
調子に乗って歌いすぎたみたい。何曲歌ったかよく覚えてないけど。
思わず自分の口もとを押さえたあたしを、キリュウはじっと見ていた。そして、突然あたしののどに触れる。冷たい指先に体が硬直した。
その時、パリン、と硬質な石が砕けるような音がした。かと思うと、キラキラと細かな光が踊る。
これがキリュウの魔術。
キリュウが身に付けていた宝石のどれかだろう。消費した触媒は砕けて光になった。
「……どうだ?」
「え?」
あたしは、一瞬その光景に見とれてた。光を操るキリュウは、すごく神聖に思えたんだ。……気のせいだろうけど。
見とれてたことをごまかすように、あたしはんん、と咳払いをした。
「あ、治った」
のどの違和感がなくなってる。たったあれだけのことで。
認めるのも癪だけど、やっぱりキリュウはすごい人なのかも。
あたしはそれから、あー、と発声練習のような声を上げてた。キリュウは、そんなあたしに笑う。
妙にニヒルな、可愛くない笑顔だ。
「加減をしろ」
「はいはい、すみませんでした」
ぷい、とあたしが顔を背けると、キリュウはまた偉そうに言った。
「まあよい。昨晩はよく眠れた。その礼だ」
え?
あたしが目を見開いて顔を向けると、キリュウはまたパリン、と音を立てて魔術を放った。
そのせいであたしは次の瞬間には自室のベッドの上だった。どうやら飛ばされたらしい。
――仕方がない。二度寝しよう。
そして、目覚まし時計もないのに起きられるはずがなかった。
あたしはユサユサと体を揺すられてぼんやりと目を開いた。そこには、困った顔をしたアズミさんの顔がある。
「もう起きて?」
「ふぁあ」
あくびとも返事ともつかない声を上げ、あたしは飛び起きた。
「ご、ごめんなさい!」
すると、アズミさんは苦笑して首を小さく振った。
「今朝、陛下が、フゥさんはあまり眠れていないようだから、きっと寝坊するだろうと仰られたの」
本当に寝坊しちゃったから何も言えない。
困惑して黙ったあたしに、アズミさんは柔らかく言う。
「少しだけ眠らせてやるといいって陛下のお言葉があったから、今まで呼びに来なかったのよ。今度陛下とお顔を会わせた時にはちゃんとお礼を述べなくちゃ駄目よ」
意外。
キリュウがそんな優しいこと言うなんて。
もしかして、ほんとに昨日のことを感謝してくれてたのかな?
そんな風に思った。もし、そうだとしたら嬉しい。
あたしが誰かの役に立てたなら、それは相手が例えキリュウだろうとやっぱり嬉しい。
「はい、わかりました」
偉そうで嫌な人だと思っていたけど、これならキリュウともいつかは仲良くなれるかも知れない。
いずれはもとの世界へ帰るけれど、それまでの間、できることなら仲良く過ごしたい。
あたしはひとつ伸びをするとベッドから立ち上がった。
その時、なんとなく違和感を覚えた。なんだろう、と小首をかしげて考える。
「どうしたの?」
と、アズミさんが訊ねる。
「いえ、なんて言うか……そう、今日ってちょっとあったかいですよね?」
すると、アズミさんは不思議そうに言った。
「ええ、当然よ。だって今日から海松の月だもの」
「へ?」
「海松の月の朔日。つまり、今日から春なんだから、あたたかいのは当たり前よ」
「……」
当たり前らしい。
この国の暦は、すごくわかりやすいくらいにキッパリハッキリしているみたいだ。