[11]やってはいけない
「ごちそうさまでした」
あたしはお行儀よく手を合わせ、ヤナギさんに頭を下げた。ただ、ちょっとだけ正直に言っておく。
「おいしかったけど、ノギおにいちゃんの料理の方がおいしかったかも。おにいちゃんをお城の料理人にしたら?」
その途端、ヤナギさんはかなり複雑な顔をした。
「あれを? ……どう考えても無理だ」
あ、やっぱり?
そうして、お皿を下げに来たのは、最初にやって来たメイドさんと同じ人だった。今度はカートを引いて来た。
「彼女はアズミ。君の教育係だ。仕事のことならすべて彼女に訊くといい」
アズミさん。
背中まで届く長い髪を三つ編みにして垂らしている。年齢は二十代後半くらいかな。特別美人っていうんじゃないけど、感じが穏やかでいい人っぽいな。
ヤナギさんは彼女にそっと言う。
「少々『わけあり』な娘だが、詮索は無用だ。後は頼む」
「はい、かしこまりました」
すごく綺麗な姿勢で一礼する。あたしはそんなアズミさんの姿に惚れ惚れした。
ヤナギさんが去るまでアズミさんは頭を上げなかった。顔を上げた時には優しげな微笑がある。
「あなたのお名前は?」
「フウカです。フゥって呼んで下さい」
あたしは椅子から立ち上がると、精一杯フレンドリーに言った。アズミさんはにこりと微笑む。
「では、フゥさん、まずはこれに着替えてね」
差し出された服を手に取ると、あたしはヤナギさんには言えなかったことを言った。
「わかりました。でもその前にお風呂貸してもらってもいいですか?」
アズミさんは面食らったようだが、今度はくすくすと品よく笑った。
「ええ。この部屋はあなたにしばらく貸し与えるということだから、入って来るといいわ」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで礼を言って部屋の奥へ向かったあたしは、服を脱ぎ捨てた後に大声を上げるハメになる。
まず、蛇口がない。意味がわからない。
慌ててやって来たアズミさんが丁寧にお湯の出し方、ソープディスペンサーの使い方を教えてくれた。
この国は電気や水道が通っていない。だから、あたしにはわからないことだらけだ。
生活用品の大半は魔術アイテムっぽい。誰にでも使えるように作られているみたいだけど、使い方を知らなかったら使えないし。
シャワーも見当たらないと思ったら、壁の装飾っぽい石がスイッチになってて、そこを押したら天井からお湯が降って来た。……慣れるまで時間がかかりそう。
キリュウにはめられた石の付いたチョーカーは外せない。仕方がないので何とかずらしながら体を洗う。
ちょっと疲れながらお風呂から上がると、そこでハラハラと待っていたアズミさんが何かを操作した。その途端、春風みたいなあたたかさを感じたと思ったら、あたしの濡れた体は一瞬にしてサラリと乾いた。タオルもドライヤーも要らない。
便利だけど、原理がわからないからひたすらに怖い。
怯えながら渡された服に袖を通す。
……メイド服。初めて着たけど、すごく複雑な気分。コスプレでもなんでもない、本物。
フリフリで可愛いけど、これで『いらっしゃいませご主人様』と言って笑っていれば時給が発生するわけじゃない。
「うん、これでいいわ。では、行きましょう」
アズミさんは本当に何も訊ねない。あたしって、どう見ても不審なところだらけなのに、ヤナギさんの言葉が効いてるんだと思う。アズミさんって、いかにも有能そうだなぁ。
連れて行かれた先は、執務室というところ。
だだっ広い豪華な部屋。シャンデリアっぽい天井の飾りが綺麗。ツヤツヤのでっかい机が異常な存在感を放っている。カクカクしてて、そう、校長室の机のもっと高そうなやつっていうところ。
「ここは陛下がお仕事をされる大事な場所よ。心を込めてお掃除しましょうね?」
あー、うん、心ね。イッシュクイッパンの恩くらいはあるけどね。
「はぁい」
ここでもやっぱり、なんにもわからないあたしにアズミさんは丁寧に教えてくれた。しかし、細かい。机の彫り物の隅々まで丁寧に掃除しなくちゃいけないんだって。
そこまでしなくちゃいけないのかな、とこっそり思った。
そんな時、執務室の扉が開く。入って来たのは、『でっぷり』としたおじさんだった。『がっしり』って言った方がまだよかったかな?
ちょっと怖そう。
そのおじさんはまっすぐにあたしの前に早足でやって来た。あたしが身構えても、おじさんは不躾にあたしをじろじろと見ていた。アズミさんは頭を下げている。おじさんの身なりは仕立てのいい服だし、装飾品もキラキラしてるし、胸には羽根の飾りが付いてる。多分偉い人なんだとは思う。
「お前が陛下の仰られていた娘か」
陛下? キリュウがなんか言った?
どうせろくなことじゃない、とあたしは確信した。おじさんがあたしを見る目は冷ややかだ。
ただ――。
「私はイナミ。この国の宰相の一人だ」
宰相。ヤナギさんと一緒だ。……体型全然違うけど。
「あ、はい。初めまして。フウカです。フゥって呼んで下さい」
あたしは普通に自己紹介した。でも、イナミさんは不審者を見る目付きだ。
きっと、あたしが異世界から来たって聞いたんだと思う。目が色々語ってる。
無言で目を細め、あたしを値踏みし続ける。内心ではあたしのことをつまみ出したいとでも思ってるんじゃないかな。
ただ、そんなにも顔を近付けられると――。
もふ。
あ、やっちゃった。
だって、イナミさんって、パーティーグッズの付け髭みたいなの付けてるんだもん。本物かなって、すごく気になっちゃって――駄目だって思ったんだけど、あんまりにも顔を近付けるから。
つい。
本物だった。軽く引っ張ったけど、取れなかった。
顔を真っ赤にして怒るイナミさんに、あたしは平謝りした。アズミさんまで一緒に怒られた。
けど、だって、我慢は体によくない。誘惑に逆らえなかったあたしが悪いとは思うけど。
アズミさんには悪いことしちゃった。