問三 異世界です、誰と出会いたいですか?
俺は自分が嫌いだ。
目標を定めたり、方針を決めたり、口から信念を語ったり、挙句には誰かを否定したり、嫌ったり、嫌いだと嘯くくせに、現実に振り回され、強者に媚び、信条を捻じ曲げ、行動をする弱さが大嫌いだ。
普段の俺は言う。
社会は嫌いだ。でも社会の中で生きている。
人間は嫌いだ。でも誰かと関わりを持っているし、永遠の孤独を抱える勇気はない。
努力は嫌いだ。でも力を求めて戦っている。
宗教は嫌いだ。でもご飯の前にはいつも手を合わせている。
女の子は嫌いだ。でも俺は見捨てられない。
矛盾ばかりで、何一つとして正論を言えない俺は、何処までも最低で、最底辺で、文句を言うしか能のない、惨めな売れ残りのレコードのようだ。
だけど、そんな自分でも生きる上での中心は自分で、可愛いのは自分であると、そう思っていた。
でも、やはりこれも思っていただけなのだ。
都合の良い言い分だけを頭に残し、本心と向き合うことをやめ、覚悟のない結論を抱くから、あんなことになってしまうのだ。
異世界だ。
チートだ。
魔法だ。
ハーレムだ。
奴隷だ。
女だ。
モンスターだ。
竜だ。
魔族だ。
獣人だ。
森人だ。
精霊だ。
妖精だ。
優越者だ。
絶対者だ。
勇者だ。
魔王だ。
無双だ。
夢想だ。
問題、異世界です。人間関係はデリートされました。誰と出会いたいですか?
答え、………………
◇
冒険者ギルドで死にかけるほどに厳しい訓練を終えた俺は歩くことも満足にいかないほどの深刻な筋肉痛に悩まされていた。そんな状況で動く気にもなれず、静かに宿屋で過ごすことはや三日、重大な真実に気づいてしまった。
「金が……ない……だと?」
まずい、このままだと、宿に泊まることすらできなくなる。これじゃあニートじゃなくてホームレスだ。
「え~、じゃあ、お兄さん、もう出て行っちゃうの!? そんなの、ニナ嫌だよ!」
そう言ったのは、ベットの上にいる俺の膝の上に座るニナだった。何故だかしらないが、俺は彼女に気に入られたらしい。
宿から出ず、一日中引き篭もっていると、退屈なのだろうか、よくニナは俺の部屋に遊びに来る。
母も父も仕事に忙しく、年頃であろうニナも精一杯手伝いをこなしているのだ。勿論学校に行く時間もないし、この時代ではかなりのお金がかかるゆえ、そんな余裕もないのだろう。必然的に同年代の友達がおらず、遊べる時間も余りない。
だから、こうしてニナは暇な時間に構ってくれる相手を探していて、それが偶々働かず、一日中ゴロゴロしている俺だったのだろう。
まあ、二人集まった所で何をするでもなく昼寝に打ち込むか、俺の覚えている昔話なんかを聞かせたりだとか、ちょいとマニア向けなライトノベルの話をして首を傾げられたりだとか、そんなことしかやることはないのだけれど、ニナはいつも楽しそうだったので、それはそれでいいと俺は思っていった。
「う~ん、このままじゃあ、そうなるな」
「じゃあじゃあ、ニナのお小遣いあげるから! ここにいてよ! ニナと遊んでよ!」
なんて言いながら涙ぐむニナ。
だがしかし、さすがに小学生程度の年齢の少女からお情けを受けるのは、余りにも情けない。
さすがの俺でもそれは無理だ。
「だ、大丈夫! お兄さんもちょいと働いてくるから……また、すぐに会えるから、いい子でお留守番しててね」
んなこと言わなくとも、彼女は俺なんかよりも、いい子なのだろうけれど。
「うん! 待ってるね、お兄さん!」
そんなわけで、俺は働かなくてはならなくなった。
いや、違う。
これは未来への投資であって、断じて俺は働いているわけではないのである。
将来金に物を言わせて引き篭もるために、必要な努力をするだけなのである。
再び冒険者ギルド《精霊の箱庭》に足を運ぶと、何故か周囲の冒険者が数奇なものを目にしたかのごとく、ざわつき始めた。
慣れない視線が俺に集まる。
注目なんてされたことは一度もない俺は、そんな視線を避けるように、それでいて気づいていない体を装いながら、依頼掲示板から簡単そうな薬草採取を選び、依頼受注を担当するカウンターへと向かった。
「あ、あの、これお願いします」
しかしまあ、どうしてこう、ギルドの受付は皆美人なのだろうか。
俺は目の前の銀髪美女に依頼書を渡しながら、彼女の姿を観察してそう思わずにはいられない。
そもそも、俺は女性は苦手である。嫌いとすら言ってもいい。女とはイケメンに好意を抱き、イケメンと交際をし、イケメンの傍に永住する生き物である。たとえ目の前の美女がどれ程可愛かろうと、魅力に溢れていようと、俺みたいな平凡、コミュ障、根暗、おまけに口が悪く、鬱陶しい戯言をほざくような人種を相手にしない以上、価値のない存在なのである。
それどころか、可愛い女性はそれだけで弊害を生む。喋りかけることは難しいし、今だって若干声が上ずってしまう。まあ、それは女性慣れしていない俺のせいかもしれないが。いや、完全に俺が悪いのだろうけれど。
それに、女性はずるい。彼女達は幾ら悪いことをしようが、「ごめんね」と一言可愛く謝られると、強く責められないし、許してしまいそうになる。無茶なお願いだって聞きたくなるし、困っていたら手を差し伸べたくなる。物語の主人公が、適当な理由をつけて女の子を助けたりしているが、すべての本質を述べるならば、それはただ単に彼女達が可愛いから助けようとしているだけなのである。決して言葉通りの「正義」なんかではないのだ。現に、いつも主人公が助けるのは可愛いヒロイン、あるいは後に可愛くなるヒロインであり、男を助ける、そして仲間にするなんてシーンは滅多に見ることができない。
女性とは理不尽な存在であり、男とは女性の理不尽に嫌がおうにも従ってしまう哀れな生き物なのである。
来世では美女に生まれ変わるのも悪くない。
「あっ、はい……承りました」
くせ毛が特徴的な銀髪、若干垂れ目な美女の名前は、リシア。豊満とはいえないが確かに膨らむ胸につけられたネームプレートに、そう記されていた。
リシアは訝しげに俺と依頼書を見比べながら、口を開いた。
「それにしても……地味ですね」
「それは俺の容姿のことですか、泣きますよ」
「あ、違います! そうじゃなくてですね、レイお爺様のお弟子さんが薬草採取なんて依頼を受けているのが地味という意味でして、そのシラヌイ様のことでは決して!」
「ああ、そうですか」
良かった。
危うく死んじゃう所だったよ、精神的に。
「後、俺はあんな糞爺の弟子なんかじゃねぇ!」
「え!? でも、ギルド内ではもうすっかりと有名になっちゃってますよ? それに、お爺様を爺呼ばわりだなんて、ギルドマスターでもおいそれとはできません、やはり並々ならぬ関係がお二人にはありそうです!」
そのせいか、この奇異な視線の原因は!
あの糞爺、いつかボコボコにしてやる、まあ無理だろうけど。
「とにかく、俺はあんなスパルタ爺の弟子じゃありません」
「またまた~、でも、レイお爺様のお弟子さんなら、Aランク依頼――そうですね、ドラゴン狩りとか魔族狩りに行くなんて言い出すものかと思っていましたけど、これなら大丈夫みたいですね。冒険者は命あっての物種です、あまり無茶なことはしないでくださいね」
何を的外れな心配をしているのだろうか、この人は。そういえば、掲示板の一番上に高々とドラゴン討伐、それと魔族討伐の依頼が掲げられているのを見たな。そんな物は化物爺にでも任せておけばいいのだ。
そんなめんどくさいこと、俺がするはずがない。危険がなく、それでいて金が入り、経験値が美味しい、そんなネットゲームさながらの狩場こそ、俺が目指す理想なのである。まずは手始めとして、初心者御用達、誰にでもできる簡潔な依頼からやってみよう。
「まあ、無茶はしません。パパッと薬草を集めてきますね」
「はい、お気をつけて」
そう、無茶をする気なんて、これっぽちもなかった。むしろ、するはずがないと、この時の俺は信じてやまなかったのである。
◇
と言うわけで、異世界定番の薬草採取である。
一番ランクの低いFランクの依頼だ。だが、ギルドが四六時中依頼を提示している。
理由は簡潔、需要があるのだ。
異世界には魔力なんてものが当たり前に存在しているので、元いた世界よりも薬の効果が高いのである。回復薬なんてものも存在するし、解熱剤や状態異常を回復させる薬もある。それらの効果は総じて高いこともあり、必然的に誰もがその恩恵にあずかろうとするのだ。
受注した理由はこれまた単純で、チートを生かした金儲けをするためである。無機物でもその正体が分かる魔眼の力さえあれば、毒草と薬草を見間違えることもないだろうし。それに危険度も低め。
今回、やってきた場所は、ウィズリア大森林。王都から北西に少し進んだ所から広がっている比較的明るい森で、元の世界で例えるならば、四国と同じ程度の大きさを誇る森林地帯だった。
樹齢何百年にも及ぶであろう木々が空を覆い隠すように葉を広げている。薄暗い視界、地に落ちた枯れ枝を踏み割る音が耳に触れた。
だけれど、そんな自分の足音でさえも、気にしていられるほど俺に心のゆとりは存在していなかった。
不気味なのだ。
何が、と言われれば分からないと答えるしかないが、森に入った瞬間、空気が変わった。
それは確かな感覚だ。
俺は肌で、野生の世界、危険地帯の空気を感じていた。
(うへ~、現実は難易度が高い……たかだか森に入っただけでこれか……我ながら情けない)
誰だ、薬草採取を観覧だとか、素人向けだとか言っていた馬鹿は。
現実はアニメや本と全然違う。
踏みしめる大地が、木々の香りが、猛獣の声が、見慣れない現実が、現代人の感覚を壊そうと押しよせてくる。
いくらチートがあるとはいえ、平然と森や危険な場所を出歩く主人公達に感嘆の念すら覚えそうだ。俺は多少なりともチートを持っていて、見真似したスキルも多くもっていて、薄暗い場所もはっきりと視界に収めているのに、こんなにも恐怖を感じているのだから。
追いついていないのは精神の方。肉体的には糞爺の訓練の方がきつかったし、能力的にも充実したスキルがある。
だから後は覚悟の問題だ。
立ち向かえ、勇気ある弱者よ。心に撤退の二文字を刻みながら。
覚悟しろ、臆病な弱虫よ。折れること常に意識に持ちながら。
ここは現実だ。
ここが俺の今生きる世界だ。
生きている世界なんだ。
さあ、口を開け。前を向け。
「ここはどうしようもない、現実だ」
気持ちを切り替え、盗視の魔眼で目樹木に隠れた一束の草を鑑定する。
ヒリング草
状態、良
当たりだ。
俺は見つけ出したヒリング草をバックに入れる。
鑑定スキルは便利だ。
戦闘でも非常にお世話になるが、こういった平和的利用法の方が有意義なのである。いっそ、どちらもいらないから透視能力がゲフンゲフン。
こんなに簡単に目標物が手に入ると、この不気味で危険な森も、宝の山に見えなくもない。
緊張も心地よく解け、野性味溢れる森の空気にも慣れ、調子に乗りながら薬草を集め続けた。傷薬用のヒリング草、毒全般に効果的なポイゾナ草、漢方の材料にされる月光草、高価なポーションの材料、リザレク草。
大当たりはリザレク草である。
かなり深くもぐった所、日光が一切差し込まない洞窟の奥で、一際輝きを放っていた一束の露草は、満月の如く美しく、鮮やかな光はオーロラのように幻想的であった。それがリザレク草だと知ったときは思わずガッツポーズである。そのまま口にすれば病や傷をたちまち癒すし、調合してポーションにすれば部位の欠損や失った光、音などさえも癒すと言われている至宝だ。
運がいい。
物凄く運がいい。
主人公補正でもついているのではないだろうか。
広大なウィズリア大森林の中でさえ、リザレク草の発見は過去に数える程度しかない。売れば一生遊べるほどではないにしろ、数年はのんびり暮らせる。家くらいなら買えるかもしれない。
年甲斐もなく満面の笑みで、似合わないと分かっていながらスキップをしながら、洞窟を出ると、心地よい興奮を妨害するように、静けさの満ちる森に爆音が轟いた。
(何だっ! 魔物? いや、爆発ってことは魔法か? 多分、冒険者が何かと闘っているのだろうか)
せっかくの興奮が止む。
帰るまでが遠足で、五体満足で帰還できなければ、こんな草いくら持っていても仕方がないのだ。
ここはあれだ。
逃げよう。
即断即決である。
三十六系逃げるにしかず。
わざわざ危険そうな場所に近づく必要などない。有事の際は目を瞑れ、巻き込まれる前に関係を断ち切り、関わらないのが一番である。
平穏は努力しなければあっさりと崩れるものなのだ。気を使って強者に媚びなければ社会からは除け者にされるし、格好つけたり、見栄を張ったり、虚勢を装ったり、虚言を吐けば、すぐに敵にされる。
弱者は逃げる努力をしなければ、平穏を保つことはできない。
今回も同じだ。
だから俺は洞窟に引き返した。
もともと深い茂みの奥、棘を生やした植物の奥地に隠れるように存在していたこの洞窟だ。見つかることはまずないだろう。俺も魔眼の卓越した視力がなければ見逃していたかもしれないし。
外の戦闘が、俺とは違う場で解決するまで、ほとぼりをここらで冷ますのがいいだろう。
静けさの残る洞穴。僅かに染み出た水滴の滴る音だけが響く。どこか違う場所では、轟音が響いていた。
だけど俺には聞えない。
光のない洞穴。唯一の光源がなくなった洞窟は真っ暗闇で、ランプ代わりの火の魔石だけが辺りを照らしていた。どこか違う場所からは光が差し込む。
だけど俺には見えない。
俺は知っている。
誰かを助けるなんておこがましく、図々しい善は身を滅ぼす。踏み外した道を軌道修正するのは命を絶つことで逃げる人間がいるほど、大変で、残酷で、過酷なことを俺は身をもって知っているのだ。
だから、俺はこんな薄暗い場所で一人で膝を抱えるのだ。そして、それで俺は満足しているのだと思う。
暗闇と同化するように思考に埋没していく内に、何時しか音はなくなって、何も知らない場所で、何らかの結末へと辿り着いた出来事が帰結した。
どうなったかは分からない。何が起こっているのかも分からない。なら、考えるのはこれからのことだ。戦っていたのが人対人なら勝者に見つからないように帰る、見つかったら媚びる。人対魔物なら人が勝ったならよし、魔物が勝ったなら警戒して出会わないようにする。魔物対魔物なら細心の警戒が必要だな。
いっそ、戦っていたであろう二者が両方とも倒れていてくれたら俺は安全なんだけどな。
まあ、そう都合よくはいかないだろう。おそらく戦っていたのは人と人。なぜなら魔物らしい雄叫びが聞えなかったから。薬草採取をしていたとき、狼のような魔物と戦ったが、襲い掛かるときは咆哮、仲間がやれてもまた咆哮、実に野性味に溢れ、うるさかったが、そんな声は聞こえてこない。
なら、戦っていたのは人同士だろう。
わざわざ隠れてやり過ごす必要はなかったかもしれないが、巻き込まれるのはごめんだ。
冒険者同士のいざこざ、争いは珍しいものではない。そもそも、多くのギルドが競い合うのがこの世界の冒険者なのだから、獲物が被ったりすれば、自然と争いは起こる。冒険者の大半は口よりも拳で語る方が好きな人間が多いから、一番可能性は高そうだ。
全く糞ったれな人種である。俺もその一員だと思うと寒気がする。
さあ、帰ろう。
帰れば、薬草を売った代金でのんびりできるし、ニナちゃんの金を巻き上げなくてもすむんだ。
不気味なほど静かな洞窟を抜けようと、重くなった足を必死に動かそうと一歩踏み出したとき、地面に滴る水音が聞えた。それは背を向けた洞窟からではない。
目の前からだ。
足音が風に運ばれ鼓膜を揺らした。
風に運ばれたのは音だけではない。生々しい鉄の香り。
乾いた眼球に光が差し、水晶体に映し出されたのは、純白の肢体に生々しい傷を刻み、全身に血化粧を施した、小さな小さな女の子だった。
少女は朦朧とした意識で、幻でも見ているかのような定まらない瞳で、それでも俺を見て警戒の色を見せた。
そしてそれは俺も同じだ。
無造作に腰に携えていた剣を俺は抜いていた。
俺の首筋には冷や汗が、少女の髪先からは深紅の液体が同時にたれ、地面に微かな音を残した。
それは確かに少女の容をしていたが、人ではなかったのだ。
白銀の髪の上には小さな角が、パッチリとした両目は左右の色が異なっていた。淡い海を彷彿とするアクアマリン、燃える火山のようなルビー、そんな瞳は彼女が人ではなく、それでいて魔族でもないことを如実に示していた。
夥しい量の傷から血を流し続ける少女は、気丈に振舞うには限界を超えていた。意識が薄れているのか真っ直ぐ地面に立つこともできず、その場に崩れ落ちた。浮かべていた警戒は諦めに、ぶつけていた敵意は微かな希望に縋ろうとする少女のような眼差しに変わった。
倒れる少女を見下ろしながら、俺は混乱を振り払うがために頭をかいたが、結局落ち着くことはできなかった。
俺の予想は外れも外れ、大外れで、的外れで、見当違いだった。
戦っていたのは人間と魔族。正確には魔族とも人間とも違う出来損ない、そう認識されている半人半魔のハーフだったのだ。社会に疎まれながら世界に存在する哀れな弱者だったのである。
尽きゆく命の残影を見据える俺に、少女はたった一言、余りにも重い一言を口にした。
「……た……す……けて……」
運がいいだって?
数時間前の自分を殴り飛ばしてやりたくなる。
俺に運がなかったのか、はたまた彼女に運があったのか、俺は半人半魔の少女、ルナと出会ってしまったのだった。
◇
「……んっ」
寝息を立て、幸せそうに眠る少女が一人。
名前も知らない少女が一人。
それを見守る少年が一人。
「ったく……人の気も知らないで幸せそうな顔しやがって……」
闇に同化していると錯覚するほどに、俺は大きく肩を落したまま、下を向く。
「にしても……気の迷いってだけじゃ説明できないよな……なんで俺は……くそっ! 意味分んねーよ……」
せっかく手に入れた財産を投げ打って、少女を助けても何らを得をしない。むしろ損をする。下手したら人生が終わるほどの失敗になるかもしれない。
意味のないことだ。
何の義務も責任もない。
大切なのは自分だ。
なら!
なら、取るべき手段はそうじゃないだろうが。
首をはねて討伐すればよかった。捕まえて引き渡せばよかった。売り払って金にすればよかった。冒険者に引き渡して恩を売ればよかった。街に連行して手柄にすればよかった。
そんな安易で簡単で、当然の方法が目の前にあったのに。
「くそ……ほんとに、意味わかんねーよ、ちくしょう」
呟きながら洞窟を出る。
眠る少女に背を向けて。
(ああ、ほんと意味わかんねーわ……主人公気取りか? 英雄気取りか? そんでまた無意味に自分をどん底に落とすのか?)
暗闇だ。
一切の光明がないあの場は、俺にとって絶望が染め上げた暗闇だった。
果てしなく暗く、何処までも深いあの日々に戻りたいのか。
世界が変わって、チートが手に入って、もう弱者だったあの日々を俺は忘れてしまったのか。
違う。
忘れるはずがないし、忘れるなんてできるわけがない。
刻み付けられた弱者の烙印は深く深く心に残っている。
こんな分かりきった問答に意味はない。
必要なのは覚悟だけ。
勝手に巻いた火種の後始末をする覚悟だけだ。
これから馬鹿やった自分の尻を拭わなくてはならないのだから。
「おい、そこの冒険者、ここいらで魔族を見なかったか?」
確認しなくたって、血の跡で分かるだろうが筋肉達磨の冒険者め。
視界に映ったのは男二人組の冒険者。片方は筋肉質の男で剣を携えている。もう片方は杖を持っているから魔法使いか。
「これがあれか、子を守る親鳥の気持ちってやつか……」
自業自得とはいえ、そうでも言っておかなければやる気さえも失いそうだった。俺はため息混じりに視線を二人の男へと集中させた。
ゲイン
種族 人間
性別 男
年齢 29
所属ギルド 天の架け橋
《スキル》 剣術Lv5 体術Lv5 身体能力強化Lv5 弓術Lv3
《称号》 筋肉達磨
ヒース
種族 人間
性別 男
年齢 31
所属ギルド 天の架け橋
《スキル》 風魔法Lv4 水魔法Lv4 治癒魔法Lv3 魔力感知Lv3 魔力操作Lv3 短槍術Lv3 体術Lv1
称号 二属性
分かっていたが格上だ。
それも二対一。
「分けわかんねーこと言ってんじゃねーよ! ほれ、さっさと女の逃げた場所を言え! 案内しろ! 俺らはAランクギルド、天の架け橋の冒険者だ」
知ってるっての。
声でけーよ。
「おやおや、筋肉の言うことが珍しく正論ですね。ただでさえ今回の魔族討伐に失敗しているのです。ガキの一人くらいは連れて帰らないとギルマスにどやされてしまいますので」
「ああんっ! 誰が筋肉だ、女男!」
「ほう、それは私のこの適度に痩せた体格のことを揶揄しているのでしょうか?」
「適度だっ? 病人でもお前よりかはましだ、貧弱魔術師!」
「ふむ、どうやら先に倒すべき相手がいたようですね」
「上等だこらっ! ぶっ殺してやる!」
何だ、予想以上に愉快な奴等だな。
放っておいたら自滅してくれないかな、こいつ等。
「俺は精霊の箱庭の冒険者だ、よろしく頼む愉快な冒険者様。さてさて、何やら誰かをお探しのようですがこっちには誰も来てませんよ――――――なんて言えば帰っていただけないですかね~」
「ふむ」
「はっ!」
二人は醜く言い合っているかと思ったが、同時に冷めた表情を浮かべた。
「つまり、俺達を敵に回すってか。まあ、度胸のある奴は嫌いじゃないが、バカは嫌いだぜ、俺は」
ゲインが言った。
「バカがバカを嫌うとは、同族嫌悪ですか」
やれやれ、と言わんが如く肩を竦めるヒース。
「んだとごらぁ!」
「ですが、いまいち私は貴方がよく分かりませんね……一瞬本当にこちらに魔族が来ていないのかと思いましたが、そんなことはありえない。なら、本当に分かりません。あんな出来損ないのゴミを庇う理由なんてないでしょう? もし、万が一そうなら、貴方は私達どころか人類を敵に回しますよ? 本当に訳がわかんないですね」
「はっ……全くな、俺だって何でこんな真似してんのか訳わかんねーよ……でもな――」
ああ、知っている。
彼女を庇うことは世界の大多数を敵に回すことだ。
多くの人間を不幸に導き、秩序を破壊する行為だ。
だけど、そんなことは知ったこっちゃねーんだよ!
社会が、強者が、人間が、間違っていることなんて幾らでもある。
少数が迫害されるなんてことは、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、幾度も、人間が間違えて辿ってきた道だ。
知らず知らずに犯してきた罪深き業だ。
そして、間違われたが故に悲劇に見舞われた哀れな弱者の気持ちは、同じ弱者にしかわかんねーんだよ!
お前らにはわかんねーよ……。
人類が敵?
冒険者が敵?
宗教が敵?
お前らが敵?
そんなのはいつも通りで、当たり前すぎて、考えもしなかったよ。
「――でも、俺は這いつくばって砂利と血の混ざった汚物を口一杯に頬張ったことがあるんだよ」
「「はぁ?」」
「分かんなくていいよ、分かって貰おうとも思わないし……まあ、でもあれだ、せっかく世界の中に生まれたんだ、生きることぐらいさせてくれたって、罰はあたんねーんだよ」
剣を抜く。
慣れたもんだ。チート様様だよ全く。
たった一日で剣術が使えるんだからな。
ユニークスキル、剣王発動。
「さあ、いつも通り抗いましょうかね」