『姉』妹③
「それより、あの兵士がこっちに向けて殺気とも違う気を放ってるが、なんなんだ? こっちに近づいてきてるぞ?」
男の『兵士』という言葉に反応し、あたしはすぐに男の指差した方向を見た。
「な、何? 誰のこと?」
だけど、あたしの見る限り、そんな人物は見当たらない。
「あいつだよ。ほら、でっかい槍持ってる奴」
「……?」
でかい槍を持っていれば普通目立つはずなのだが、やはりあたしには見つけることが出来なかった。
「お、ねぇちゃ、ん。……ぁ、いつらだ、ょ」
「し、シーナっ!? あ、あいつらって、もうここまで来たの!?」
あたしはシーナの言葉に驚き、焦る。
「うん」
ここプリステンダムにはしばらく身を隠せると思ったのに、もう、見つかってしまった。
何人もの仲間が犠牲になって、みんながあたしたちのために闘ってくれて、ようやく、あたしたち二人だけがあそこから逃げ出せたのに、もう、捕まってしまうの?
……ううん。
まだ、捕まったわけじゃない。
いくら相手がミレトスの兵士だとしても、逃げ切れるかもしれないわ。
諦めちゃ駄目よ、あたし。
シーナは、あたしが守るんだから!
「し、しっかりして! シーナっ! 逃げるわよっ!」
あたしはそう言ってシーナ手を引き、走り出した。
シーナは走るのも辛そうだったけど、頑張ってもらうしかない。
あたしたちを避け、周りに誰もいなくなっていた空間から人混みに紛れようとする。だが、人々はあたしたちに関わりたくないとばかりに道を空けてしまい、人混みに紛れることは敵わなかった。
「おいそこの男っ! その二人を捕まえろっ!」
ふと後ろから、そんな声が聞こえた。
おそらく、兵士があの男に向けて叫んだのだろう。
「おい早くしないか! 貴様! ミレトスに逆らうのかッ!」
普通の人間が、ミレトスの兵士に逆えるはずもない。あの男はすぐにでもあたしたちを追ってくるだろう。
そうしたら、本当に――やばい。
男とあたしたちの距離は近かったし、なにより、あいつは男であたしたちは女。
まともに追われたら、勝てるはずもないのだ。
「――――っ」
なら、どうすれば。どうすればっ、あたしたちは逃げ切れるの?
必死でその応えを追い求めるが、焦りすぎているあたしの頭では、まともに考えることなど出来なかった。表情にも、確かな焦りが出てしまっている。
こんなあたしの表情を見たらシーナまで心配してしまうのに。あたしの方がお姉ちゃんだから、妹を守らないきゃいけないのに。強くなきゃ、いけないのに。
ホント、あたしは情けない姉だ。
そんなことを思いながらシーナから顔を隠すように前を向き、代わりにシーナの手を強く握りしめた。
「お姉ちゃん」
そんなあたしの手を握り返して、シーナはそう呟く。
そしてどうしてか、シーナはあたしの手を強く引き返し、急に立ち止まったのだった。
「し、シーナ!? どうしたの!?」
「あれ、見て? お兄ちゃんが。あのお兄ちゃんが――闘ってるよ?」
シーナは指差しながら、あたしの問いに応えた。
あたしはシーナの指差す方向を見て、驚愕する。
あの男が兵士と対峙し、今まさに攻撃を開始しようとしていたのだ。
なぜあの男がミレトスの兵士と闘おうとしているのかは分からない。だけど、これは千歳一隅のチャンスだと、あたしは思った。この気を逃してしまったら、もう逃げ切ることなどできないだろう、と、そうとも思った。
「シーナっ! 今の内に逃げるわよっ!」
あたしはシーナの手を引き、走り出そうとする。
でも、
「ううん。お姉ちゃん」
と、シーナは抵抗し、その場に留まろうとした。
「え、え!? な、なんで!? シーナ!?」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん。あのお兄ちゃんはきっと、勝ってくれると思うから」
シーナがそう言ったのと、同時。
ミレトスの兵士は、バタッ、と、その場に倒れた。
人々をなぎ倒し、偉そうに叫んでいた兵士が。
早く去って欲しいと、多くの人間に迷惑がられていた兵士が。
いとも簡単に倒されたのだ。
人々は唖然とし、市場にはいつもの喧騒からは想像できない静寂が訪れていた。
「…………」
そしてあたしも同様に口をぱくぱくとさせ、驚いている。
あたしには、あの男が手をかざしただけのように見えた。それなのに、現に兵士は倒れているのだ。
あの男は、そんなにも強いのだろうか?
「ね? お姉ちゃん。わたしの言った通り」
ふと、手を繋いでいるシーナがにこっと笑いながら言った。
その笑顔は我が妹ながら抱きしめたくなるほどに可愛く、あたしの緊迫していた心を吹き飛ばしてくれた。
それにもしかしたら、ここに居る人々のなかでこの子だけが、ミレトスの兵士が倒されても驚いていないのかもしれない。
「……やっぱり、シーナはすごいわねっ」
未だこの市場に静寂が続く中、あたしはシーナに笑顔を返しながら言う。
「えへへ」
あたしの言葉で、シーナは嬉しそうにはにかんだ。
照れ笑いを浮かべるシーナも可愛すぎるので、結局あたしはシーナを抱きしめることにした。
そして柔らかいシーナの体躯を抱きしめながら、あたしは思う。
あの男ならあたしたちを守ってくれるかもしれない、と。
守られるのは好きじゃないけど、あたし一人じゃ大切なシーナを守りきれないから。
あの男に頼もう、と。
あたしはそう決断した。
人に頼むなんて格好悪いかもしれない。
自分の妹なのに、守りきれないからって他の人に守って貰うなんて――格好悪いかもしれない。
だけど。
例えそれがどんなに恥ずかしいことだとしても。
どんなに惨めなことだとしても。
あたしがただの非力な女だからこそ、そんなあたしでもできることならなんだってしてやる、って。シーナを守るためならなんだってしてやる、って。
とっくに決めていたのだった。
女の子の一人称は難しいですね
慣れないです