姉妹 ②
「あー。そこの、えーっと、嬢ちゃん。……そんな格好で、寒くねぇのか?」
吸い込まれるように少女に近づいた俺は、周りに人が居ない中ぽつんと二人、場違いにそう話しかける。近づいてみると少女の小柄さが一層際立ち、幼いながら整った顔、どんな扱いを受けていたのか、さらさらとは言い難いショートカットが目についた。
俺の言葉に反応した少女は、今にも泣き出しそうな瞳を此方に向け、応える。
「……寒い、です」
と。
まぁ、当たり前だろう。
好きでそんな格好してる訳がなかった。
「じゃあなんで、そんな恰好してんだ?」
理由があるなら、なぜなのだろうか。
人間に関しての知識がまだ浅い俺では、考えても分からないだろうし、聞いた方が早い。
そう思って軽く聞いてみるのだが、俺の問いに少女は悲しげな顔をし、遂には俯いてしまう。
「あそこでは、これしか。……これしか、着させてくれなかったんです」
これしか、着させてくれない?
こんな小さな少女に、薄汚い布切れ一枚しか、着させないのか?
「……」
俺の中で、なんともいえぬ不快な感情が膨らんだ。
この少女にどんな理由があるのかは分からない。
めんどくさいし、そこまで介入するつもりもない。
だが、こんな小さな少女がこの寒い中肌を露出し、体を震わせている姿は、見ていられるはずもなかった。
故意的にこの少女に布切れ一枚しか与えないなど、どんな人間なのだろうか。
「……なんつーか。これ、やるよ」
俺は一番上に羽織っていた白いローブを脱ぎ、少女に差し出した。
キザっぽくて微妙に恥ずかしさを感じ、頭をぽりぽりと掻く。
「い、いいんですかっ? で、でも……」
少女は俺の言葉で顔をばぁっと明るくするが、すぐに申し訳なさそうな顔をする。
「あー俺は、気にすんな。魔力で寒さなんか消せるから」
「そうなんですか?」
「ああ。だから、ほら」
半ば強引に、少女にローブを手渡そうとした。
――刹那。
「シーナっっ! ここに。ここにいたのっ」
と、ローブが少女の手に渡る直前、何者かが声を張り上げた。
そして声を上げた人間は少女の元へと走り寄り、小さな体を抱きしめる。
「よかった。……ホントに。ホントに、よかった。心配、したんだからね。シーナっ」
いきなり現れた女は、少女と同じく体を覆う物は布切れ一枚。首には首輪を嵌められ、傷だらけの生足をさらけ出していた。
「お、お姉ちゃんっ」
抱きしめられた少女は、お姉ちゃんと呼んだ存在の胸に顔を埋める。
「怖かった。怖かったよぉ。みんなわたしを無視して。すごく、すごく……怖かった」
「もう大丈夫。大丈夫よ、シーナ。あたしは無視しないから。ずっと、一緒だから」
この二人にどういった経緯があるのかは知らないが、なんだか、俺だけが場違いなような気がしてくる。
ローブを片手に、女の子二人が抱き合う姿を見ているのも虚しいので、さっさとこれを渡してここから退散したい気分にかられた。
やがて現れた女は俺の存在に気付くと、抱きしめていた少女を解放し、こちらに顔を向けた。
「あなた、誰ですか?」
ストレートに聞いてくる。
「俺? 俺は――」
「も、もしかして、あなた。うちの妹が可愛いからって、攫おうとしてたんですか……?」
女は言いながら、妹と共に後ずさる。
「――んなわけねぇだろ」
なんつー言いがかりだよ。
「そ、そうだよ。お姉ちゃん。このお兄ちゃんはわたしに、ローブをくれようとしてたんだよ? 失礼だよぅ」
妹の方は俺の肩を持ち、そう言ってくれるが、姉の方はまだ信じてないらしい。
「ちょっと失礼するわね」と言うと、妹と二人俺から背を向け、内緒話を始めた。
だが、俺の異常に発達した耳は、そのすべてを聞きとってしまうのである。
「シーナ。知らない人から何かをもらっちゃ、駄目でしょ? あーいう人間は、ロリコンに決まってるんだから」
……マジか。
「で、でも、良い人そうだったよ?」
「ロリコンはみんなそうやって優しい人間という仮面を付けて、あんたみたいな可愛い子に近づいていくのよ」
「わ、わたし……可愛い子」
いや、そこか。
「そうよ。あたしに似て可愛い――って何言わせてんのよっ!」
「わたし何も言わせてないよぅ」
なんか色々ずれている姉妹である。
「と、とりあえず、いい? シーナ。あたしのいないところで、あーいう人間から何かをもらったり話したりしちゃ、ダメだからね? お姉ちゃん、チョップしちゃうからね?」
「う、うん。分かった」
「じゃあ、あたしがあの男にびしっと『この変態!』って言うから、そしたらすぐに逃げようね?」
……。
「だ、駄目だよ、お姉ちゃん。そんなこと言っちゃ……。それに、あのお兄ちゃん。やっぱり悪い人には見えないよ」
「そう?」
「うん。……だって。わたしに、話しかけてくれるんだよ?」
「まぁ、確かに。この首輪を見れば、普通の人間は近づいてこないものね。でも、そんなことすら気にしない変態という可能性も……」
いや、どんだけ俺を変態にしたいんだよ、と無意識に心の中でつっこんでしまう。
「そ、そうなのかな?」
「きっとそうよ」
「で、でも、お姉ちゃん。わたしに話しかけてくれただけじゃなくて、あのお兄ちゃんからは温かい魔力を感じたの。だからやっぱり、良い人だと思うな」
温かい魔力、という言葉に俺は反応する。
「そう。シーナがそこまで言うなら、そうなのかもね」
「うん。きっとそうだよ」
「じゃあ、ローブもらってお礼言って、『この変態!』って言おっか」
「こ、この変態は余計だよぅ! お姉ちゃん」
仲のよさそうな姉妹は内緒話を終えると、俺の方に向き直した。
そして、姉の方が口を開く。
「え、えーっと。妹に親切にしてくれたみたいですね。あ、ありがとうございます」
照れくさそうに、そうお礼を言ってくる。
何も聞こえていなかったらまぁ良かったのだが、全部聞こえていた俺としては、ものすごく複雑な気分である。
「あー。一応言っとくが、お前らの話、全部聞こえてたからな?」
「え、えっ!?」
俺の言葉を聞いた女は声を上げて驚き、だらだらと汗をこぼし始めた。相当焦っているのが見て取れる。
だが対照的に、妹の方はあまり焦ってはいなかった。
というか、小さい子供だからあまり意識していなかったが、この子には見たことのない魔力を感じる。
俺の魔力は温かい、とかも言っていたし、何者なんだろうか。
それにさっきまで泣きそうだったのに、今のちょっとした余裕さ。もしかしたら俺が会話を聞こえてる、ということにも気付いていたのかもしれない。
まぁ、考えすぎかもしれないが。
「ききき聞こえてたのっ!?」
一方相変わらず姉の方は焦っていて、一人であたふたとしている。
なんか、こいつはもはや面白い。
「まぁな。俺、耳良いから」
「お、乙女の内緒話を盗み聞くなんてっ。や、やっぱりあんた変態ねっ!」
どんな言いがかりだよ。
「盗み聞いたんじゃねぇ。聞こえちまうんだよ」
俺がそう反論すると、便乗して妹の方も口を開いた。
「そ、そうだよ、お姉ちゃん。失礼だよぅ……。一緒に、素直に謝ろ?」
「……う、うー。シーナが、そう言うなら……。分かったわよ。謝るわよ」
「別に、無理して謝んなくてもいいぞ? 怒ってねえし」
わざわざこんなことで怒るなど、めんどくさいだけだ。
「ホント!?」
「――だ、駄目だよぅ。お姉ちゃん。謝るの!」
姉よりも背が小さく、幼い顔立ちをしている妹の方が、確実にしっかりしているような気がする。だが姉が来たことにより、泣きそうだった表情が一変する辺り、やはり子供なのだろう。
「いいよ別に。ホントになんとも思ってねぇから」
それより。
と、俺は話を展開し、さっきから気になっていたことを二人に告げた。
「――あの兵士がこっちに向けて、殺気とも何処か違う気を放ってるが、なんなんだ? こっちに近づいてきてるぞ?」
俺はそう言って、姉妹の背後を指差す。
人ごみでかろうじて垣間見える程度ではあるが、そこには銀色の装甲で身を纏い、背丈よりも長い槍を持った人間がいた。
その人間は明らかにこの二人の少女に視線を向け、隠しきれない気を漏らしている。この姉妹にばれないように近づいてきている様子は窺えるが、俺が居て欺けるはずもなかった。
「な、何? 誰のこと?」
俺の指差す方向を見てみるものの、未だその兵士を認識できていないらしい。
「あいつだよ。ほら、でかい槍持ってる奴」
「……?」
もう一度兵士のいる場所を指差してみるが、女はきょとんとするばかりである。
あの兵士が気配を少し隠してるのもあって、普通の人間では存在を認識することが難しいのかもしれない。
だが、姉の方とは違い、魔力を感じることができるらしい妹のシーナは、その兵士を見つけたようだった。兵士の姿を認識した途端、顔色を真っ青に変え、姉と話しているときとは全く違う、弱々しい声で呟いた。
「お、ねぇちゃ、ん。……ぁ、ぃつら、だょ」
「し、シーナっ!? あ、あいつらって、もうここまで来たの!?」
「うん」
「し、しっかりして! シーナっ! に、逃げるわよっ!」
そう言って、姉はシーナと呼ばれた妹の手を引き、人ごみに紛れようとする。
だが、兵士の方も気付かれたということに気付いたのか、気配を隠すことを止め、全速力で少女二人を追い始めた。
兵士の走るスピードは装甲に強い魔力が込められていることもあり、驚くほどに早い。さらにその走る姿は力強く、一般人をなぎ倒しながら一直線上に少女二人を追っているのだった。この姉妹が追いつかれるのは、時間の問題だろう。
「おいそこの男っ! その二人を捕まえろっ!」
自分を何様だと思っているのか、兵士は走りながら俺にそう叫ぶ。
当然、めんどくさいし、周りの人間に迷惑を巻き散らかしてる奴の言うことなど、俺が従うはずも無い。
「おい早くしないか! 貴様! ミレトスに逆らうのかッ!」
なんだ。ミレトスって。
「はぁ……。めんどくせぇ」
誰にも聞こえないような声でそう呟き、まだ幾分か距離のある兵士の眼光を見据えた。
この兵士の目。
こういう目を俺は知っている。
自分に逆らえるはずがない。黙って俺の命令を聞いてりゃいいんだ、と。
そう思ってる奴の目。
権力や腕力を振りかざし、自分が優越であることを信じ疑わない。
そんな奴の、目。
そして。
――俺の大嫌いな、目。