ミレトス
一国を壊滅させる。
それは思っている以上に大変なことであり、めんどくさいことだろう。
だが、めんどくさいからと言って、ミエルに手伝って貰おうとはしなかった。
これは俺の意地だ。
動機が動機であるし、ミエルに知られたらめんどくさいことになる、という意味での意地である。
だが、もう一つの意地。
シーナとユーリには、俺がミレトスを倒しに行くことを知られたくはなかった。
シーナとユーリのためにミレトスを倒しに行くのだと、思われたくはなかった。
これも、意地。
だがこの意地は、大事な意地だった。
このことがユーリに知られでもしたら、あいつは一層俺に感謝し、いよいよ引け目を感じ始めるかもしれない、と。これからも共に過ごしていくつもりならば、それは避けたかったのだ。
くどいようだが、俺は嫌いなんだ。
遠慮するのも、されるのも。
気を遣うのも、遣われるのも、な。
『武力と服従の都ミレトス』
ギゼルの使者から貰った記憶を頼りに高速で飛び立ち、ものの数分でミレトスへと着いた。俺が見た他の国のように、周囲に市場が展開されるようなことはなく、只の荒野。みるからに閉鎖的であり、強風が砂埃だけを巻き上げる。俺は一度その荒野に降り立ち、下からミレトス全体を見上げた。
ここがいろんな奴が言っていたミレトスなのか、と、まず感慨深かく、次にここがシーナとユーリを苦しめていた国なのかと、怒りとも言えぬ感情が沸き上がった。
目の前の城壁。
軍事の国と呼ばれるギゼルよりも遙かに高く太く、強固な城壁。ミレトスの紋章であるどす黒い龍の刻印が、大々的に描かれている。
俺は衝動的にこの城壁をぶち壊したくなった。
勿論、その欲求に逆らうことはしない。
――轟爆炎烬。
そう心の中で呟き、俺は両手を空高く挙げる。
両手の先に生み出された火球は周りの自然エネルギーを吸収していき、みるみるうちに大きくなっていった。
そして俺の10倍ほどの体積になったところで、その火球を城壁に向けて投げつける。
城壁には何十層にも渡る魔法壁が張り巡らされていたが、そんなものは俺にとって薄皮程度にしかならない。やがて火球は城壁に激突し、爆発。爆音を奏でる。
だが、人間の魔力で良くここまでの城壁を作り上げたものである。その城壁はぎりぎりの所で、破壊されることを拒んだのだ。
――轟爆炎烬。
そんな城壁にもう一度火球を放ち、今度こそ、完全に穴を開ける。
城壁ぐらい飛び越えることは可能なのだが、派手にやりたかった。
続いて、
――炎轟龍巻。
そう唱え、炎の竜巻を召喚。
城壁の残骸を巻き上げつつ、ミレトスの内部へとぶち込む。
加えて、
――焱炎火龍。
龍爆炎の超強化魔法を放った。
遙か頭上、全形20mを超える炎竜を『無の空間』を経由し、魔界から解き放つ。
ごおおおおおおおおおおおおお。
そして炎竜に自らの意志を与え、人以外の物を喰らい尽くす命令を与えた。炎竜は辺り中に火炎をまき散らし、ミレトス内部へと突撃していく。
これまでに放った三つの最高峰火属性魔法。
これによりミレトスの城壁は完全に崩れ落ち、ようやくここからでもその中身が見えてくる。
炎の竜巻が建物を巻き上げ、炎竜がそれを喰らう。ミレトスは火の海に包まれ、それは壮絶な光景だった。
――だが、にもかかわらず、人々の逃げ惑う姿はない。
むしろなんだ。
プリステンダムで出会った兵士とは比にならないほど強固な装甲をした兵士の編隊が、こちらに向かってくるのである。
なるほど。
炎の竜巻を見て。
炎竜を見て。
飛び交う火球を見て。
少しも動じることなく、歩を進める。
人に攻撃をしないよう魔力操作しているとはいえ、中々にさすがだ。
ここミレトスが他の国に恐れられるだけは、あるのかもしれない。
ホントいつ以来だろうか。
横一列に近づいてくる兵士たちを眺めながら。
常にめんどくさがり屋の俺が――。
――血湧き肉躍っていた。
死者を出してしまうかも知れない、と、そう思った。
俺は悪になるつもりはさらさらないが、あくまでも、正義でもないのである。
なれて偽善者、常に傍観者だ。
たまたま今回は偽善者になり、ミレトスを滅ぼそうとしているに過ぎない。
それ以上になるつもりは全くなかった。
そんなことを思いながら。
俺は空高く飛び立つ。
探査魔法で一般人が地上に居ないことを確認し、空中に魔法式を展開した。
そして大量の炎を次々と魔方陣から生み出し、やがて、炎の津波を作り出す。
紅に波打つその津波は炎の竜巻を超え、炎竜の大きさを遙かに超え、ミレトス全てを飲み込むべく前進する。
それを見て何を思ったのか、編隊を作り上げる兵士たちは一部に収束。
そしてその全員が詠唱を開始し、炎の津波に対抗する真性の津波を生み出す。最初は小さかった水の塊も重なるように徐々に大きくなっていき、やがて俺の炎の津波に匹敵するまでとなった。一人では無理だろうが、全ての兵士が協力することによってこの大きさ、この威力を生み出したのだ。
塵も積もれば山となる、か。
俺はその津波を眺めながら、そんな格言を思い出す。
――だが結局、それは俺一人の力にも及ばなかった。
炎の津波は水の津波とぶつかり合い、一瞬で蒸発する。
そして炎の津波は尚勢い衰えることなく、兵士全てを飲み込んだのだ。
溶岩。マグマ。
飲み込まれれば、耐えられるはずもない。
いくら強固の装甲だろうと。
いくら魔法壁を張り巡らせようと。
その全てを溶かしきるだろう。
――そう思い、油断した――刹那。
一度に一人何本放っているのだろうか。
というほどの量の弓矢が、俺を襲った。
ミレトスの地上が溶岩で埋め尽くされ、兵士たちを一掃した――はずなのに。
そのはずなのに――直後。
無数の、数えきれぬほど無数の弓矢が、俺を襲ったのだ。
避けるとかそう言うレベルではない。
何処に行っても当たるのではないかと言うほどの量。
俺は咄嗟に炎のバリアを展開し、それを弾いた。
――それにしも。
あれだけの攻撃を喰らっておいて。
なぜ、生きている?
なぜ、反撃できる?
――魔探知。
俺は疑問に思い、もう一度探査魔法を掛けてみた。
先ほど掛けた人の気配を調べる探査魔法ではなく、その魔力と生態を調べる探査魔法。
「なるほど」
一瞬で調べ終え、呟く。
俺の魔法を喰らって平気でいられるわけだ、と。
あの兵士たちは――不死兵であり、傀儡。
つまりは、操り人形だったのである。
おそらく、人間を元にした傀儡なのだろう。兵士からはまだ人の生気が感じられた。
生きた人間の感情を奪い、改造し、戦闘人形にする。
何処まで、外道な国なのだろうか?
沸き上がる感情を噛みしめつつ、俺は不死兵に近づいていく。
不死兵は確かに厄介だ。攻撃しても攻撃しても、立ち上がり、反撃してくる。
うざったいこと極まりない相手だ。
だがしかし、神人育成学校に居たときに学んだことなのだが、相手が不死と分かってしまえば対処する方法はいくらかあった。
第一に、消滅。全てを消滅させればいいのだ。
不死兵は体に不老石が埋め込まれているケースが多いらしい。それを破壊すればもう立ち上がることはないため、全てを消滅させてしまえばいいのだ。
第二に、不死兵を操る者の抹殺。
不死兵には基本的に意志がない。それを操る者がいるのである。
そしてその命令を与える存在を無くしてしまえば、不死兵にはもう害意がないという訳だ。
以上二つの方法が主なのだが、俺にとっては、どちらの方法もめんどくさかった。
もっと簡単であり、そして、俺ぐらいでないと出来ない方法。
第三の方法をとることにした。
不死兵が無数の弓矢をもう一度放ってきた時を見計らい、空間転移。
組まれた隊列の、その目の前に現れる。
そして、闇を展開した。
どす黒く、終わりのない闇。漆黒で混沌の闇を型取り、いわばブラックホールの様に――吸引を開始する。
ミエルのような実力者は無理だが、この兵士たちはただの不死兵。
魔力も腕力もそれなりで、死なないことが厄介なだけの、不死兵。
抗うすべはなく、闇に吸われ、闇に飲み込まれ、やがて――闇に消える。
死なないのなら、殺さなければいい。
それが第三の方法であった。
いろいろな術式を展開する抵抗も虚しく、しばらくして全ての兵士が闇に飲み込まれる。
俺が作り出した闇。
俺が解放しない限り。
その生を終えない限り。
二度と日の光を見ることはないだろう。
俺はふう、と息をつき――だが当然、まだ終わりではなかった。
俺の目的は奴隷の解放――そしてここの王をぶちのめし、殺すことだった。
城壁を破壊し、町中を火の海にし、不死兵を闇に飲み込む。
それだけで国にとっては大打撃だろうが、根本的には何も変わらない。
不死兵に意志は無く、罪はないのである。
それに、数十万人居るという奴隷。
その気配が見当たらなかった。
――何処にいるのだろうか。
俺は自分で生み出したマグマを水系魔法で相殺し、何もなくなった、ただただ広いミレトスの中央部に飛び立つ。
そして地に魔方陣を展開し、それをミレトス中央部から円状に広げる。
やがて建物の瓦礫すら残らないミレトス全体に、複雑な魔法式が行き渡り――俺は三度目の探査魔法を掛けた。
即興だった一度目と二度目とは比にならないほどに強力な、探査魔法。
魔方陣が触れるその区域の――記憶、情報を全て取り出すことの探査魔法である。
そしてそれを終え、俺は全てを知った。
ここに王宮などの目立つ建物がないことも、捕らえられた奴隷がいないことも、全て。
簡単なことだった。
ミレトスとは――地下帝国だったのである。
地上は全て囮。この下に、町が形成されているのだった。
だがそれが分かったとしても、厄介な点が一つ。
この地下帝国への行き方だ。
東西南北に置かれた四つのボタン。地に埋め込まれた四つのボタンを、同時に押さなければならないらしい。
そのボタンの場所はもう把握しているものの、俺一人では難しいだろう。
何処までが用心深いのか、めんどくさいことになったものだ。
唯一もう一つの方法として地上を破壊し尽くし、地下へ降りることも可能なのだが、それをしてしまえば、地下にいる人々は皆、俺の魔法と瓦礫で潰されてしまうかもしれない。
どうしたもんか、と、悩み、一つの案が浮かぶ。
――空間転移、だ。
一つボタンを押し、空間転移でもう一つのボタンに移動し――というのを一瞬のうちに三回繰り返せばいい、と思ったのだ。
だが、実行してみて、やはり空間転移を使うにはコンマの時間がかかってしまうことに気がついた。これは無理だろうと断念し、考え始める。
もう一つの案として、地に埋め込まれたボタンに向けて同時に魔法を放つことも思い浮かんだのだが、ボタンを壊さぬ程度の威力を保ち、尚且つ、かなり遠距離にある数センチほどのボタンを四つ同時に狙い撃つ。
それは中々に難しいことだった。
いつか成功する可能性はあるが、なんともめんどくさい。
こういう神経を使うことは苦手なのである。
俺はそう諦め、新たなる方法を探し始めた。
そしてそれからしばらくミレトスの中央部で安座し、思案を続けていると、俺は視界の端に高速で飛来する物体を捕らえた。妙な既視感を覚え、悪い予感がしたが、苦しくもそれは当たってしまう。
「……マジかよ」
呟き、嘆息する。わざわざ一人でミレトスを壊滅させてやろうと意気込んでいたのに、何で来てんだよ、と。
「セル様」
さきほどまで米粒程度の大きさだったその物体は、もう俺の目の前に現れ、そして地に降り立つ。
「派手にやりましたね」
両手を前に添え、ミエルは言った。
「……あー。まぁな」
何となくばつが悪くなり、俺は頭を掻きながら視線を逸らす。
「つーか、お前。なんで来てんだよ」
「それはですね。シーちゃんとユーちゃんと一緒に買い物に行った後、宿に戻ってきたら二人の男が待ち構えていたのです。その二人は私に事情を話し、セル様という方が一人でミレトスを潰しに行ってしまった、と。何とかそれを引き留めて欲しいと、そう言ったのですよ。ですから、ここまで来たのです」
「そうかよ」
確かに、よく考えてみれば、あの二人がミエルに事情を話さないわけがないのである。
元より、ミエルに用があったのだから。
「んで? ミエル。俺を引き留めるのか?」
「まさか。そんなはずありません。セル様なら何の心配もいらないとも思いましたが、何かの力になれればとここまで来たのです」
「……そうか」
「はい。ですがそれより、もう一つの理由があります。――セル様が」
人を殺すことのないように、です。
ミエルはそう言った。
「セル様がちょっと力を加えるだけで、人は簡単に死んでしまいます。例え相手が悪かろうと、私はセル様に人殺しになって欲しくないのです。セル様はセル様が思っている以上に、優しいです。とても優しい方です。セル様が人を殺そうものなら、いつか絶対、その罪に苦しむと、そう思うのです。人間を殺してしまったら、またセル様は――」
何かを言いかけ、――いえ、なんでもありませんとミエルは言葉を濁す。
そして、
「――まだ、手遅れではありませんよね?」
と、そう訊いてきた。
「…………」
昔。
どれほど昔だろうか。それともまだあまり時間は経っていないのだろうか。
俺は――神人を殺したことがある。
たまたま社交性の高い子供に遊びに誘われ、めんどくさいと思いつつも一緒に遊んでいたら、いつの間にか――死んでいた。
ただのじゃれあいだったのかもしれない。
だけど俺は何かにむかつき、怒り、とっくみ合いになり……。
よく覚えては居ないが、ふと気づいたら、血を大量に流してその子供は倒れていた。
おそらくそれ以来だったのだろう。俺が本格的に恐れられ、忌み嫌われ始めたのは。
ミエルは、そのことを思い出しているのだろうか?
そのことで俺が一時期荒れたことを、思い出しているのだろうか?
「……ああ。まだ、殺して――ない」
確か俺が荒れていたときでも、ミエルだけは態度を変えなかったな、と。
それを思い出しながら、俺は応えた。
「そうですか。それは、良かったです」
ミエルは言って、美しく、何処か可愛らしく、にこりと微笑む。
俺はその表情を見て、心底思った。
相手が不死兵でよかった、と。
俺は自分で思っているより、自分を制御出来ていなかったのかもしれない。
さっきまで本気で人間を殺そうとしていたことに――いや今の今まで、ミレトスの王を殺そうとしていたことに、ようやく気がついた。
俺は自分が優しい奴だとは到底思えないが、確かに、もし人間を殺したら後悔はしたかもしれない。
それもまた偽善なのだろうが、なんにせよ、今回はミエルに感謝しなくてはならない。言葉にこそ出さないが、俺はそう思った。
「それにしても、セル様」
しんみりとしていた空気を払拭するためか、ミエルは明るい声で言った。
「なんだ?」
「めんどくさがり屋のセル様が、このような依頼を受けるなんて。セル様は本当に、シーちゃんとユーちゃんを奴隷としていたミレトスが許せないのですね」
「……別に、ちげぇよ」
「ふふふ」
ミエルは不敵に笑い、やはりセル様は優しいです、と呟いた。
感謝はしたものの、こいつが来るとこうなると分かっていたからあんまり来て欲しくなかったんだが……。
と、微妙にやりきれなさを感じていると、ミエルは言う。
「セル様をからかうのは今はこれぐらいにしておいて、それより、です。現在どのような状況なのでしょうか?」
からかう、と公言しているあたり、かなり舐められている感じがするが、まぁそれはいいだろう。
「あーあれだ。ミレトスが地下帝国だということが分かったんだが、地下への行き方が厄介でな」
「厄介、と言いますと?」
「離れたところにある四つのボタンを同時に押さなきゃいけないらしい」
「そうなのですか。ですがセル様でしたら、それぐらい解錠魔法でどうとでもなったのではないのでしょうか?」
解錠魔法。
――解錠魔法。
あー。解除魔法、か。
…………。
ちくしょう。
正攻法でボタンを同時に押すことしか、考えてなかった……。
「もしかして、解除魔法の存在を忘れていた、とかですか?」
なぜこいつはいつも、こんなに鋭いのだろうか。
嘆息しつつ、
「いや、今からやろうと思ってた所だ」
と、見栄張って即答してやる。
だが、ふふふ、と嬉しそうに笑われてしまうあたり、こんな嘘ミエルには通用しないのだろう。
「セル様は神人育成学校では最高の成績を持っていたはずですのに、本当、セル様の頭はどうなっているのでしょうか? やはり、馬鹿なんですよね?」
「……ストレートに訊いてきたな」
はっきり言う奴だ。
「……すみません。――あ、いえ、勿論セル様のことは馬鹿だと思っていますからね?」
「そのフォローは意味分からないからな」
「いえ。意味分かるはずです。セル様なら、きっと分かってくれると私は信じています」
「なんだその謎の信頼」
つーかそれより、と俺は続ける。
「話が進まねぇよ。さっさとこんな国滅ぼして、奴隷解放して――あいつらんとこ帰るぞ、ミエル」
「はい。そうですね」
茶々を入れることは止めたのか、ミエルはそう頷く。
それを確認すると、俺は地に手を付け、
――解錠。
と心の中で唱えた。
すると地中深くで複雑に入り組んでいた仕組みが一つずつ外れていき、やがて、ゴゴゴという地鳴りの後、ミレトス中央部に一つの穴があいた。
「……簡単に空きやがったよ……」
俺は嘆息しつつも、呟く。こんな簡単なことになぜ気づかなかったのだろうか。
そう自分のアホさに辟易しながらも、その穴に掛かっていた梯子を使わず、俺たちは地下へと飛び降りた。膝を曲げて軽やかに着地すると、すぐに俺は右手側へと歩き出した。先ほどの探査魔法で、王室から牢獄までここ地下帝国のことは隅々まで知っているのである。ミエルも特に疑問を持たず俺について来ることにしたようだった。
そして、しばらく歩くと、敵兵のお出ましだ。
狭い通路の中、行列のように一部の隙間もなく並ぶ兵士たち。その装甲は地上で見た兵士よりさらに禍々しく、ごつごつとしている。肌が見える部分など無く、全てが鋼に覆われていた。おそらくこいつらも不死兵なのだろう。
この狭い中不死兵と闘うのも馬鹿らしいので、さきほどの闇を作り出し、すぐさまそいつらを封じてやった。
ミエルに、後で傀儡から解放させて上げて下さいね、と言われたのに応えると、俺たちはなんなくもう一度足を進めた。
そうして何度か敵軍が来ては闇に飲み込み、ようやく、目の前に王宮が見えてくる。
ここにミレトスという国を動かす権力者が。
――外道な人間たちが、いるのである。
無意識的に血が踊るのを感じたが、ミエルに殺してはいけませんよと釘を刺され、なんとかそれを自制する。
そして扉を、派手にぶち開けた。
赤い絨毯が長々と続き、高い天井にはシャンデリア、壁には様々な装飾が施され、なんとも無駄に豪華な部屋が、俺の目に飛び込んでくる。――が、そこには誰もいなかった。
おそらく、俺たち侵入者が来たことが伝わり、隠れ通路から逃げ出したのだろう。俺は舌打ちをしつつも記憶にある出口を全て洗い出し、その中でこの王宮から一番近い隠れ通路に向かうことにした。
そして壁を殴って壊し、近道しながらすぐにそこへと辿り着く。
薄暗い通路。左右を石の壁で覆われ、等間隔に蝋燭のランプが置かれたこの場。
目の前には――宝石類を身体中に纏う人間たちがいた。
支配者だというからには、強国の王だと言うからには。
さぞかし屈強で凛々しい男なのだろう、と想像していたのだが、目の前にいる人間は脂汗を垂れ流し、豚のように太っている親父だった。娘と思われる女も浅ましく太り、無駄に豪華なドレスが全く映えていない。他の人間たちも同様、強さの欠片も見えず、ただただ現れた俺に驚き、側近に向けて「は、早くあいつを倒せッ!」と、偉そうに命令しているだけだった。
唯一ましであった今まで以上に屈強な不死兵を闇に飲み込んでやると、こいつらは目を見開き、脂汗をさらに垂れ流す。目を瞑り、耳を塞いでいる奴までいた。
こいつらが。
こんな奴らが、奴隷の支配者。
シーナとユーリを生まれた時点で奴隷と定め、不死兵を操って権威を奮う。
さらには人間を商品として売りさばき、自分たちの私腹を肥やす。
こんな、奴らが。
こんな奴らがどれだけの人間を壊し、
こんな奴らにどれだけの人間が壊されたのだろうか?
それを考えるだけで、俺は歯を噛みしめずにはいられなかった。
もしミエルが居なかったら、今頃血祭りだったかも知れない。
「あーお前ら。俺がここに何しに来たか、分かるか?」
「し、知らんっ。な、なんなんだお前たちはッ! ど、ドラか? ドラが欲しいのかッ!」
「ドラなんかいらねぇよ」
「じゃあなんだッ! な、何をしに来たんだ」
「……ぎゃーぎゃーうるせぇな。――耳障りだ」
俺はドスの込めた声で言う。
それにより騒いでいた人間たちは、ひぃっ、と小さく悲鳴を上げ、口を閉ざす。必死で後ずさり、俺から離れようとしていたが、震える足がそれを阻害する。
「俺がここに来た理由は、だな」
そこまで言って言葉を溜め、そして――
お前たちを、
――殺しに来たんだよ。
と、出来るだけ睨みを効かせて言ってやった。
勿論殺すつもりはない。
こいつらの怯える姿が見たかったというか、軽い気持ちで、そう言ってみたのである。
だが、それだけで。
殺気も魔法も何も使わず、相手を倒そうという意志すらないのに、その言葉だけで。
目の前にいる人間たちは唇を奮わせ、やがて、白目を剥いて失神したのだった。
そのあまりにも惨めな姿に、最早怒りすら沸いてくることはなく、ただただこの人間たちが哀れだった。こんな人間を殺そうとしていた自分が、恥ずかしくなるほどに、だ。ホント、ミエルが来てくれて良かったかもしれない。
そしてそれから、俺はなんの感情も持たず、動作的に失神した人間たちを闇に飲み込み、この場を去ることにした。
本当、動作的に、何も考えず。
いや、一つだけ。
呆気なかったな、とだけ思いながら。