闘技大会とその後
そして試合は開始した。
俺たちは選手ではないので、付き添うことはできずにスタンドからリングを見下ろしている。この試合は大取りということもあるのか、人々の歓声、熱気は凄まじく、何千人と入れるだろうここスタンドからは、人の声を通り越し轟音が響いていた。常人より耳の発達している俺にとっては、何とも辛いものである。
――と。
思っている間にも。
相手の男――2mを優に超えるほどの巨漢で、魔力も腕力も中々である男を――一瞬で。試合開始の合図、カーンという金属音すらまだ消えぬほどに――一瞬で。
ミエルはその敵を、倒した。
大取りなのだから少しぐらい善戦するそぶりを見せてもいいというのに、一秒とかかけず、ミエルは敵を倒してしまったのだ。男は鈍い音を立て、勢いよく金属製のリングに倒れ込む。
その姿を目の当たりにした観客たちは唖然とし、少し前まではあれだけ熱気に包まれていたはずなのに、音一つたてる者は居なくなった。
あまりにも早すぎる決着。その予想外の展開に、見た目に反したミエルの強さに、頭が追いついていないのかもしれない。
「み、ミエルさん……すごいです」
「ほ、ホント……すごいわね」
そして俺の隣に立つ姉妹がそう呟いたのを境に、闘技場はもう一度爆発的に活気づいた。
楽しみにしていた試合が一瞬で終わった事への義憤を向ける者。素直にミエルに拍手を送る者。驚きすぎて雄叫びを上げる、頭の危ない者。様々であった。
「良かったです。勝つことが出来ました」
ミエルの試合が終わり、賞金を貰った後、俺たちは闘技場の前で落ち合う。空はもうすっかり黒く、薄暗かった。
「すげぇ呆気なかったな」
「少し本気で倒しにいってしまいましたからね。力んでいたかもしれません。加減が出来ませんでした」
「まぁ、あれだ。なんだんかんだで賞金貰えたんだから、何でもいいけどな」
「そうですね。これで、ユーちゃんとシーちゃんに服を買って上げられます」
ミエルが言うと、隣でシーナと手を繋ぐユーリが口を開いた。
「……ありがとね、ミエル。あたしたちのために」
「いいんです、ユーちゃん。賞金は20万ドラほどですが、全部使っちゃって下さいね」
「に、20万……。そんなに、使って良いの?」
「当然です。二人の服を買うために、闘ってきたのですから」
「そう。……ホント、ありがと」
礼を言うユーリに続き、シーナも、えと、ありがとうございます、と頭を下げた。
「私がしたくてしたのですから、お礼なんていいのです、二人とも。遠慮はしないでください。――それよりも、これから服を買いに行きましょうか」
「あーでも、結構時間遅いから明日でもいいんじゃないか?」
現在時刻は8時半近く。まだかろうじて開店中かもしれないが、そんなにゆっくりと買い物できる時間帯ではないだろう。
「確かに、そうかもしれませんね。シーちゃんとユーちゃんはどうしたいですか?」
ミエルは二人に尋ねる。
「えと、わたしは、明日でも大丈夫です」
そう言うシーナに続き、ユーリは「あ、あたしもよ……」と呟く。その顔が残念そうだったあたり、本当は今すぐにでも買いに行きたかったのだろう。
「お姉ちゃん、今から行きたかったの? お姉ちゃんが行きたいなら、えと、わたしも行きたいな」
そんなユーリの残念そうな顔を伺ってか、シーナは言う。
「な、何いってんのシーナ。あたしは別に……明日でもいいわよ。明日でも全然我慢できるし、それに、そうよ。明日の方がゆっくりと見れて良いじゃない。うん。明日の方が絶対良いわよね」
途中から自分に言い聞かせるようであったが、妹の前で我が儘は言いたくないのだろうか。我慢しているのは見て取れるし、良く分からなかった。
――が、まぁ、ユーリがそう言うのなら良いのだろう。
「じゃあ、宿でも探すか」
「え? う、うん。そうね」
俺の言葉にさらに残念そうにしながらも、ユーリはそう頷いた。
「ユーちゃん意地張らなくてもいいのですよ? ――と言いたいところですが、確かに今からではゆっくり出来る時間はないかもしれませんね。明日にしましょうか」
ミエルはそうまとめると、宿の場所は把握してるのか、迷い無く闘技場から平行に見て右側へと向かっていった。
俺はすぐにその後を追い、その後ろから「あ、あたしは意地なんて張ってないからね。ミエル」と、文句を漏らすユーリがついてくる。そしてそのユーリと手を繋ぐシーナは、「お姉ちゃん、意地張ってるよぅ」と小言を垂れながら、ユーリに手を引かれ、小走りしていた。
それからミエルについていき、十数分ほど歩くと、宿屋が見えてくる。プリステンダムの宿屋よりも大分値段は高かったが、俺たちはそこに泊まることを決め、大分遅い夕飯を頂いた。シーナもユーリも文句一つ言っていなかったが、やはりお腹は減っていたのだろう。すごい勢いで出された物を食べていった。
夕食を終えると、三人仲良く宿の風呂に入り(勿論シーナ、ユーリ、ミエルの三人である)、12時を過ぎた頃には、一度寝たとはいえ、シーナはもう眠たくなってしまったようだった。
質素な木の床に、丸机、横にはベッドが四つ置かれ(四人部屋を借りたから四つあるのだが、シーナはユーリのベッドに割り込んでいる)、シーナはそのベッドの上で、うとうととしている。それでもぎりぎり起きていたのが、遂に耐えられなくなり、そして寝てしまった。
ミエルとシーナはその姿を見て、うっとりしつつも続けていた雑談を止め、自分たちも寝ることにしたらしい。ユーリはやがてシーナと肌を触れ合わせながら寝静まり、ミエルは「セル様」と、俺に話しかけ来た。
「あーなんだ?」
「二人の寝顔、かわいいですね」
ミエルは枕に頭を乗せ、ベッドの上で半身になって俺の目を見据えながら言った。明かりを消し、ほとんど真っ暗だというのに、ミエルの金の髪は煌めき、碧眼は猫のように光る。目が合うとなんとなく恥ずかしくなり、俺は腐りかけた木の天井を見上げた。
「こんな可愛い二人を奴隷として扱うなんて、本当、ミレトスは許せないです」
「あー。お前、二人がミレトスの奴隷だってもう知ってたのか?」
「はい。二人に直接聞いたわけではありませんが、一緒にお風呂に入ったときに見てしまったのです。二人の背中に、黒い龍の烙印が押されているのを。もう、完全に消し去ってあげましたけどね」
黒い龍の刻印。昨日俺が取り外した首輪にも、あったものだろうか。
「そうか。――つーか、お前、そもそもミレトスなんて良く知ってたな」
「当然ですよ。セル様。私たち神人の本分を忘れたのですか?」
「……あー。……なんだっけ?」
「本当に、忘れていたのですね……。セル様は相変わらず、神人らしくないです」
ミエルはなぜか嬉しそうにそう前置きし、続けた。
「私たち神人の本分、それは世界の均衡を保つこと。強くなり過ぎた勢力を弱らせ、均衡を保つこと、です。ミレトスは人間界の中で、その候補に挙がっていたのです。私たちは知っているのが普通なのですよ。――とはいえ、私は神界内で仕事をしていたので、人間界には来たことがありませんでしたけどね」
ミエルは言って、ベッドの上でもぞもぞと動き、半身になっていた体を天井に向けた。
「人間とは、本当に不思議な種族です。なぜ、シーちゃんやユーちゃんのように良い子がいるのに、他方では人を物のように扱う人間がいるのでしょうね」
「確かに、な。俺も思ってた」
ミエルは俺と同様、初めて人間界に来て、初めて人間と話した。思うことは、同じだったのだろう。教え込まれていた人間の印象とは全く違う、と言い切れもし――言い切れはしない。人間には同じ人間などあり得ず、人間は人間と、全てを一括りに出来ないのだ。
「神人は、神に作られた戦闘種族。義務感や忠誠心が厚い種族。決められたことをこなし、そこに個性はありませんでした。私もセル様と出会わなければ、自分の確固たる心を持てなかったかもしれません。他の神人と同じようになっていたかも、しれません。そう思うと、少し怖いです」
「別に……お前は俺に会わなくてもそうだっただろうよ」
「そんなことはありません、セル様」
ミエルは断言した。
「私はセル様に会うまで、親の言いなり、自分の意志はありませんでした。セル様が神界を追放されてしまった後も、私はただ無感情に生きているだけでした。セル様がいてこその、今の私なのですよ。私が神界を飛び出した理由だって、限界、だったからです。他の神人のようになってしまいそうだったから、なのです。私が本当の自分を出せる場所――セル様の元に……どうしても行きたかったのですよ」
「…………」
神人が神界を抜け出す。それはもう、歴史に残るほど一大事だ。神が生まれてから今まで、数件あるかないかの出来事なのである。
ミエルがそれほどにまで大きな事をしでかした理由が、俺に会うため。
「そうかよ」
なんとなく照れ臭くなり、俺はそう吐き捨てた。
そして体を動かし、ミエルに背を向ける。
「セル様」
ミエルは俺とは逆に、天井に向けていた体を俺に向けた。
「なんだ」
「そろそろ、私寝ますね。先ほど数時間寝ましたが、実はまだ疲れているのです。セル様と全力で闘ったこともありますが、セル様の元にたどり着くまで何も食べず、少しも寝ず、ずっと飛び回っていましたからね。その疲れが出てきたのでしょう」
「あーそうか」
「そういえば今思いついたのですが、私がセル様と闘う前にそうやって体力と魔力を消費していなければ、私が勝っていたかもしれませんね」
「それはねえよ。俺が勝ってた」
「分かりませんよ? 私が勝っていたかもしれません」
「いや、俺が普通に勝ってたな」
「そうでしょうか」
負けず嫌いのミエルが(俺もだが)珍しく引き下がったと思うと「では、明日もう一度戦い、決着を付けましょうね」と言った。
「それは、マジで勘弁してくれ……」
そんな切実な願いに対しての返答はもう無く、やがて、三人分の寝息が聞こえた。
……俺も、寝るか。
珍しく色々あった一日だから、本当は俺も疲れているのだ。