きゅーけー
そして、同じ形をした家々が直線上にいつまでも続く町中を歩き、やがて中央広場へと辿り着く。その中心には噴水が添えられ、周りには等間隔に八個、ベンチが設置されていた。さらに闘技大会の宣伝なのか、戦士が闘っている絵の描かれたビラが、至る所に張られている。
「誰も、いないな」
噴水だけが音を立てる整然としたこの場を見て、俺はぽつりと呟いた。
「この国では毎日行われる闘技大会が一番の行事であり、娯楽ですので、町民のほとんどは闘技場へと足を運んでいるのでしょう」
「そうか。――まぁなんにせよ、丁度いいな。そこのベンチででも休むか」
「そうですね。――では、私はここで眠らせて貰います。三人は、私に構わず雑談でもしていて下さいね」
ミエルは言って、近くのベンチへと向かう。そしてその一つを占領し、躊躇なく横になった。
その姿を見て何を思ったのか、シーナは俺の上げた白いローブを脱ぎ始める。
「あの。ミエルさん。これ枕に使って下さい」
そしてシーナはその白いローブをくるくると丸め、ミエルに差し出した。
ミエルは一瞬きょとんとするが、すぐに頬を緩め、礼を言う。
「ありがとうございます。シーちゃん。では、遠慮なく使わせて貰いますね」
ミエルは一度体を起き上がらせ、シーナからローブを受け取ると、それをベンチの先端に置いた。そしてもう一度横になってそれに頭を乗せると、ぱふっという音を立て、頭が沈み込む。
よほど疲れていたのだろうか。
俺たちが見ているのにもかかわらずミエルは目を瞑り、やがて寝息を立て始めた。
元々整った顔ではあるが、その寝顔さらに美しく、俺は一瞬見とれてしまう。それは無意識のことではあったが、ミエルを見つめている自分に対し急に恥ずかしくなり、視線を他の所へと移していた。
「あー、じゃあ、俺たちは、そこのベンチに座るか」
八個のベンチ――内、ミエルの寝ているベンチの隣を指差し、俺は言う。
二人は素直に頷くと、シーナを真ん中にして俺たちは座った。
そうしてから。
――特に、することはなくなった。
話し合う話題も見つからず、やがて、この場に静けさが充満する。
そんな中俺は思った。
本当は俺、こんなのんびりした時間を求めてたんだよな、と。
神界に居たとき俺に話しかけてくるのはミエルしか居なかったし、それに不満を覚えたことはなかった。ただ存在するだけで忌み嫌われ、恐れられる。例えそうだとしても、俺に関わらず放っといてくれるなら、それでいい、と。そう思っていた。
基本的に俺は面倒事が嫌いで、のんびりと日々を過ごすだけで良い、つまらない奴なのである。
神界を追放され、あらゆる世界を渡ってみても、それは変わらなかった。
俺はこのまま。
何も残さず、何の意味もなさず、誰とも関わらず。
いずれ死ぬのだろうな。
と、そう思い日々を過ごしていた。
それなのに。
それなのに、である。
驚くことに、俺には今三人の連れがいるのだ。
何処で間違ったのか――いや、それとも正しかったのか、俺には三人の連れがいる。
そしてそれを、当たり前のように。
もっと前から共に過ごしてきたように。そう感じている。
ここ人間界に来る前では、考えられなかった行動であり――想いだろう。
俺が他人と関わり、その運命を少しでも変える。
例えばもし、俺がシーナに話しかけなかったら。
この二人はミレトスの兵士に捕らえられ、奴隷に戻されていたかもしれない。
例えばもしミエルが俺と出会わなければ。
神界を飛び出すこともなく、全うに、神人らしくその命を終えたかもしれない。
あの馬車の親父だって、そうだ。
俺と関わり、商売道具を失い、新たな職を探す。
良いようにも悪いようにも、既に俺は他人に影響を与えているのだ、と。何かに意味をなしたのだ、と。
そのことに気づき、そしてそれがなんというか。
――不思議、だった。
不思議であり、嫌ではなかった。
のんびりだけを目的にここまで来たが、こういうのも悪くない、と。
好きといったら語弊があるが、どちらかと言えば好きなのかもしれない、と。
柄にもなく、そんなことを思った。
「寝ちゃったわね」
ふと、そう横から声がした。考え事をしていた俺は何処にも焦点が定まっていなかったが、意識して音源に視線を向ける。そして、「そうだな」と答えた。
真ん中にいるシーナが、ユーリの肩に頭を乗せながら寝ていたのだ。子供の割に色々と気配りの訊くシーナだが、寝息を立てるその姿は年相応だった。
ユーリはそんなシーナの姿を、優しい目でうっとりと眺める。
本当に、妹が愛おしいのだろう。
「ねえ。セル」
肩に乗せられたシーナの頭をそっと撫で、ユーリは話を切り出す。
「なんだ?」
「何回でも言うけど。ホント、ありがと、ね」
「いきなり、なんだよ」
「あたし、ね。今まで生きていた中で、今が一番楽しいのよ。奴隷として生きてきて、シーナを守ろうと気を張って、毎日が辛かった。シーナが居たから今まで自我だけは明るく保ってこれたけど、本当、辛かった」
「……そうか」
なんと答えればいいのか思い浮かばず、俺は相づちだけを打つ。
「うん。――だから、初めてミレトスの外に出て、あんたに会ってミエルに会って。ただ話してるだけでも。歩いてるだけでも。それだけで、楽しかったのよ。空を見上げるだけで今のあたしなら、楽しいかもしれないわ」
ユーリはもう一度シーナの髪を撫で、続けた。
「……それはね、多分、シーナも一緒だと思う。あたし一人じゃ、シーナをこんな楽しませて上げることは出来なかったと思う。――だから、ありがと」
「ああ」
「あんたが私たちを見捨てたらどうしようって考えると、すごく不安だけど、今はあんたに甘えさせて貰うわ。迷惑かけたら、その、ごめん、ね」
しんみりと、そう謝るユーリ。
俺が何かを考えている間に、こいつもこいつなりに色々と考えていたのかもしれない。いや、好きで考えていたのではなく、それがこいつの性なのかもしれない。
強気ではあるが、強い人間では、ないのだろう。
「あーお前、あれだ。……考えすぎ、なんだよ」
「……な、何が?」
「例え俺がお前らを見捨てたとしても、ミエルは絶対に見捨てないだろうよ。あいつがお前らを置いてどっか行くような姿なんか、想像できるか?」
「……できない、けど」
「そうだろう。つーか、そもそも――俺も、今更お前らを見捨てるつもりはねぇよ」
「…………」
「――それに、だ。俺はお前らを楽しませやってるつもりはないし、それで楽しいんだとすれば、それはお前らが勝手に楽しんでるだけだろ。そのことで俺に礼を言う必要はないし、引け目を感じる必要もない。……まぁ、確かにお前らに出会って面倒事は増えるかもしれないが、……それも、たいしたことじゃねえよ。――むしろ」
俺はその先を言いかけて、それを止めた。
「むしろ、何?」
「いや、なんでもない」
俺がそう言うと、消化不良ではあっただろうがユーリはそれ以上踏み込んでは来なかった。
しばらくの沈黙の後、それを破るようにユーリは口を開いた。
「あたしは、さ。あんたやミエルのように強くない、ただの人間で、シーナみたいに素直になれない、小さくて、弱い人間なの。いつも変な意地張って見栄張って、本当は心配性でいろんなことが怖くて仕方がないのに、それを認められないような、人間なの」
急に、自分を卑下し始めるユーリ。
自分でも分かってるんだけど、中々変えられないのよね、と自嘲した。
俺に何を伝えたいのだか分からずにいると、
「そんな私だけど、その、これからもよろしく頼むわね。セル」
と、ユーリは締めくくるようにそう言った。
いきなりの言葉であり、その真意はよく分からなかったが、とりあえず「ああ」と俺は応えた。断る訳も、必要もなかった。
「あんたは礼を言う必要はないと言ったけど、やっぱりありがとね。もし迷惑だったとしても、これだけは言い続けさせて貰うわ。ホントに、感謝してるのよ」
「あー。まぁ好きにしてくれ。だが、引け目を感じる必要はないから遠慮だけはすんなよ? 昨日も言ったが、嫌いなんだ。遠慮するのもされるのも。気を遣うのも遣われるのも、な」
「分かってる。これからも、ずけずけと言いたいこと言わせて貰うわね」
ミエルとユーリに言いたい放題言われる図を想像すると、遠慮して貰ってもらっていた方がいいかもしれないと一瞬思ったが、まぁ、いいか。遠慮されるよりはずっとましだろう。
「柄にもなくしんみりとした話しちゃったけど、セル」
「なんだ?」
「今の話、全部忘れてね」
「無理言うな」
「セルなら出来るわよ。記憶消すことぐらい」
「なんだその無駄な信用。そんなことできねえし、自分にするわけねぇだろ」
「え? そうなの。でも、セルって実は引くぐらいマゾって……」
「ミエルだなあの野郎」
「ミエルも言ってたけど、あたしもそう思うわ」
「……お前もかよ。俺はマゾじゃねぇっての」
多分な。
「そうなの? 我が儘ねぇ……あんた」
マゾを否定して我が儘とか……。
……マジかよ。
「――じゃあ、ゲソでいいわ」
「……いや、なにゲソで妥協してやる、みたいに言ってんだよ」
「ゲソでも駄目なの? ――ったく」
「……なんか呆れられたし」
俺は思わず一つ嘆息する。
そんなこんなで。
意味のない会話をだらだら続け(主導権が俺に渡ることはなかった……)、時に沈黙が訪れ、二時間半という長くもあり、短くもある時間は過ぎていった。
俺も寝るつもりだったのだが、それは叶わなかったようである。
ミエルが目覚め、シーナを起こし、もう一度闘技場へと向かうことにした。