人間には良い人間と悪い人間がいる
不用意に口から高威力魔法を出してしまった俺は、周りから奇異と驚きの目で見られてしまう。目立つのはあまり好きではないし、視線を浴びて感じる性癖も無い。
俺はその場を退散することにした。
町の中心にある中央広場を出て、いくつかに分岐する街路へと出る。
「――へぇ」
暇だなぁと呟きながらベンチに座り続けてから、もうどれだけの時間が経ったのか。
時刻は夜になっている。
それなのにここらの賑わいときたら、すごいな。
あるおじさんは客寄せのために声を張り上げ、その隣の店の少女は、対抗するように絵の描かれたちらしを配る。さらに幅広い大通りの街路は、反対側が見えないほどに人が混雑し、市場は喧騒に包まれていた。
夜だというのに店のランプが自己主張をするように明るく、暗さなど微塵も感じない。その明るさに釣られているのか、行き交う人々はほとんどが誰かと会話をし、笑顔であった。
ホント、人間という種族はなんとも面白いものである。
俺が『人間には良い人間と悪い人間がいる』、という知識を持って人間界に来てから丸一日経つが、やはり人間には驚かされることが多かった。
まず、物を買う、なんて感覚がおかしいんだよな。
『神人育成学校』を追放されてから、魔界にも天界にも住んでみたが、魔界では『買う』ではなくて、『奪う』だったし、天界では『分け合う』だった。
『奪う』のは得意だったから魔界ではかなり楽に暮らせたのだが、なんというか、あそこは全く俺には合わなかったのを覚えている。
下剋上が一般的なのか下級魔族のくせに俺に挑んでくることもあるぐらいだったし、何かとめんどくさいことが多いのである。
それで住む世界を変えて天界にも行ってみたが、あそこはもっと駄目だった。
平等平等平等。うるせぇよ、って感じだ。
自由があまり与えられないところが『神人育成学校』に似ていて、すぐに抜け出してしまった。
それでその次に来てみたのがここ人間界なわけだが、今のところ、ここが一番いいかもしれない。
人間という種族はいまいち良く分からないが、雰囲気は結構気に入っている。
ある程度自由だし、何が楽しいのかみんな明るいし。何より、ここは楽で、めんどくさいことが少ないのだった。
そんなことを思いながら人混みを掻き分け、足を進めていると、俺はとある店を見つけた。
「お」
LV5の薬屋。
ここ人間界では、店ごとに『レベル』というものがあるらしく、このレベルが高いほど高品質で、信頼性が高いのだという。レベルを上げるためには全世界規模の試験を受けなければならないから、レベル5となるとかなりすごいと訊いた。
実際さっきから見かけている、武器屋、酒屋などは、ほとんどLV1、2ばかりだったから、珍しいのだろう。
ちょっと、入ってみるか。と、
特に脈絡もなくそう思うと、俺は薬屋の前で立ち止まり、その扉を開けた。
――すると開けた瞬間、なにやら怒鳴り声が聞こえてくる。
「早くしろクソがっっ! 殺されてぇのかッッ!」
なんだか、取り込み中らしい。
だがそんなことで遠慮する俺ではないので、気にはしない。
いくつもの棚が置かれ、品揃えの良さそうな店内に足を踏み入れる。
「ちっ」
その直後、誰かに舌打ちをされた。
「おいお前らッ! 誰も入って来ねぇように結界張っといたんじゃねぇのかよッ!」
「あれぇ? 張ったと思ったんですけどねえ……」
確かに結界は張られていたが、俺にとっては微弱すぎてなんの抵抗にもならなかったらしい。
「まぁいい! こいつも人質にしとけッ!」
顔全体を布で隠し、武器を持つリーダー的存在が、同じような格好をしている奴らに言った。それに反応した数人の人間が俺に近づいてくる。
なんだ? こいつらは。
絡まれるのも面倒なので、超高位魔法空間転移によってその人間たちの背後にワープし、売り物を探し始める。特に欲しいものはないのだが、少し興味があった。
「!?」
人間たちはみな驚愕の表情で顔を一杯にしながらも、急に消えた俺を捜し当て、もう一度迫り寄って来る。そんな人間たちを無視し、品物を一つ手に取った。
だが、人間の使う道具に関しての知識はまだ浅い。
どれがどのぐらいすごいのだか、まったく分からなかった。
そうだな。店員さんにおすすめを聞いてみるか。
思いながら空間転移をし、今度はカウンターの前にワープした。
「あー。ここの店で一番良い物って、なんだ?」
そう店員である女の子に訊いてみるが、その女の子は応えてくれない。
目の前に現れた俺にビビっているのか。
それとも。
顔を布で隠した人間に、剣を突き付けられているからなのか。
分からないが、とりあえず後者という可能性は消すため、俺は剣を持った人間の頭を軽く小突く。
すると、頭蓋骨が陥没したようなすごい音と共に、その人間は吹き飛んでしまった。
「……あー。……やべ」
軽く殴ったつもりなのだが、人間には強すぎたらしい。
死んでなきゃいいが……。
まぁ、いいか。あいつ悪い奴っぽいしな。
「んで、店員さん。ここの店で一番良い物って何だ?」
俺はもう一度そう聞いてみるが、店員さんは可愛い顔で小さな口をぱくぱくさせていた。
そしてそうしているのはこの店員さんだけではなく、店内に居る誰もが同じだった(顔を布で隠してる奴らの口は見えないが)。
気は短い方ではないので店員さんが応えてくれるのを待っていると、放心状態だった店員さんはようやく意識を持ち直し、俺の問いに応えようとしてくれる。
「えええっと。そそその! ヒュプスーポーションが当店のお勧めですっっ!」
胸の前でかわいらしく手を握り、やっとのことで店員さんは言い切る。
「じゃあ店員さん。それで」
「は、はい。えええっと。で、では、会計は。えっと。えっと。――に、二万二千ドラになりますっっっ!」
二万二千ドラ?
……良く分からんが、『ドラ』ってのがおそらくここの通貨なんだろう。
それにしても、二万二千ドラ、って。どんぐらいだ?
思いつつ、さっき広場で拾った硬貨を探すため、俺はポケットをまさぐる。
「これか」
丸い銀色をした金属が、一枚。
「これで、足りるか?」
店員さんにその銀貨を手渡す。
震えた手でそれを受け取ると、店員さんは銀貨の表面を見て言った。
「え、えっと。これは……い、1ドラに、なります」
1ドラ、か。
確かこのポーションは二万二千ドラ。
………………………………大分、絶望的だな。
「そう、か。……人間界、甘く見てたな」
足りないなら仕方がない。
奪い取ってしまうことなど一食分の栄養を取ることよりも簡単なのだが、『買う』ということが人間界のルールらしい。
俺はそれに従い、出直すことにした。
「あー、店員さん。ドラド足りないみたいだし、止めとく。……悪い。騒がせたな」
俺は頭をぽりぽりと掻きながらそう言い、身を翻す。
そして、「は、ハイですっ」という店員さんの声を聞き、出口へと直行することにした。
――が。
「ちょ、ちょっと待ててめぇッッ!」
と、またも突っかかって来る人間たち。
「あー、めんどくせぇな。お前ら。俺に何の用だよ」
「何のようだじゃねぇっ! てめぇさっきから俺らを無視しやがってッ! しかも仲間一人ぶっ飛ばしただろ!? 何普通に買い物しようとしてんだよっ!?」
俺に敵意むき出しの人間たちは、五人ほどで俺を囲み、剣や魔法杖などを突き付けてくる。
こんなもの、俺に効くとでも思っているのだろうか。こいつらが本気で攻撃してこようと、目覚ましにすらならないというのに。
思いつつ、どうやってこいつらを潰そうか考え始めた、そのとき。
「きゃぁぁぁっ!?」
そう女の子の悲鳴が聞こえてきた。
さっきまで俺と話していた店員さんである。
布で顔を隠している奴らの一人が、もう一度店員さんに剣を付きつけていたのだった。そして店員さんに向かって、「おいお前ッ! 早くドラを出せっ!」と怒鳴りつけている。
「……あー」
『奪う』ということをしようとしない人間には感心していたのに、あんな力を持たない少女にまで危害を加えようとするとは……。
『人間には良い人間と悪い人間がいる』
こいつらは、悪い人間、ってことか。
だがまぁ、人間は人間。俺は俺、だ。
店員の女の子には同情するが、特に助ける義理も無い。ただめんどくさいだけだろう。
俺はさっさと退散することを決め込む。
「おいお前ら。…………そこ、どけ」
少しだけ怒気を込め、出口を塞ぐ人間に向けて言う。
「ど、どけじゃねぇぞてめぇ!」
だが、逆に近づいてくる人間たち。
まだ俺に突っかかってくるのかよ……。
敵の強さを見極めるという能力も生きていくうえでは大事なものなのだが。
愚かだな、こいつらは。
今度は少しだけ殺気を解放し、低く冷淡な声で――告げた。
「……どけ」
と。
それだけ。
それだけで、俺が殺気を向けた人間たちは全身を痙攣させ、失禁する。
心よりも先に、体が恐怖を感じ取ったのだろう。
しばらく痙攣し続けると、全員が白目をむき、気を失った。
「…………」
俺はそんな人間たちを無言で跨ぐと、そのままこの店から出ることにした。
店内に入る前よりも心が冷めてしまったが、まぁ、気にはならない。
些細な変化だ。すぐにそんなことは忘れるだろう。
俺は何か面白そうなものを探すために、暇を潰すために、もう一度歩き始めることにした、が、
「あ、あの!」
と、背後から声。
人々の喧騒の中その声はもみ消されそうになるが、聴力が異常に発達している俺はその声を零すことなく聞きとる。
さらに、俺には360度死角がないので、すぐに誰が声を発したのかも分かった。
さっき少しだけ話した、店員さんである。
……何の用だろうか?
思いつつ、俺は振り返った。
「……あー。なんか、用か?」
「あの、えと。……その。た、助けてくれて、――ありがとうございましたっ!」
助けてくれて?
「あー」
別に、助けたつもりはなかったのだが……。
そうか、結果的にこの子は店の『ドラ』を奪われないで済んだのか。
「そ、それで、その。お礼がしたくてっ。こ、これ、どうぞっ!」
店員さんはそう言って、何かを手渡してくる。
小さな瓶。商品名は、ヒュプスーポーションだった。
先ほどドラが足りずに買えなかった物である。
「……いいのか?」
「は、はいっ」
「……そうか」
呟き、俺は店員さんが差しだしてくる瓶を受け取った。わざわざ、遠慮する必要もないだろう。
「え、えと。ホントに、ホントにありがとうござましたっ。――で、ではっ」
俺が瓶を受け取ったのを確認すると、店員さんはぺこりとお辞儀をし、早足でそのまま店内へと戻って行く。
そんな姿を眺めながら、俺は思った。
――やはり人間は、面白い、と。
奪おうとする奴もいれば、与えようとする奴もいるのか、と。
「……なるほど」
なんとなく、分かったような気がする。
俺が持つ人間についての予備知識。
『人間には良い人間と悪い人間がいる』