三皿目
曇った空が、街の色を鈍くしていた。
信号待ちのガラスに映る自分の顔は、思っていたより疲れている。
(どうして私ばかり)
胸の奥に溜まった言葉が、重たい。
同僚の昇進。
友人の結婚。
流れてくる祝いの言葉。
「おめでとう」と打ちながら、指が止まった。
(失敗すればいいのに)
一瞬、そう思った。
その思考に、自分で震えた。
そんな人間だっただろうか。
顔を上げると、見慣れない白い建物があった。
壁を這う緑のツタ。
静かな灯り。
吸い寄せられるように、扉を押す。
カラン、と乾いた音。
「いらっしゃいませ」
青い髪の女性が立っていた。
透き通るような青。
感情をほとんど揺らさない瞳。
「ご案内いたします。——セラです」
それだけ名乗る。
席に着くと、透明な皿が置かれた。
そこには、繊細な飴細工。
光を受けて、きらきらと輝いている。
「綺麗……」
思わずこぼれる。
けれど、よく見ると。
「……割れてますよ」
細かなヒビが、内部に走っていた。
セラは静かに答える。
「内側からの圧に弱いのです」
胸の奥が、ひやりとする。
「どうして私ばかり、うまくいかないんでしょう」
気づけば口にしていた。
「頑張ってないわけじゃないのに」
沈黙。
セラは否定もしない。慰めもしない。
ただ、まっすぐに言う。
「羨ましいのですね」
図星だった。
視線を逸らす。
「……失敗すればいいって、思いました」
声がかすれる。
「最低ですよね」
セラは、少しだけ飴細工を持ち上げる。
光に透かすと、ヒビがよりはっきり見える。
「ヒビは、突然入るものではありません」
静かな声。
「内側に、圧がかかり続けた結果です」
言葉が胸に落ちる。
セラは小さな器を運んでくる。
溶かしたチョコレート。
細い筆で、ヒビにそっと流し込む。
「完全には戻りません」
甘い香りが広がる。
「ですが、強度は増します」
息を呑む。
「ヒビが入ったことを知っている人のほうが、壊れにくいのです」
店の奥では、リヴィアが静かにそのやり取りを見ていた。
何も言わず、ただ一度だけ小さく目を伏せる。
飴細工は、元の透明さを少し失った。
だが、そこには細い線が走り、別の模様になっている。
きらきらと、光を受けている。
「落とさなくても、上がれます」
セラはそれだけ言った。
飴細工を一口かじる。
ぱきり、と音がする。
甘さが広がる。
ほんの少し、苦い。
店を出る。
空はまだ曇っている。
砂利道は、いつもより少し長い気がした。
ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面を開く。
“おめでとう”
そう打つ指は、少し震えている。
送信したかどうかは、誰にもわからない。
ただ、画面に映る自分の顔は、来たときよりわずかに澄んでいた。
店内では、セラが静かに皿を片付ける。
リヴィアが何も言わず、その背を見ている。
ヒビの線が、光を受けてかすかに輝いていた。
透明な飴細工の欠片が、光を受けて小さく輝いた。
今日もまた、ひとつ。
透明だったものが、少しだけ形を変えた。
最後までお召し上がりいただき、ありがとうございました。
またのお越しを、心よりお待ちしております。
※当店はゆっくり、不定期営業となっております。




