表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

一皿目

「マスター、お客様がご来店です」


静かな声が厨房の奥から響いた。


リヴィアは手を止めず、ゆるやかに背筋を伸ばす。

黒髪をポニーテールにまとめ、長めの前髪の奥で、深い緑の瞳がわずかに光った。


「わかったわ」


淡々と返す。その声音は静かだが、ほんのわずかな期待を含んでいる。


今日もまた、誰かが“選ぶ直前”にいるのだ。



温かみのある白い壁に緑のツタが這う店。

外にまで漂うやさしい香り。


(家に帰っても作る気力もないしな)


気づけば、古びたゴールドの取手を掴んでいた。


カランカラン、と鈴が鳴る。


中は思ったより整然としていた。幻想というより、静かな現実。


「いらっしゃいませ」


黒髪のポニーテールの女性が立っている。


「メニューはおまかせとなっております。こちらへどうぞ」


言われるまま席に着く。


差し出された湯呑み。


「こちら、“真実のお茶”です」


「変わった名前ですね。緑茶……ですか?」


「味は似ていますが、ベルダの葉を」


聞き慣れない名だと思いながらも、口に含む。


ほっとする温度。


その瞬間、胸の奥に押し込んでいたものが、少しだけ浮いた。


(別れたいわけじゃない)


(ただ、言えないだけだ)


“ありがとう”も

“悪かった”も。


運ばれてきた皿を見た瞬間、息が止まる。


白い器。

やわらかな湯気。

ホワイトシチュー。


スプーンを入れる。

じゃがいもがほろりと崩れる。


思い出す。


同棲を始めた夜。

不慣れな手つきで鍋をかき混ぜていた彼女。


「初めてだから、味は保証しないよ?」


あの少し緊張した笑顔。


口に運ぶ。


あの夜より、少しだけ優しい味がした。


「……俺、言葉が足りないんです」


いつの間にか、声に出ていた。


リヴィアは頷きもせず、ただ言う。


「足りないと気づいたのなら、足せばよろしいのでは?」


責めない。慰めない。


ただ、可能性を置くだけ。


皿は空になった。


会計のとき、黒髪の青年が静かに告げる。


「温かいものは、冷める前に」


一瞬だけ、視線が合う。


意味は説明されない。


男は店を出た。


外に出て、足を止める。


さっきまであったはずの砂利道は、もうない。

いつものアスファルトが広がっている。


不思議だとは思わなかった。


ポケットからスマホを取り出す。

何度も消して、打ち直して。


結局、こう送った。


『今日、シチュー作らないか』


素直じゃない。

でも、逃げてもいない。


送信。


返事は、まだ来ない。


それでも男は、少しだけ肩の力を抜いた。


店内。


青髪の店員が静かに皿を下げる。


「……選ばれましたね」


感情を乗せない声音。


リヴィアは窓の外を見つめたまま、ほんのわずかに口元を緩める。


それは滅多に見られない笑みだった。


黒髪の青年はその横顔を見つめ、何も言わない。

彼のポケットには、一枚の古い写真がある。

誰にも見せない。



そして今日もまた、迷う誰かの前にだけ、

あの砂利道は静かに現れる。


今日もどこかで。


最後までお召し上がりいただき、ありがとうございました。

またのお越しを、心よりお待ちしております。


※当店はゆっくり、不定期営業となっております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ