第9話 太陽の匂い
古めかしい木造の家は、温もりの匂いがしました。
入っても良いのでしょうか?
わたくしのような者が。
「狭い家でごめんなさいね」
母親がわずかに頭を下げます。
「とんでもありませんわ」
「それじゃあ、上がっておくれ」
「はい」
母親がカイルと共に家に上がっていきました。立ち止まっているわたくし。その肩にマコトの声がかかりました。
「ノクティア、上がろう」
「……そうですわね」
裕福とは言えない庶民的な家。だけど眩しく映るのはどうしてでしょうか?
玄関で靴を脱ぎました。床の感触が、やけに柔らかく感じられました。そのままダイニングへと歩きました。掃除が行き届いており、綺麗な室内です。レンガの家とは違う、木の匂い。
壁際の小さな暖炉を見て、ああ、ここなら大丈夫ですわ、と胸の奥がほどけました。
母親がすぐ手前のキッチンへと行き、カチャカチャと食器を洗っています。
わたくしは近寄って尋ねました。
「あの、お名前は?」
「私はイレーヌさ。お嬢さん、とりあえず、テーブルに座って座って」
見ると、カイルがすでにテーブルの椅子に座っています。振り返り、輝いた目でわたくしを見ていました。隣の椅子を引き、バンバンと叩きます。
「お姉ちゃん、隣に座ってよ!」
「分かりましたわ」
カイルの隣に腰掛けるわたくし。マコトが対面の椅子を引き、腰を下ろしました。
「お姉ちゃん、名前は?」
「わたくしは、ノクティアと申します」
「そっか! ノクティアお姉ちゃん、楽しみにしていてくれよな。母ちゃんのシチューはすっごく美味いんだ!」
「そうなのですね。それはとても楽しみです」
イレーヌがオボンを持って来て、三人に紅茶を出してくれました。小さな湯気が上がっています。ハチミツが入っているようで、甘い香りがしました。
「それじゃあ今からご飯を作るから、待ってておくれ」
「あ、ありがとうございます」
「母ちゃん早く早く!」
「カイル、ちょっと待っていなさいね!」
母親が意気込んでまたキッチンへと戻って行きました。カイルがカップに手に持ち、ふーふーと息を吹きかけて紅茶を口に運びます。わたくしも同じようにしました。
温かい。
カイルが無邪気な顔で聞きます。
「どうやって魔法を斬ったの?」
「慣れ、ですわ」
「うっそー! 慣れると斬れるのかよ! ノクティアお姉ちゃん、俺も斬れるかなあ?」
「それは……できませんわね」
「どうしてだい? お姉ちゃんは斬れるのに!」
「色々あるのです」
わたくしは人差し指を立てます。
カイルは不思議そうに首をかしげました。
「お姉ちゃん、見慣れないけれど、この町には初めて来たの?」
「はい。ついさっき、到着しました」
「もしかして、旅の者?」
「そんなところですわ」
「じゃ、じゃあさ、今度俺が町を案内してあげるよ! すっごいんだぜこの町。魔法力車があってさ!」
「魔法力車とは?」
「魔法使いが運転する車のことだよ! 空を浮くんだ! 今度一緒に乗せてやるよ!」
「うふふ、凄いですわね」
「ああ、凄いんだ! ちょっとお金はかかるけれど」
カイルは興奮したようにご当地名物を口頭で案内してくれます。
笑っている自分に気づいて、驚きました。
やがてイレーヌが食器に盛られたパンとシチューを運んできます。他にも野菜の漬物が食卓に並びました。シチューの甘い匂いに、ぐーっと間抜けな音が響きます。
わたくしとカイルがマコトの方を見ると、彼はお腹を手で押さえていました。
「はははっ、兄ちゃん、そんなに腹減ったのかよ」
「マコト、はしたないですわ」
「はしたないって言われてもな……」
恥ずかしそうな笑いを浮かべている勇者。笑いでごまかすつもりのようです。
まあ、いいです。
イレーヌがマコトの隣に座り、四人で昼食となりました。
「それじゃあ、食べておくれ」
「「いただきます」」
「いただきまーす」
スプーンを持って、シチューを口に運びます。
あら、とても美味しい。
イレーヌが恐縮したように、
「すまないね、こんな食べ物しか出せなくて、お嬢さんたちの口に合うかどうか」
「とても美味しいですわ」
「美味いです」
マコトがパンに手を伸ばし、千切ってシチューにつけます。そして口に運びました。
「お嬢さんたちは、どこから来たんだい?」
「えっと、少し遠くから」
「少し遠く? ふーん、目的地は?」
「それは……」
言いよどむわたくし。代わりにマコトが答えました。
「この町に引っ越してきたんです」
「そうかい!」
イレーヌは目を輝かせました。
「あんたみたいな人が近くにいてくれたら、心強いよ。なんなら、アパートも紹介しようかい?」
「いえ、そこまでは」
わたくしは右手を掲げて遠慮しました。
「ふーん、だけど、いつまでもいてくれ良いんだからね」
「ありがとうございますわ」
目を伏せます。
ここにいては、いけない気がしました。
空気が少し変わりました。
カイルが吹き飛ばすように笑顔を作ります。
「ノクティアお姉ちゃん、今日は泊まって行けよ」
「え?」
「俺、お姉ちゃんと同じ部屋で寝る!」
「……いいのですか?」
わたくしはイレーヌに視線を向けます。彼女は鷹揚に頷きました。
「かまわないよ! 是非是非、泊まっていってくれるかい? 主人が帰ってきたら、言っておくさ!」
わたくしはマコトに目配せします。
静かに頷く彼。
わたくしは自然と笑みがこぼれました。
「何から何まで、お世話になります」
「いいっていいって、お姉ちゃん! 気にすんなよ」
その日の夜。
カイルと同じ部屋で、二つの布団が並べられています。
ちなみにマコトは客室に泊まっています。
ランプの灯りだけが照らしていました。
先ほどまで、少年と一緒にアドラという戦争のボードゲームをしていました。彼は疲れたようで、いま隣ですやすやと眠っています。
わたくしも横になっていました。太陽の匂いのする布団。だけど、中々寝付けません。
部屋の扉がノックされます。
「あ、はい」
ガチャリと扉が開き、顔を見せるパジャマ姿のイレーヌ。
「明かりを消すよ」
「いえ、そのままでかまいません」
「そうかい? それじゃあ、ゆっくりとおやすみなさい」
「ありがとうございます」
「ああ、それじゃあね」
イレーヌが静かに扉を閉めました。去って行く足音がかすかに響きます。
ふと、カイルの寝言が聞こえました。
「また来てくれるー?」
「ええ」
わたくしは静かに答えます。
布団から彼の手が伸びて、止まりました。
わたくしは触れずに、天井を見つめます。
これからのことを考えていました。
何も思い浮かびません。
未来は、真っ白でした。
それでも――灯りだけは、確かでした。




