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第4話 優しい御者

 地平線の向こうに見えた町がどんどん近づいてきています。



 レンガ張りの家々が立ち並ぶ宿場町(しゅくばまち)。青々とした木々も見えました。生活の煙の匂いが風に運ばれてきて、鼻をかすめます。



 ――わたくしがいなくとも、世界は動いている。



 そんな当たり前のことを思ってしまうくらいに、わたくしは精神的に参っているのでしょうね。国を追放され、帰る場所を失って。



 夕日がもうすぐ西の山に落ちようとしていました。



 御者のおじいさんが馬を操り、馬車がスピードを緩めます。馬がいななき声を上げました。ガタ、ガタと音を立て、町の手前で停車します。



 マコトが組んでいた腕を解き、両手のひらを膝に置きました。精悍な顔立ちで顔を上げます。



「着いたね」


「はい」


「ここで降りるの?」


「ええ、そうですわ。この馬車は、町では目立ちますから」


「分かった」



 マコトが私のバッグを持ちます。扉を空けて軽々と地面に足をつけました。そしてこちらを振り向きます。差し出される右手のひら。



 ……別にいいのに。



 わたくしはその手を取って、ブーツの靴底で柔らかな土を踏みしめました。王都の石畳とは違う現実を感じます。



 ――わたくしは、もう公爵家の令嬢ではありません。



 青の長髪と膝丈までのスカートが風に揺れました。もう春だというのに少し肌寒いです。



「これ」


「はい」



 大きなカバンを渡されて、肩にかけました。



 腰のベルトの鞘には軍剣が収まっています。その重みに安心を感じました。私にとっては何よりの守護神です。



 かなりの大荷物ですが、旅なので仕方ありません。



 マコトは馬車の後方に回り、トランクの中から大きなリュックを取り出しています。嘘、一体いつ入れたのかしら? たぶん、あの戦闘の時ですわ。間違い無く、わたくしの許可に寄らず、彼は旅に着いてくる気だったのです。まったく、この男ときたら。



 まあ、いいです。



 リュックサックを背中に担いでニコッと微笑する黒のショートカット。



 わたくしは御者台に寄って、おじいさんに声をかけました。



「御者よ、わたくしたちはこの町の宿に泊まります」


「へえ、クアトゥーハ様」



 おじいさんの視線がぎょろりと動きます。



 昔は目を合わせてくれたのに。けれど、どうして目を合わせてくれないのでしょう?



 その眼球は、わたくしではなく――わたくしの荷物を見ていた気がしました。



「貴方はここで待っていてください」


「分かりやした。旅疲れを癒やしてきてください、お嬢様」


「もうお嬢様ではありません」


「ところで、町の様子はいかがでしたか?」



 ()いた声です。



 気づけば、指先が鞘に触れていました。



(……エルンおじちゃん?)



 何を言っているの?



 よく分かりません。だけど大丈夫です。この御者のおじいさんは昔からわたくしとよく遊んでくれた公爵家の召使いなのです。お嬢と呼んで、肩車をしてくれた事さえありました。そしてどんな雨の中でも彼は馬を守り、必死に仕事をしていました。今でもその姿が鮮明に脳裏に(よみがえ)ります。ああ、懐かしいですわ。



 手綱を握る彼の両手が妙に心に残りました。



 理由は分かりません。



 彼の手には見覚えの無い傷もあります。声もそうです。しわがれたカラスのようなもの。他人行儀と言えば良いのでしょうか? ちぐはぐな印象でした。



 ……どうしてわたくしをお嬢と呼ばなかったの?



 マコトが隣に並びます。すらっと背の高い男がいてくれて、わたくしは安心を感じました。袖の長い白い服に赤いベストを彼が着ています。



「ノクティア、それじゃあ行こうか?」


「ええ」



 並んで歩き出す二人。空の色は黒みがかってきていました。一番星が輝いています。ああ、綺麗。



 とりあえず、町に到着したら宿を探さなければいけません。わたくしはカバンから革袋を取り出して開きます。少しばかりの金貨に銀貨、銅貨。そして小粒ですが価値の高い宝石が入っています。他にも、身分証と家紋(かもん)の入ったブローチ。



 ――わたくしはどうしてこれを大切に持っているのでしょうか?



 自分でも理解しがたい感情を、特に解明する気もありません。



「売るの?」



 マコトが聞きます。宝石のことでしょうか?



「必要とあらば」


「そっか。隣国に着くまでに、お金が足りるといいけれど。僕も少しならあるよ」


「自分のことは自分で何とかしましょう」


「そうだね。はは、君は(たくま)しいな」


「自立した女性はお嫌いかしら?」


「僕だけにか弱いところを見せてくれるっていう条件付きなら、好きだ」


「残念です」


「おいおい」



 自然と足取りが弾みました。



 町の近くに来ると、人々の姿がよく見えます。衛兵が多いですね。鎧の色は王都と同じ黒。わたくし達をいぶかしげに睨めつけてきました。



 素知らぬ顔をして視線をはずします。



 町の景色を見ていると、ふと遠くに掲示板が目に留まりました。わたくしはとても視力が良いです。そこに貼ってある一枚の似顔絵つきの紙を見て、驚愕しました。



 ――ラインハルトのやつ。



 いま、わたくしの瞳は不安に揺れていることでしょう。



「マコト、身分証は持ってきていますか?」


「もちろん」



 話題を振って、彼の注意を引きました。



 ――だけどすぐにバレるんでしょうね。


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