第24話 観測者ラスティン
夏のからりとした空気が漂う頃。
わたくしたち司書は衣替えをして、半袖グレーの着物です。下は相変わらずロングのスカート。仕事場の空気にも慣れ、作業もそつなくこなせるようになりました。司書リーダーにならないか? という話も出ています。わたくしは笑顔で断っていました。
結局、マコトとは何も進展が無いままに。
それでも仲良く暮らしていました。マコトは、感情が読めないところがあります。そこが彼の個性であると言えばそうなのです。くれる言葉は情熱的であるのだけれど、もう少し行動的であって欲しいというのが、素直な感想でした。
今日も仕事が終わり、空に輝く灼熱の円形が空をオレンジ色に染めています。
わたくしは自分の席の周囲を整頓していました。
ああ、今日も仕事が終わった。明日は休日です。たまにはマコトとお酒を飲みに行こうかしら? そしたら彼も、酔った勢いで本音をぽろっと漏らすかもしれません。そしたらわたくしも、コロッといっちゃって。
なんて。
でも、本当に良いかもしれない。
ふと、司書リーダーの女性がわたくしの元へと歩いてきました。高年齢にはとてもでは無いけれどが見えません。鮮やかなお化粧と少しきつめのお顔立ち。わたくしの上司です。
「ノクティアさん、図書塔長が貴方を呼んでおられます。今から、塔長室へ行ってくださる?」
「……ラスティン様が?」
「はい」
「何か、わたくしは叱られることをしたのでしょうか?」
「分かりませんが、それは無いかと思います。とにかく、すぐに行ってください」
「はい。分かりましたわ」
立ち上がり、歩いてカウンターを出ます。会話を聞いていたナリナがびっくりしたような瞳でわたくしを見つめていました。階段へと行き、上っていきます。
魔導図書塔、六階。
そこは管理者の区域。普段入らない場所でした。床に敷き詰められた薄茶色の絨毯。天井には魔法灯が等間隔に並んでいます。その通路を歩き、大きな部屋の前で、扉をノックしました。
コンコン。
「入ってください」
中から、優しげな低い声が響きます。
扉を開けて、中に入りました。広い室内、奥にはブラウンの大きな仕事机があります。壁際にはガラス棚があり、ラスティンが国や町からもらったのであろう賞状が飾られていました。その上の段には食器が並べられています。
仕事机の手前、机を挟んで二つの白い長ソファがありました。その奥にラスティンが座っています。くせっ毛の銀髪に、メガネをかけた理知的なお顔。塔長だというのに、年齢はまだ二十代後半に映りました。目尻には笑いじわが刻まれています。やっぱり、お優しそうなお顔立ち。
彼が対面のソファに右手を差し出しました。
「よく来てくれた、ノクティア君。座ってくれるかね」
「あ、はい」
わたくしは、緊張と警戒が入り交じったような声で返事をし、歩いてソファにちょこんと身を沈めます。背もたれには背中をつけません。
ラスティンが魔導ポットで紅茶を作ってくれました。
「どうぞ」
「あ、おかまいなく」
わたくしはかすかに頭を下げます。
「この紅茶、ハブリッドなんです」
「それは、どうも」
昔、実家で何度も飲んだことのある紅茶の名前でした。高級品であり、甘みが強く香り高いことで有名です。
「ぜひ、飲んでいただきたい」
「あ、それでしたら」
わたくしはカップを持って、紅茶をすすります。懐かしい味と香りに包まれて、ほっとため息が漏れました。またカップをテーブルに置きます。
ラスティンは改まった顔で語りかけました。
「仕事はどうですか?」
「慣れてきました」
「ずいぶん、君は有能であると聞いていますが」
「いえ、そんな。わたくしはただ、自分に与えられた役割を手早くこなしているに過ぎません」
「謙遜だね」
「恐縮です」
「君はお客さんや子供の友人にも優しく、同僚からも信頼が厚い」
「そうですか? わたくしはただ、自分らしく振る舞っているに過ぎませんが」
「君にとってはそうだろうね。だけど特筆すべき能力だ。欠勤することもない。風邪もまだ一度も無い。作業精度は高く、判断速度は早く、仕事としての信用も抜群だ」
彼の視線が少しきついです。熱視線と言えば良いのでしょうか?
もちろん、部下としての興味なのでしょうけれど。
だけどそれだけじゃない気がするのは……。
わたくしの自意識過剰かしら?
「買いかぶりです」
「そうかな? マコト君からも聞いたよ。君は、信頼できる人だと言っていた」
「マコトが、そんなことを?」
「ああ。マコト君……勇者と呼ぶべきだろうか? 彼も非常に仕事ができる人だ。何度か飲みに連れて行ったが、だけど本音を隠すところがある。人との距離感が上手いんだね。だから、つき合っていてお互いが疲れない」
「ええ、分かります」
「彼は生涯の友人だ。ここにいる限り、私は彼を裏切らない」
「ありがとうございますわ」
「もちろん、君もね」
「重ねて、感謝申し上げますわ」
「そうかそうか」
ラスティンが紅茶をすすります。カップを置いて、それからクッキーの入ったカゴをわたくしの前に差し出しました。
「これも、美味しいんです」
「あ、それじゃあ、一つだけ頂きます」
クッキーを手に取り、口に運びます。咀嚼すると、口の中に上品な甘い麦の味が広がりました。いつかエミリッタと共に食べた、学園の放課後が思い出されます。
「ところで、君に、これに触って欲しいんだ」
彼が、テーブルの横にあった魔法灯をこちらへと移動させます。ガラスの円形、その中で魔導具が黄色い光りを発していました。
「これに手を?」
「ああ」
「はい」
わたくしはそのガラスに手を置きます。ふと、魔導具がチカチカと揺れました。蛍のように明滅し、やがて光が消失します。わたくしの能力が、魔導具の魔力を消失させたようです。
室内が静寂しました。
魔法灯からはカラカラとしたかすかな音が響いています。
わたくしは息をのんで顎を上げました。すぐに頭を下げます。
「申し訳ありません」
わたくしは手を離します。魔法灯はすぐに黄色い光を取り戻しました。
ラスティンは先ほどよりも感情の無い瞳で、ゆっくりと二度頷きます。
「……やはりか」
彼の呼吸が変わっています。
わたくしは顔が強ばりました。
「あの、何か?」
「いや、何でも無い」
ラスティンは両手を膝において、背筋を伸ばしました。真っ向から見つめます。その瞳は、まるで、わたくしを観測しているかのようであり、
「明日から、君に図書塔長の補佐業務を任せたい」
「補佐官、ですか?」
「ああ。昇格だ」
「どうして、わたくしに?」
「有能だからです」
顔を俯かせて困惑します。正直なところ、いまやっと慣れてきた司書の仕事をバリバリとこなしていたい気持ちでした。その反面、新しい仕事に触れることにも関心がありました。何より、塔長のそばで働けるというのは胸がワクワクとします。同僚の羨望の眼差しを想像して、心が少し浮つきました。
「わたくしで、務まるのでしょうか?」
「問題ありません」
それからラスティンは一言添えます。
「退勤時間は、マコト君と合わせるように配慮します」
「あ、ありがとうございますわ」
「では、引き受けてくれるね?」
「わたくしでよろしければ!」
「では、明日からはこの部屋へ通勤してください」
「はい」
わたくしは何度も頭を垂れました。
塔長室を後にします。不思議と弾む足取りであり、気づけば鼻歌も歌っていました。わたくしの仕事が認められた瞬間なのです。
けれど。
マコトはどう思うかしら。
すぐに知れ渡ることです。だったら、わたくしから、一番に報告するべきですわ。もしかしたら、鼻を高くして喜んでくれるかも。だけど、ラスティン様に対して、焼き餅を焼かれたら困る。
……どうしよう。
階段を降りて、休憩室で着替えをします。カバンを肩にかけて図書塔を出ました。同僚はもう残っていませんでした。そう言えば、マコトに遅くなることを告げていません。けれど、待っていてくれるはず。
早足で裏口から外へと出ます。
すぐそこにいつもの凜々しい顔立ちが待っていてくれて、
見つけた瞬間、肩の力が抜けました。
「ノクティア、遅いぞ」
「えへへ、遅刻したの」
町は賑やかです。
そして特別な明るさを放っていました。
どの家々の軒先にも、いつもとは違うオレンジ色の魔法灯が並んでいます。
駆けっこをする子供たちが通り過ぎて行きました。
どこかから、お菓子の甘い匂いが風にのって運ばれてきます。
遠くで演奏される、ギターやアコーディオン、そして打楽器の音。
道路を歩く手をつないだ夫婦が向こうを指さしました。
「祭りはあっちね」
「うん、楽しそうだね」
わたくしはマコトに歩み寄り、疑問をつぶやきます。
「今日はお祭りなの?」
「ノクティア、君は知らなかったのか?」
「祭りの話はみんながしていたけれど、今日だとは思わなかったわ」
「今日だぞ」
「そうなのね!」
「ああ、今夜はデートだ」
甘くささやくマコト。わたくしは思わず笑いがこぼれました。彼と遊びに出かけたことは何回もあるけれど、デートと宣言されるのは初めてです。
ちょっとドキドキ。
少しワクワク。
……今日こそ、マコトはあの言葉を言ってくれるのかしら。
無いでしょうね。
だから、
わたくしは勇者様に近づいて、ノリ良く腕を絡めました。
「行きましょう!」
「ああ」
二人でくっついて歩き出します。
――今夜こそ。
言うのです。
私から。
そして、貴方の顔に影が落ちる理由を聞きたい。どんな悩みも、一緒に考えて、解決していきましょう。
マコト、報告があります。私、塔長の補佐官になりました。きっと褒めてくれますよね? そしたら私は、喜んで、心から捧げます。
ふと、後方で鈍い音がしました。
何の音でしょうか?
……今は気にしなくて良いのです。
久しぶりのお祭り匂い。
マコトと共有している体の高揚が心地よい。
彼の心臓の音が響いてくるようです。
今日は、何をしたって無礼講ですのよ、マコト。




