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第23話 マコトの顔に落ちる影

 業務終了後のこと。



 カウンターの隣に椅子に移動してきたナリナが声をひそめて聞きます。その瞳はいたずらをする猫のように揺れていました。



「ねえ、ノクティアさん。マコトさんとは、もうヤッたの?」



 思わず吹き出しそうになって、わたくしは苦笑を浮かべます。



「まだですわ」


「えー! 同棲してるんでしょ? それ、マコトさんが可哀想だよ」


「それはどうしてですの?」


「だって、男性は性欲処理が大変って言うしさ」


「……確かに」



 わたくしは毎日のように夜の散歩に出かけるマコトを思い出しました。もしかしなくても、外で処理をしています。それを思うと、気の毒になりました。



 ナリナが眉をひそめて、



「キスはもうしたの?」


「……まだです」


「それやばいって! マコトさん、ストレス溜まるよ!」


「そういうものなのですか?」


「間違いなくそうだよ! ノクティアさん、ここは女が頑張るところだよ!」


「ですが、告白もまだされていませんわね」


「告白もまだなの!? それで同棲って、どゆこと!?」



 わたくしは困った顔つきになり、助けを求めるような表情です。



「何度もけしかけているんですが、マコトが告白をしてくれませんの」


「じゃあ、ノクティアさんからすれば良いんじゃない? その、マコトさんって勇者様なんだよね? その勇者様のこと、ノクティアさんは好きなの?」


「え、ええっと、それはー……」



 ナリナはさらに声をひそめます。



「大丈夫、ノクティアさん。誰にも言わないから、私にだけ言って?」


「あの、それが、えっと、ごにょごにょ……なのです」


「じゃあやっぱり、ノクティアさんから告白しなきゃ!」


「今日の朝も、一生懸命言わせようとしましたが、マコトが言わないんですぅ」


「ノクティアさん!」



 わたくしの肩にナリナが手を置きます。



「女だったら、ゴーだよ」


「でもぉ、振られたりしたら」


「振られる訳ないじゃん! 同棲までしているのに、振られる訳がないって!」


「でも、その、何というか、わたくしは……」


「ノクティアさん、これは貴方たち二人のためなんだよ。料理で男の胃袋を掴むだけじゃ弱い! 下の袋もすっきりさせてあげないと。ここで一歩距離を詰めれば、甘ーい生活が待ってるよ!」


「あうあう」



 わたくしは両手を頬に当てて、顔を赤くしていました。



 恥ずかしいです。



 それからもナリナは熱弁をくれます。



 わたくしは顎を縦に動かして、恐縮していました。



 ふと、階段から知った顔が降りてきて、通路をこちらへと歩いてきます。マコトです。研究員用の黒いローブが様になっていました。格好良いです。わたくしたちのカウンターに来て、右手を掲げました。



「やあ、ノクティア。仕事も終わったし、帰ろうか」


「勇者様ですかぁ!」



 わたくしが声をかける前にナリナが立ち上がります。そして両手を伸ばしました。その顔は満面の笑顔であり、



「わたくしはナリナと申します。貴方は勇者様ですよね?」


「あ、ああ、そうだけど、ノクティアの友達か?」



 握手を交わす二人。ナリナがマコトの手を揉むように撫でています。



 ふと、辺りの同僚たちがざわめきました。



「勇者様です!」


「あのお方が?」


「何て美しいお顔なの!」



 わたくしは握手をするナリナとマコトの手を睨みつけました。それから勇者の顔に視線を移します。



 胸がざわつきました。



 だけど二人は初対面の握手を交わしただけです。



 吐いたセリフも問題ありません。



 マコトは礼儀を払っていました。



 けれど。



 ……面白くありません。



 わたくしが呼びます。



「マコト」



 二人の手が自然に離れました。



「あ、ああ! それじゃあ帰ろうか。ノクティア」


「少々、お待ちくださいませ」



 わたくしはどうしてか語尾が強くなり、立ち上がって休憩室へと向かいます。荷物を持って、司書のカウンターを出ました。別れの際、ナリナが手を振ってくれます。



「ぷくく、ノクティア様。今夜は甘い夜かな?」


「まだ早いですわ」



 言い残して玄関から出ます。



 突っ立っていたマコトと合流し、帰路を歩きました。食材屋と市場に寄って帰らなければいけません。



「ノクティア、お疲れ様」


「……」



 返事をする代わりに、頬がふくれました。



 歩きながら、勇者様の腕とわたくしの肩が軽く触れます。



 ――女だったら、ゴーだよ。



 ナリナの言葉を思い出し、わたくしは思いきって行動に踏み切りました。



 マコトの右腕に手を絡めます。



 彼が頬をぽりぽりとかいて、



「ノ、ノクティア、どうしたの?」


「あら、どうかいたしましたか?」


「い、いや、何でも無い」


「……嬉しい?」


「ああ、すごく」


「じゃあ、これで良いですわ」



 夕日が照らす石畳の道。二人の影がくっついて揺れています。



 食材屋で調味料を少々買いました。他にも市場に寄って、串肉とスモモを買います。勇者様の希望で、内臓系のコリコリとした肉をいくつか買いました。どうやら好きなようです。



 組んだ腕はもうほどいていました。二人で真っ直ぐに家を目指します。やはり思い浮かぶのは、先ほどのナリナとの会話でした。



(それやばいって! マコトさん、ストレス溜まるよ!)



 勇者様は男性なのです。わたくしとのキスも無い同棲生活には、ストレスが溜まるはずでした。だから、早く楽にしてあげたい。マコトに心地の良い暮らしをさせてあげたいのです。それに、わたくしだって……もっとドキドキしたいです。



「勇者様は、どうして言ってくださらないのですか?」


「何をだい?」


「ごまかしはもうたくさんでございます」


「何もごまかしていないけれど」


「マコト」



 わたくしは立ち止まります。



 勇者も歩を止めて、こちらを振り返りました。



「ああ」



 わたくしの顔が心配に染まります。



「何か、ご理由があるのでは無いのですか?」


「え?」


「言わないのには、何か訳が?」



 ……。



 沈黙が流れました。



 瞬間、



 彼の顔にさっと影が落ちます。



 ……嘘!



「ノクティア、帰ろう」



 優しい声。



 マコトがまた正面を向いて、歩き出しました。



 わたくしはその背中を追いかけて歩きます。



 だけど、二人の心の距離は遠くなっていて。



 ただ解決の仕方が分からなくて。



 わたくしは困ってしまいました。



 今夜、マコトの布団に侵入しようかしら。



 そんな馬鹿げた妄想を、本気で考えてしまうぐらいに、



 わたくしはマコトを助けてあげたくて。



 その夜。



 やはり、マコトは夜の散歩に出かけました。



 わたくしはベッドの布団の中で、何度も寝返りをうちます。



 ……どうすればいいの?



 可愛い存在。



 わたくしの、たった一つの財産。



 失いたくないのです。



 マコトを理解してあげたい。



 楽にしてあげたい。



 ナリナの言葉。



(だって、男性は性欲処理が大変って言うしさ)



 自分から好きだと言えないわたくし。



 言えば、拒絶されるかもしれません。



 あの時の、マコトの沈黙。



 顔に差した影。



 胸が、落ち着きません。



 ――何か、理由があるんだわ。

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