第20話 ここにいる
食事の後、
オルセナル不動産に来ていました。
その管理人の小さな事務所。
わたくしたちはソファに座り、木机に置かれた売買契約書に目を通します。マコトの目力が凄いです。文面一つ一つに目を通し、ページを最後までめくり終えました。
「ノクティア、大丈夫だよ」
「ありがとう、勇者様」
木机を挟んで対面に座っている不動産屋の女社長。パリっとしたスーツに身を包んだそのおばさんが尋ねました。
「お買いになられますか?」
「はい」
小さく頷きます。
彼女が書面の最初の方のページを開いて、指で示しました。そして顔を上げます。
「ご夫婦の共同名義にいたしますか?」
わたくしは隣にいる男に顔を向けます。
コクンと頷く彼。
わたくしはまたスーツの女社長に顔を向けました。
「はい」
「では、二人のサインを頂戴いたします」
羽ペンが渡されました。
木机に置いてあるインク壺に先っぽを浸します。自分の名前を書くとき、少しだけ迷って。
ノクティア、と書きます。
性を捨てて、名前だけ書くことにしました。
マコトの眉がわずかに跳ねて、視線を向けます。
ですが、何も言いません。
わたくしは気にせずに、いくつかの書類にサインをしていきます。
マコトにもペンを渡します。彼も自分の名前をはっきりと書きました。
女社長は満面の笑顔で頷きました。その顔は商売人というよりも、わたくしたちを祝福してくれている顔つきであり。
「それでは、お支払いなります」
「はい」
「金貨25枚を」
「分かりました」
革袋を取り出して、その中から一つ一つ、金貨を木机に並べていきます。社長のおばさんが黙ったまま数えて、新品の革袋に入れました。
「丁度あります」
木机に載っている二つの書類をこちらへとずらします。その上に鍵を二つ置きました。
「では、こちらは土地の権利書になります。これは家の鍵になります。どうか無くさないでください。では、これで契約は完了になります。契約書は、木箱にお入れしますか?」
「お願いします」
「はい」
女社長が木箱を取り出しました。重要書類を丁寧に木箱に入れてくれます。
「「ありがとうございました」」
「いえいえ、何かお困りのことがあれば、すぐに知らせに来てくださいね!」
わたくしは木箱をカバンに大切にしまいます。
マコトと二人で、鍵を一つずつ持ちました。オルセナル不動産を後にします。
外に出ると、もう夕方。
食材屋と雑貨屋に寄りました。ひとまず必要そうな食料と物品を購入します。荷物持ちをマコトが買って出ました。ありがとう、わたくしは非力な乙女ですわ、うふふふ。
それから、二人で、新たな住居に向かって歩いていました。
町外れの住宅街。先ほど見た三毛猫が歩いて来ました。背中に長い傷が出来ています。どうやら、喧嘩に負けちゃったようです。わたくしたちに気づくと、早足で通りすがりました。
ここは静かな場所。
歓迎する者もおらず、拒絶するも者もいません。そのぐらいが、胸に心地よい。
新居にたどり着くと、やはり伸び放題になっている庭の雑草に目が行きました。明日は腕まくりをして雑草むしりをしなければいけませんわね。
扉に鍵を差し込みます。
カチャ。
レンガの家に、外履きのまま入りました。やはり埃っぽい空気。これは今日中に掃き拭き掃除が必要ですわ。
二人で一階建ての家を見て回ります。小さなルームが一つ、ダイニングとリビング、そしてキッチンが一緒になった広い部屋が一つありました。水道が通っており、キッチンの蛇口からは水が出ます。赤茶けた流水をしばらく出しっぱなしにしました。
テーブルと四脚の椅子が置いてあり、以前この家を使っていた人が置いて行ったのでしょう。
大きなガラス窓をいっぱいに開けます。ああ、気持ちの良い空気。
マコトがつぶやきます。
「悪くないな」
「十分でございます」
「とりあえず、仕事を探さないといけないな」
「その前に掃除ですわ。マコト、ホウキを出して」
「分かった」
買ってきた紙袋の中から彼がホウキを取り出して、わたくしに渡しました。他にも雑巾を持って、二人で家の掃除を始めます。
汚れていた家が蘇っていきます。
コン……コン。
家の扉が控えめにノックされました。
誰?
もしかして、さっきの社長さんかしら?
「はーい!」
わたくしは返事をして玄関に歩きます。扉を開いて、そこにいた顔にびっくりしました。この間お世話になった家の茶髪の少年、カイルがいます。
「こ、こんにちは!」
「こんにちは。カイル、どうして?」
「あ、あの、母ちゃんが、オルセナル不動産屋さんに家賃を払いに行った時に、聞いて来たんだ。ノクティアお姉ちゃんたちが、ここに家を買ったって」
「そうなの? カイル、とりあえず上がって! 紅茶を入れるわ」
「う、うん!」
カイルを招き入れて、扉を閉めます。
キッチンの焜炉に木炭を組んで火を起こし、ヤカンにお湯を沸かしました。
マグカップに紅茶を入れて、カイルに出します。三人でテーブルの椅子に座りました。
カイルがふーふーと息を吹きかけて、紅茶をすすります。
わたくしは申し訳なさそうな顔で、
「ごめんなさいね。この間は勝手に出て行ったりして」
「いいよ! お姉ちゃんたちにも理由があるんだろ?」
「うん」
「でもさ、俺、時々遊びに来てもいいかな? まだ、魔法力車にも一緒に乗ってないしさ」
「ありがとう。是非、お願いしますわ」
「俺がお姉ちゃんをエスコートしてやる!」
「それは許さん」
マコトが低い声で口を挟みます。
大人げないです。
「マコト」
「何だよ兄ちゃん。お姉ちゃんを狙ってんのか? じゃあ、俺たちはライバルだな!」
「ライバルだと?」
「そうだよ。先にキスした方が勝ち!」
「ノクティアの唇は僕のものだ!」
「あのねマコト」
わたくしは困った顔をしてため息をつきます。
鼻息の荒い勇者。
格好悪いです。
それから、カイルが家族の気持ちを報告してくれました。イレーヌおばさんも、その主人もわたくし達を心配しているようです。今度、家を訪ねて謝罪しないといけませんわね。
カイルが帰った後、わたくしが料理を作りました。だし巻き卵に魚のソテー。サラダとパンと一緒にいただきます。
ランプだけの灯り。
静かな室内。
窓の外には虫の声。
遠くで喧嘩をしている猫たちの鳴き声。
部屋を見渡して、二度頷きます。
マコトが紅茶をおかわりして、わたくしの隣に腰掛けました。
その左手がわたくしの右手を握ります。
「マコト?」
「君を、離さない」
真剣な顔を向ける勇者。だけど、唇は迫ってきません。分かっています。彼は、自分の思いを無理やりに押しつけたりしないのです。
――だから、
わたくしは安心して。
「うふふ、大丈夫よ」
「そうかい?」
「ここにいるわ」
わたくしはランプに目を向けました。
「この灯りの中に、わたくしはいたいのです」
「僕もだ」
手をつないだまま、灯りが揺れていました。




