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第17話 腕の中の答え

 一日の終わりを告げる橙色の太陽。



 その円形が山に落ちていく頃のこと。



 少し肌寒いのは、先ほどの戦闘でかいた汗が冷えてきたからなのでしょう。夜までに、みそぎを済ませたいものです。だって、砂埃と汗を拭き取りたいですから。それと、汗の匂いがしたら嫌なのです。



 窓を開けて、また濡れ雑巾で床を拭いていました。だけど焦げついて陥没した床は、もう直すことができません。戦闘の跡に汚された新生活の拠点。せっかく出来上がりかけていた家が、王国によって破壊されてしまいました。もう、どう生活すればいいのか分かりません。



 この場所は王国に知られています。いつ何時、また敵が攻めてくるか分かったものではありません。だから、またどこかへ移動しなければ。



 けれど。



 じゃあどこに行けば良いのでしょうか? どこまで遠くへ逃げれば? わたくしたちに安住の地など、あるのでしょうか? 堂々と胸を張って、もう明るみを歩くことはできないのですか? 悲しい葛藤が、頭の中をぐるぐると回ります。



 分からないわ。



 床から立ち上がり、窓の向こうを見つめました。



 空一面が、鮮やかな夕焼けです。



 エミリッタと共に肩を並べた学園での放課後が思い出されました。ああ、あの日は本当に平穏でした。また彼女と一緒に紅茶を飲みながらクッキーを食べたい。そして、笑い合いたい。



 さようなら。



 エミリッタ



 さようなら。



 今日という一日。



 さようなら。



 勇者様。



(やはりわたくしは――)



 床から立ち上がり、わたくしは振り向きました。マコトは椅子に座ってのほほんとしており、マグカップに入れた水道水を飲んでいます。



 どうして貴方は、いつでもそうやって、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)でいられるの?



 ――ずるいわ。



 わたくしは、震える喉を右手で押さえて、震えがおさまるのを待ちました。それから静かに言います。



「マコト」


「なんだい?」



 ……。



「わたくしから離れて、王国へ帰りなさい」


「それは断るよ」



 やはりのんびりとした口調。わたくしが心を痛めて、真剣な話をしているというのに、この男は……。



 今日という今日は許しません。



 わたくしは雑巾をバケツに入れて、またマコトに向き直ります。両手を太ももに組みました。静かに事実を突きつけます。



「いいですか、マコト、よく聞きなさい。貴方は勇者なのです。国家に選ばれて、魔王勢力と人間勢力のパワーバランスを保つための存在。取るに足りない公爵令嬢のわたくしとは違います。いずれ、魔王に立ち向かわなければいけません。王国にとって、いえ、世界にとって、貴方は必要な存在なのです」


「それがどうかしたかい?」



 飄々(ひょうひょう)とした声色が返ってきます。



「貴方は……」



 わたくしは顔を落としました。



 けれど、一瞬のこと。



「王国へ帰りなさい」


「嫌だね、僕は君のそばにいると決めたんだ」


「それはどうしてなの?」


「どうして、は要らない。僕は君のそばにいる。他に言葉がいるのかい?」


「わたくしは灯りを壊す存在よ。今だって、もうここに住んでいられなくなったじゃない」


「だからなんだい? 僕は家に選り好みが無いんだ。君がいるのであれば、雪原地帯だろうとそこが僕の居場所さ」


「わたくしは、このままでは貴方の輝かしい未来を壊してしまう。だけど、今ならまだ後戻りができるのよ」


「輝かしい未来だって? そこに君はいるのかい? いないのであれば、そこは無人島のようにつまらない場所だね」


「言っていることがよく分からないわ」


「分からない? じゃあ、何度でも教えてあげる」



 椅子からマコトが立ち上がります。左目の泣きぼくろが揺れました。だけど彼は、二人の間隔を詰めようとしません。



「どうしてなの?」


「どうしてって? 何のこと?」


「どうしてわたくしに着いてくるのかって、聞いているんですわ!」


「君がここにいた。だから僕もここにいる。それが答えにならないかな?」


「分からないわ!」


「分からないだって? じゃあ何度だって言うよ。君は可愛い。だから、僕は君を離さない」



 顔がカーッと熱くなります。



 耳まで真っ赤でした。



 けれど、



「分からないわ。貴方の言っていることは、まるで森に迷い込ませようとしている妖精のささやき言葉のようだわ。もっと分かりやすく言ってみなさいよ! そんな貧相な語彙の羅列で、わたくしを騙せると思ったら大間違いですわ!」



「騙そうとなんかしていないよ。僕は君といると幸せなんだ。人生のゴールなんだ。つまり、君といると永遠を感じる。だから、僕はこれからも、ずっと君を選び続ける」


「分からないわ! 分からない! 分からないの! もっと、ちゃんとした言葉で言ってくださいな!」


「大丈夫。これだけは確かだから、信じて欲しい。僕は君が太陽に逃げたとしても、月になって追いかける。それぐらい、君の存在が必要なんだ」


「分からないわあっ!」



 わたくしは早足で歩き出します。自分のカバンを持って、室内の扉へと向かいました。バタンと開けて、通路歩きます。そのままシャッターの割れ目から外へと出て行きました。



 勇者なんか。



 知りませんわ。



 もうっ。



 ――絶対にわたくしの欲しい言葉をくれない。



「ずるい人ですわ!」



 プンプンと早足で歩きました。



 けれど、



 眼前の空間が歪む。



 光が弾けた。



 目の前に現われたのは、勇者。



 ――転移魔法ですわ。



 わたくしはカバンを地面に捨てて、剣を抜き放ちます。



「勇者、立ち塞がるのなら、斬ります」


「立ち塞がってなんかいないよ。僕は君のそばにいる」


「それ以上、わたくしを言葉で惑わそうとするのなら、容赦しませんわ!」


「大丈夫。僕は惑わせたりしないよ。君のそばにいて、君と共に生活をする。ただそれだけの存在に過ぎないのだから」


「分かりませんわ」


「じゃあ、分かるまで、質問すればいい」


「質問しても分からなかったですわ!」


「じゃあ、もう一度言うよ」



 勇者が右手を掲げて差し出す。



「分からなくて良い。


 ――君を選んだ」



 ……。



 このっ!



 わたくしは走り出します。剣を振りかぶって勇者を袈裟斬りに切り裂く。



 ……けれど。



 どうしてなの?



 マコトは、わたくしを優しく抱きしめてくれて。



 わたくしは、体の力が抜けました。剣を手放して、それが床に落ちます。鈍い音が鳴りました。



 勇者がゆっくりと、わたくしの肩に手を回します。



(どうして?)



 どうして――こんなに嬉しいの?



 そのまま二人で、床に沈みます。



 短くつぶやきました。



「……馬鹿」


「うん」


「受け入れて、良いの?」


「そうして欲しい」


「わたくしは、不幸を呼ぶ女ですのよ?」


「違う。君はこんなにも、僕を幸せにしてくれる」


「信じて、良いの?」


「ああ。これからも僕は、君のそばにいるからね」


「どうして、……どうして言ってくれないの?」


「何を?」


「……もう、いいっ」



 胸に顔を埋める。



 鼓動が、近い。



 ……動きたくない。



 ずっと探していた場所を、



 ――見つけましたわ。

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