第15話 エミリッタ
コトコト、とフライパンの上でスープが煮えています。
廃魔法実験棟の調理室。
いま、ポトフを作っていました。立ち上る甘くて良い香り。木炭がパチッと音を立てて、火花が弾けます。オタマでスープを少しだけすくい、口に運びました。丁度良い塩加減と甘さです。
調理器具は室内に置かれてあったものを洗って利用していました。木炭も同じく。
すぐ後ろでは、マコトが椅子に座っており、背もたれに両手を組んでわたくしを眺めています。彼がつぶやくように、
「良いお嫁さんになれるな」
「いつでもお嫁さんになれますわ」
「俺のところへ来てくれるか?」
「残念です」
「おいおい」
すでに洗ってある深皿にスープを盛り付けて、パンと一緒にテーブルに運びます。火を消して、それからマコトと隣り合わせに座りました。いただきますを言って、食事を口へ運びます。
「さっき食べたばかりだから、あんまり食欲が無いな」
「三食きちんと食べないと、体に良くありませんわ」
「そりゃあそうだ」
マコトがスープをスプーンですくい、口へ運びます。わたくしは気になって尋ねました。
「お味はどう?」
「超美味い」
「それは良かったですわ」
「いつでも俺のお嫁さんになれるな」
「残念です」
「これでも本気なんだがな」
「誠に残念です」
「マコトだけにってか?」
「くださないギャグを言わせないでくださいまし」
「お前が勝手に言ったんだろ」
「うふふふ」
静かな食事。
けれど気持ちが楽なのはどうしてでしょうか?
食事を終えると、水道で食器を洗いました。後ろではマコトがのんきに鼻歌を歌っています。まったく、気楽な人。どうしてわたくしなんかに着いてきてくれるのでしょうか?
――こんな幸薄い女のために。
調理室の扉がノックされる音がしました。
わたくしたちはびっくりして、顔を硬くします。蛇口を閉めました。
「誰?」
「ノクティア様?」
扉の向こうで、女性の声がしました。それはわたくしたちの良く知っている声であり。
マコトが警戒して立ち上がろうとしました。右手を掲げて制し、わたくしが扉に向かいます。
ノブを回しました。
ガチャリ。
ピンクの正装を来たエミリッタが、太ももに両手を組んでいました。
――貴方だったのね。
緊張でお腹が痛くなるのをこらえて、わたくしは声を発します。
「エミリッタ?」
「ノクティア様!」
彼女が抱きついてきました。わたくしはその肩を抱き、右手で髪を撫でてあげます。よしよし。彼女はすんすんと鼻をすすって、涙をこぼしました。
「エミリッタ、どうして来たの?」
「ぐすん、お嫁に参りました」
「冗談はよして。本当に、何をしに来たのかしら」
「ノクティア様こそ、どうしてこんなところにいるのですか?」
「逃亡中です。貴方、知っているでしょう?」
「ノクティア様、今すぐ、王都へ帰りましょう!」
わたくしは嗚咽を漏らすエミリッタを介抱して、扉を閉めました。椅子に座らせます。わたくしも隣に腰掛けました。
エミリッタは泣きはらした赤い目をそのままに、とつとつと語ります。
「ノクティア様、殿下は気を改めたようで、今は穏便を望んでいます。ノクティア様が戻られるのであれば、保護してくれるそうです。監視付きになりますが、安全は保証してくれるそうです。もう、これ以上、事を荒立てたくないとおっしゃっておりました」
「……虫のいい話ですわ。あれだけ追っ手を放っておいて、今さら保護ですか」
「ノクティア様、是非、保護をされてください。そうすれば、また学園にも通えて、一緒に楽しく……」
「戻るつもりはありませんわ」
「ノクティア様?」
「わたくしは……」
顔を落とします。
けれど一瞬のことでした。
顎を上げます。
「もう、王都に戻る気は無くってよ」
「どうしてですか?」
「そのままの意味ですわ」
「どうしてっ?」
「エミリッタ」
その可愛らしい顔を、真っ向から見つめます。
「わたくしの可愛いエミリッタ。王都へ帰りなさい。そして、王太子に告げるのです。わたくしは、もう戻る気は無いのだと」
「……それでは、血が流れてしまいます」
エミリッタの悲しげな表情。
わたくしは微笑みました。
「ご配慮、痛み入りますわ」
エミリッタが唇を噛みます。
それでもわたくしは、
「ですが、戻ることはできません」
エミリッタが顔を赤らめて、懇願するように聞きました。
「わたくしという友人よりも、王都を離れることには、それほど重きが強いのですか?」
「はい」
「……失礼いたしました」
エミリッタが立ち上がります。踵を返して、扉へと歩きました。
一度だけ立ち止まります。
「では、次は兵が参ります」
「そう」
「……ご武運を」
扉を開けて、出て行きました。
しばらくの静寂が訪れました。
ため息もつかの間、複数の足音が扉の向こうから迫ってきます。
わたくしは立ち上がりました。
軍剣を抜きます。
マコトも杖を持って、椅子から腰を上げました。
静かに、扉を睨みつけます




