09 火山灰をガラスに活用しようと思います
ゲルタがノメンゼン領へやってきて、数日後。
連日クラウスと共に領内を巡る彼女の姿はすっかり人々の記憶に刻まれ、「王都からやって来た可愛らしいお嬢さま」と、領民の話題の的になっていた。
「なぁなぁ、見たか!? クラウスさまのお嫁さん!」
「見た見た! すっげぇ美人だっよなぁ。いっそ作り物みてぇに!」
「仲睦まじく歩いて……。お似合いだよなぁ」
昼下がりの工房街で見習いの職人たちが話題にあげるのも、彼女だ。
所作が可憐だの、声が柔らかいだのと、皆それぞれ目撃談を披露しては盛り上がっていると――突然、背後から澄んだ声が響いた。
「ご機嫌よう」
その場の全員が息を呑む。
職人たちが噂をしていたゲルタ、本人の登場である。
「わぁあああ!?」
「お嬢さま!?」
「こ、こんな埃っぽいところに何用で……!?」
慌てて立ち上がる職人たちを前に、ゲルタはころころと楽しげに笑う。
「素敵な工房ですね」
「いっ、いえ、掃除が行き届いておらず、お恥ずかしい……」
「恥ずかしいことなんてないですよ。努力の跡が見える場所は、どこだって美しいものです」
にこやかに言うゲルタ。
見習い職人はたちまち頬を赤く染め、鼻の下を伸ばしてしまう。
だがゲルタのすぐ後ろに立っていたクラウスから鋭い視線が飛んできて、慌てて姿勢を正した。
そこに騒ぎを聞き付けてか、奥からガラス工房の主たる親方が現れる。
「これはこれはクラウスさまにゲルタさま。見学ですか? それとも何かご注文を?」
「えぇ。特注をお願いしたくって」
ゲルタは親方に、持参していた小袋を差し出した。
「これを、ガラスの原料に使って欲しいのです」
袋の中身は、ガラス店の店主から貰った火山灰だ。
分析の結果、火山灰に毒は含まれていなかった。尤も成分が常に同じとは限りらないので、継続して調査する必要はあるが、今ある分は安全である。
そして同時に、あることが判明した。
「この火山灰の成分はガラス質が多く含まれていることが分かりました。ですので熱を加えれば、ガラス細工に使えると思うのです」
「なるほど……、面白い。よろしい、ぜひ挑戦させてください!」
職人気質の血が騒いだのか、親方は胸を叩いて請け負う。
その背を見送りながら、ゲルタは少しだけ不安げに眉を寄せた。
「……上手くいくといいのですが」
書物で読んだ知識を元に、ガラスと相性がいいのではと結び付いたものの、所詮は素人の思い付き。成功する保証はどこにもない。
(理論上は大丈夫、なはずです。……これは、クラウスの信頼を得る為の大事な一歩。失敗したく、ありません)
この地に来たばかりの余所者の提案が、新しい風になるのか、ただの我が儘になるのか――
不安がつきまとって、仕方なかった。
「自分の手で試せたらよかったのですけど、ガラス造りの経験はなくって……」
「折角、技術を持った領民がいるんだ。頼れるところは頼った方がいい」
ぽんと、クラウスはゲルタの肩に手を置いて言う。
「それにガラス細工は結果が見えるのが早い。短期間で試行錯誤を繰り返せるんだ。例え最初は失敗しても、きっとすぐ成果が出るだろ」
その励ましに、ゲルタは不安が少し解きほぐさせ、ふっと力の抜けた笑みを浮かべた。
その微笑みを見た職人たちはまた息を呑み、こそこそと囁き合う。
「二人の世界ができてる……」
「前とはえらい違いだ……」
「しっ! 大きな声を出すんじゃないっ! 見守っとけ!」
「おーい! 見物してないで仕事戻れ! 炉が冷めちまぞ!!」
親方の怒鳴り声に、職人たちは蜘蛛の子を散らすように散っていった。
その中でゲルタとクラウスは、一時だけ静かな視線を交わす。
工房の中に差し込む午後の光が、ふたりを柔らかく包み込んでいた。
◇
翌日。
早速、試作品が完成したという知らせを工房から受け、ゲルタとクラウスは再び工房を訪れた。
炉の熱気と硝子の匂いに包まれた室内。
作業台の上には、淡い青緑を帯びたガラス細工がずらりと並んでいる。
コップにプレート、花器といった日用品に混じって、ひときわ目を引く小さなブローチがあった。
繊細なカットが施され、光を受けて虹色に瞬くそれは、まるで宝石だ。
ゲルタは感嘆した。
「素晴らしいです……! たった一日で、これほど綺麗なガラスを作れるなんて!」
「へへっ。俺の手にかかればこんなものですよ」
親方は照れ笑いを浮かべながらも、どこか誇らしげだ。
その隣で、クラウスはしばし言葉を失っていた。
「こ、これが本当に、火山灰から……?」
信じられない、という声音だった。
火山灰と言えば厄介者で、害しかもたらさない。体を汚し、目を潰し、吸い込んでしまえば体内を傷付ける。家屋の中に逃げ込んでも、降り積もれば屋根を破壊してしまう。
畑も水も侵すそれは除去も一苦労で、大地を肥沃にする効果があると知った後でも、損害の方が大きいだろうと、そう思い込んでいた。
なのに、
「まさか、こんな。とんでもない発見だぞ、これは」
クラウスの中の常識が、ガラス一つで覆されていく。
そして感情を整理する間もなく、胸の奥から喜びがこみ上げる。
気づけば彼はゲルタの手を強く握っていた。
「ゲルタ、これは快挙だ! このガラスは王都にも、いや、異国にだって通用する! 新しい事業が起こせるぞ! 安定した収入になれば税も潤い、多くの民が救われる……!!」
その勢いに、ゲルタは一瞬目を丸くする。
けれどすぐに、春のようにやわらかな笑みを返した。
「成果が出て、本当によかったです。これも職人方のお力添えのお陰ですね」
「あぁ! もちろん、報酬は弾ませてもらう!」
「やったーっ!」と、職人たちの歓声が工房に響く。
笑い声と拍手が混ざり合い、熱気がさらに増した。
「これでクラウスの信頼は得られましたか?」
「あぁ! あぁ! 君は俺よりよほど火山に詳しい! それがよくわかった!」
「お褒めいただき、光栄です」
クラウスが惜しみない賞賛を送ってくれる――
ゲルタは、嬉しかった。ガラス造りが成功したこと以上に、彼が喜んでくれていることに。
自分の知恵が彼の役に立てたことに。
(これでひとつ、信頼を得られたでしょうか?)
胸が温かくなる。
そうしてたっぷり喜びを分かち合った後――
「ではクラウス。入山の許可を」
それはそれとして本題に切り込んだ。
「それは駄目だ」
だがきっぱりと却下され、ゲルタは微笑みを浮かべたまま硬直したのだった。




