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鉱毒令嬢は火山領を慈しむ 〜婚約破棄された先に待っていたのは、辺境伯子息からの求婚でした〜  作者: 天海二色


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8/21

08 土まみれの手は温かったです

(彼は何か、よほどつらい思いをしたことがあるのですね)


 城の私室へ戻ったゲルタは机の上で袋を開き、その中にある火山灰をじっと見詰めていた。

 しかし頭の中に思い浮かぶのは、馬車の中で見たクラウスの疲れた顔だ。


(恐らく元婚約者の方に関する出来事なのでしょうが――追及してあの人を傷付けるのは、本意ではありません)


 気にならないと言えば、嘘になる。

 まだ王都にいた頃、タウンハウスでクラウスが口を開こうとして止めた時は、正直全く気にしていなかった。

 自分に暴力や暴言、束縛といった、不利益を被ることさえなければ、それでいいと思っていた。

 そして、放置されることを望んでいた。

 鉱物を好むゲルタの趣味は、周囲から理解を得られ難い。奇異な目で見られ、時には「頭がおかしい」と一方的に否定されこともあった。


(思い返せば今まで私の趣味に辟易しなかったのは、ルーペの共同開発をしてくださった錬金術師さまだけでしたね。尤もあの方は、他人そのものに関心が薄いご様子でしたが)


 鉱物が好きなことが、それほどいけないことなのだろうか。

 誰に迷惑をかけた訳でもないというのに。


(……クラウスは、火山目当ての白い結婚を受け入れてくれました。趣味を話を語っても、苦言ひとつ言ってこない。それどころか寄り添ってくださる――)


 困惑することはあれど、口出しをしてこないクラウスの寛容さに、ゲルタは居心地の良さを感じていた。

 令嬢らしからぬ土にまみれた手を、握り返してくれた。

 地面を引きずったドレスなど気にせず、抱き上げてくれた。

 温かい手で。

 その彼が、火山がもたらす被害に頭を悩ませている。


(彼の憂いを一つでも払い、信頼を得ること。それが私が今、やるべきことです)


 ゲルタは覚悟を決め、ルーペを片手に火山灰と向き合った。


 ◇


「はっ! ふっ!」


 夜の訓練場に、鋭い気合いが響く。

 月明かりに照らされた剣先が、空を切って銀の弧を描いた。

 かれこれ一時間。クラウスは汗に濡れた襟元を乱しながらも、休むことなく剣を振り続けている。


「元気ですね。本日は一日中、領地を回っていたというのに」


 静かに声をかけてきたのは、長身の青年だった。

 眼鏡の奥の目は穏やかで、無駄のない立ち姿。クラウスの側近にして乳兄弟である、従者ギュンターだ。

 彼は慣れた所作でタオルを差し出す。


「気を緩める訳にはいかないからな。火山もエサナス帝国も、いつどう動くかわからない」


 受け取ったクラウスは汗を拭うと、息を整えずに答える。

 そしてタオルを返す手は、少し震えていた。疲労ではない。考えすぎている証拠だ。

 ノメンゼン領に隣接する、エサナス帝国――

 小国を次々と併呑し、膨張を続ける軍事国家だ。

 今はコルタジア王国と表面上の和平を結んでいるが、誰もが信じきってはいない。


「ゲルタ嬢を危険に晒したくないのですね」

「……っ! おい、どうしてそこで彼女の名前が出る」


 クラウスの剣が空を切り損ね、バランスを崩す。

 ギュンターは思わず口元を緩めた。


「彼女のために頑張っているのでしょう? ゲルタ嬢がいらしてから、稽古の熱が一段と上がってます。目に見えてわかりますよ」

「……勘繰りが過ぎるぞ」


 クラウスは剣を鞘に収め、顔をそらす。だが耳が赤く染まっていた。

 ギュンターは、更に追い打ちをかけるように囁いた。


「奥様がおっしゃっていましたよ。『寝室を同じにするの』と」

「ぶ……っ!」


 それを聞いたクラウスは思い切りむせ、剣を落としかける。

 慌てて体勢を立て直し、事なきを得えたが。


「婚前に何を言っているんだ、母上はっ!」

「それほどゲルタ嬢を気に入られていたようで」


 ノメンゼン家は辺境という家柄ゆえに、城も屋敷も男ばかり。常日頃から騎士たちが剣の鍛錬をし、野太い笑い声が響いている。

 そして親族にも何故か男児が多い。

 むさ苦しい、と時折り愚痴をこぼしていたクラウスの母にとって、華奢で可憐なゲルタは戦場に舞い降りた天使に見えたことだろう。

 だからと、まさか結婚を交わす前に閨を共にしろと言ってくるとは。


「婚約を急がせたことといい、せっかちだな、母上は……」

「しかし、気に入られているのはクラウスさまも同じなのでは?」

「はぁ? 何を言っている」


 的外れだ、と言うかのようにクラウスは背を向けた。

 だがその肩越しに滲む声音には、否定しきれない柔らかさがある。


「そりゃあ、ゲルタは才色兼備だ。なぜ結婚していなかったのか不思議なくらい、素敵な女性だ。出会えたのは幸運だった。……彼女にとっては、不運だったろうが」

「不運?」

「だってそうだろう。好きでもない男の都合で、住み慣れた王都を離れ、職も奪われて。そのうえ、こんな辺鄙な土地で勉強漬けだ。とてもじゃないが、火山を見られるという見返りと釣り合ってない」


 クラウスの剣を握る指が、強張った。

 彼の視線はどこか遠く、訓練場の柵を越えた闇を見つめていた。


「更には、『あの件』にも触れないでいてくれる」


 ――元婚約者との、破談。

 クラウスの心の奥に刻み込まれた、深い傷跡。


 ケンペ男爵もハーゲンも、舞踏会に集った貴族たちも、皆が顛末を知りたがっていた。暴こうとしていた。

 しかしクラウスが頑なに口を閉じるから、「クラウスの暴力による破談」がまことしやかに囁かれるようになってしまった。

 なのにゲルタは、話さなくていいと言う。求婚してきた初対面の男に、沈黙の許しを、与えてくれた。


「……彼女は今日、『妻となることを誇りに思っている』と言った。例え世辞でも、俺はその言葉に報いなければならない」


 クラウスは馬車の中で見た、彼女の微笑みを思い出す。

 薄紅の唇が柔らかく綻び、真っ直ぐ自分を見ていた。

 あの瞬間に感じた温かさを、裏切ることだけはしたくなかった。


(……。素直に『好きになった』、と言えばいいでしょうに)


 そんなことを心の中で呟きながら、肩をすくめるギュンター。

 そもそもクラウスはゲルタとの交流で昂ってしまった熱を発散する為に稽古をしているのだろうに、彼はその自覚がないようだ。


(これは先が長そうですよ、奥様)


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