07 緑のドレス事件をご存知で?
小規模な噴火が収まった後。
日を改めて、二人は領地を巡っていた。
つい昨日起きた、火山噴火という災害などなかったかのように街は長閑だった。
畑では農夫たちが鍬を振るい、遠くでは乳牛の鳴く声がまったりと響いている。市場は朝から活気づき、焼きたてのパンと果実酒の香りが通りを包んでいた。
学校からは子どもたちのはしゃぐ声が聞こえ、修道院では透き通るような讃美歌が静かに流れている。
あの大地の息吹は日常的な光景なのだと、見て取れた。
そしてどこに向かっても、クラウスは領民から笑顔で迎えられた。
昨日のような突発的な災害に備える為、税を高めに設定しているという話なのに、誰一人として彼を責める者はいない。
嫁いできたばかりのゲルタに対しても、冷たい視線など向ける者はなく、野花を差し出す少女までいる。
ゲルタはその小さな手から受け取った花を胸に抱き、ふわりと香る野の匂いに微笑んだ。
「クラウスは、皆に慕われているのですね」
「父からは『貴族としての威厳が欠けている』、とよく叱られるがな」
「私は領民から笑顔を向けられる領主の方が、よっぽどよいと思います」
「……そう言って貰えるのは、まぁ、悪くない」
ゲルタの率直な賞賛に、クラウスは少し照れくさそうに視線をそらす。
褒め慣れていない子どものような反応に、ゲルタの頬に自然と笑みが浮かんだ。
そのまま街の視察を続けていた折、
「あら?」
ふと足を止めた。
視線の先、露店の棚に並ぶのは繊細なガラス細工の数々。
中でもきめ細やかにカットされたコップが、ゲルタの目を引く。
「素晴らしい切子細工ですね……! こちら、輸入品ですか?」
「お目が高いねぇ、お嬢ちゃん! それはこの街一番のガラス職人が作ったもんだよ!」
「まぁ、職人がいらっしゃるのですか!」
自慢げに語る店主に、ゲルタは興味深そうに聞き入る。
クラウスはそんな彼女を見て、口元を緩めた。
「買って帰るか?」
「よいのですか?」
「勿論だ。店主、これを一つ包んでくれ」
「へいっ! 今ならサービスで“ハッピーパウダー”もお付けしやすぜ!」
「おま、それただの火山灰だろ」
気前よく店主が渡してきた小袋。
ハッピーパウダーなどそれっぽく名付けているが、その中身は除去作業の際に取りこぼした火山灰を詰めたものであった。
「灰捨て場に行くのが面倒だからと押し付けるな」
「す、すみやせん。お嬢ちゃんなら物珍しがってくれるかなと……」
「まぁ! くださるのですか!」
呆れるクラウスとは反対に、ゲルタは小袋に入った火山灰を見てぱっと表情を明るくした。
「嬉しいです。探す手間が省けました」
「えっ、持って帰るのか?」
「はい」
「どうするんだ、火山灰なんて」
「魔道具で分析をいたします。灰に毒が含まれていないか、確かめたいのです」
「毒を? そんなことが分かる魔道具があるのか?」
「えぇ。去年、開発されました」
指先ですくった灰を見つめるゲルタの瞳には、研究者の光が宿っている。
「クラウスは『緑のドレス事件』を知っていますか?」
◇
夕陽が丘を黄金色に染める頃。
領地の視察を終えた二人は、並んで馬車へと戻っていた。そして馬車が動き出した辺りで、クラウスが口を開く。
「それで、ゲルタ。『緑のドレス事件』が魔道具とどう関係しているんだ?」
街でゲルタが口にした、『緑のドレス事件』。クラウスも新聞で知っていた。
緑色のドレスが、婦人たちの命を奪った事件だ。
あまり明るい話ではないからと、馬車という名の個室に場所を移してから、改めて詳細を聞くことにしたのだった。
「ドレスには、『花緑青』と呼ばれる顔料が使われていました」
花緑青とは。
ヒ素由来の毒を持つ顔料である。絵の具や塗料の他、衣服の染料にも使われていたのだが、毒性が強く死者が出てしまったため現在では使用が制限されている。
――殺虫剤や殺鼠剤にも使われている、猛毒だ。
「時が経っても色褪せない、美しい緑色をしています。それはそれは、とても美しい……」
実物を見たことがあるゲルタは頬を赤らめ、うっそりと目を細め、思い出に浸る。
だがクラウスの戸惑いが混じった視線を前にはっと我に返り、こほん、と小さく咳払いをすると彼女は居住まいを正した。
「この花緑青が毒だと突き詰めた錬金術師さまがおりまして。後にその方と王立魔法局が共同で開発されたのが、こちらの魔道具です」
そう言ってすっとクラウスの前に差し出したのは、持ち手のついたルーペ。
見た目は何の変哲もないルーペだが、これを対象にかざして魔力をこめると、レンズの中で光が走り、成分が文字となって浮かび上がるのだと、ゲルタは説明する。
受け取ったクラウスが試しにポケットに入れていた貨幣をルーペにかざしてみれば、『金』という文字がガラスに浮かび上がってきた。
その精度の高さに、思わず唸る。
「すごいな、これ。悪貨の判別にも使えるんじゃないか? 銀の混ぜ物なんかを見抜くのに役立ちそうだ」
「そこに目を付けるとは、流石は辺境伯子息さまですね」
クラウスの鋭い発想力に、ゲルタはにこりと笑みを深めた。
「勿論、使えますよ。ただし使い手の技量に左右されまして、魔力と専門的知識を持っていなくては使いこなせないのですが。いつか誰でも使えるルーペを開発するのが、私の目標でした」
「目標……」
クラウスは小さく呟いた。彼女の言い回しに、妙な親しみを感じたからだ。
まるで、ゲルタがその開発に携わっていたかのような——
「……もしや、錬金術師と共同開発したというのはゲルタなのか?」
「あっ。えぇ、まぁ」
照れたように笑うゲルタに、クラウスの胸が締め付けられる。
彼女は王都で大成を掴みかけていたのではないか。なのに、己の婚約によってこの辺境へ縛りつけてしまったのではないか。そんな考えが駆け巡った。
「……俺は、君の目標を奪ってしまったのか」
そしてぽつりと漏らしたクラウスの声に、ゲルタは目を瞬かせ、静かに首を振る。
「暗い顔なさらないでください、クラウス。私は私の意思で婚約者となったのですから」
そう宣言する彼女の言葉は柔らかく、――力強い。
「この地に連れてきてくださって、本当に感謝しています。そして……この地を、民を守る貴方の妻となれることを、私は誇りに思っているのですよ?」
その言葉に、クラウスの胸の奥で何かが温かく灯り、痛いほどに広がっていった。
抱いたのは感情は安堵と――、後悔だ。
「……もっと早く、お前と出会っていれば……」
――あんなことは、起きなかっただろうに。
「クラウス?」
「いや、何でもない」
誤魔化す為に浮かべた彼の笑みは、ゲルタの目には、酷く疲れて映った。




