06 毒ガスにもへこたれません
「すまんな。ミュラーは父の元家庭教師で、昔から付き合いがあるんだが……。思い込みが激しい節があるんだ」
「今日はもう下がれ」とミュラーを部屋から追い出した後、クラウスはゲルタへ謝罪をした。
「あれがなきゃ優秀なんだがなぁ」
「えぇ。ミュラー先生はとても博識で、尊敬しております。平民という話ですが、忖度なく接してくださりありがたいです」
貴族を前に遜るわけでも媚びを売るでもなく、はっきりと思ったことを口にするミュラーに、ゲルタは寧ろ好感を抱いていた。
故に教師は彼女のままでよいと、クラウスに伝えたのだった。
「お前がいいならいいが……。ところで、この粘土はどうしたんだ?」
「こちらですか?」
スタンプとしてゲルタが使用していた、粘土。
まさか持参した訳ではないだろう。と、クラウスは呟く。
「これは昨晩、お城の前を少し掘ってでてきた、粘土鉱物を水で柔らかくしたものです」
ノメンゼン領へ到着した昨日の、夜。ゲルタは眠る前にこっそり地面を掘り、手にした土を戦利品として私室へ持ち帰っていた。
「火山灰がよく降るとのことでしたので、手に入れられるかと思いまして……。予想が当たって嬉しいです」
「何? 火山灰?」
「はい。火山灰と水の反応で、できる場合もあるのですよ」
ここにも書いてあります、とゲルタはテキストを広げ、クラウスに見せる。
そこに確かに地層についての記述があり、火山灰と水によって作られる粘土についても言及されていた。
「……。俺の方こそ勉強しなければならないな……?」
「まぁ? 一緒に授業を受けますか?」
「考えておく。……俺がいた方が、ミュラーも大人しくなるだろうし」
粘土の疑問が解消したところで、クラウスは小脇にずっと抱えていた地図をゲルタへ手渡す。
元々、これを彼女へ渡す為に私室へ足を運んだのだ。ミュラーの件で後回しになってしまっていたが。
「確認したんだが、足を運べるのはここまでだな。これ以上は、許可できない」
「ありがとうございます、クラウス」
ゲルタの机に広げられた地図には、ノメンゼン領の全貌が細かく描かれていた。
領地の中心には黒々とした火山が一つ、その周囲には緩やかな丘と森。そして、それを囲むように点在する小村。
「それにしても少々、変わった地形ですね。高い山は火山だけなんて……」
「伝承によると、この火山はドラゴンが寝床にする為に作った場所なんだとか」
「まぁ、ドラゴン!」
「あくまで伝承だ。この辺境でドラゴンなんて見たことない」
ドラゴン。
このコルタジア王国では神の使いとして神格化されている魔物である。しかし目撃情報は百年前を境にぱたりと止んでしまい、現在では神話の中でしか知られていない幻の魔物だ。
「縁起のいい伝承は、鉱山が栄えていた頃に広まったんだろう。けど、ドラゴンの寝床を掘り荒らした報いで毒ガスが噴き出し、草一本生えない黒い岩山になった……らしい。今じゃ、火山はすっかり不吉の象徴だ」
「そうなのですか……」
頷きながら、ゲルタは愛おしげに火山の絵を指でなぞる。
それはまるで、今は遠くにいる恋人に恋焦がれる乙女のような仕草。
「……クラウス。やはり私、諦められません」
「ゲルタ?」
不意に顔をあげ、ゲルタは真剣な眼差しをクラウスに向ける。
「毒ガスについて、調査をしようと思います」
「はぁっ!? どうやって!」
「王都から専用を魔道具を取り寄せます。それを利用し測定、被害状況や発生源を解析しようかと。毒ガスが範囲が広がる可能性や、風や灰に乗って領民を脅かす危険性もわかるかもしれません」
「魔道具って……。いや、しかし、どちらにせよ火山に近寄るということだろう!? よせ、危険すぎる!」
「でしたらクラウスから信頼を勝ち得たら、入山させてください。その時は安全に、確実に、攻略してみせます」
譲らない。
淡々とした口調なのに、ゲルタからは燃えるような熱意を感じた。
「――そしていつか登頂を果たし、火口に頬擦りをするのです!!」
次いでゲルタは勢いよく拳を握り、高らかに宣言した。
想定外すぎる彼女の言動に、クラウスは絶句する。
「……そう、か。む、無茶はするなよ……?」
ようやく絞り出せた言葉は、それだけだった。
◇
翌日。
「貧しい土地だとうかがっておりましたが……。とても、そうは見えませんね」
ゲルタはクラウスと共に、領地の視察へ訪れていた。
馬車を降りた先。目の前のノメンゼン領農地は果てしなく広がり、風に揺れる作物の緑が陽光を照り返している。
大農園といって差し支えない光景だ。
「収穫量自体は多いぞ。俺はよくわからないが、農長曰くいい土なんだとか」
「まぁ! 農地は『黒ボク土』となっているのですね!」
「く、くろぼくど……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるクラウス。
するとゲルタはスカートの裾が汚れるのも構わず、畑の前に膝をついた。
そして黒々とした土をすくい上げ、手の平で柔らかく転がす。
「長い時間をかけて火山灰が蓄積した土壌のことです。養分が豊富で、保水力も高いのですよ。成分の配分によっては作物が育ちにくくなってしまうそうですが……ノメンゼン領には肥沃な大地をもたらしてくれているのですね」
「そ、そうなのか?」
「はい、書物に載っていました。実際に見られて嬉しいです」
「俺はてっきり、ただの“黒い土”だと思っていたな……。……粘土鉱物のことといい、勉強不足だ」
罰が悪そうに頭をかくクラウス。
剣術と戦術に明け暮れてきた彼にとって、土の話は未知の世界だ。火山灰の恩恵を知らずに過ごしていた。
「しかし、これほど肥沃な土地を持ちながら“貧しい領地”と仰っていたのは、なぜなのでしょう?」
「あぁ。それは火山の気まぐれで一変するからだ」
ゲルタの素朴な疑問に、クラウスは遠くの黒い山を見やった。
その頂から立ち昇る煙は、薄く、しかしどこか不穏な色をしている。
「大噴火が起これば太陽は黒煙に覆われ、川の水は灰で濁る。積もった灰は屋根を潰し、畑を枯らす。……ここ数年は静かだが、油断はできない。だから普段から倹約し、豊作の年も蓄えに回しているんだ」
「堅実なお考えなのですね」
「民を飢えさせる訳にはいかないからな。緊張状態の隣国がいつどう動くかわからない、って言うのもあるが」
辺境という土地柄、火山に限らず戦争という不足の事態にも警戒しなくてはいけない。
農学についてはさっぱりなクラウスだが、王国を、領地を守る術はしっかりと身に付けていた。
「しかし自ら土を拾わなくっとも。そういう雑務は使用人に任せればいいだろうに」
「自分の手で触れ、自分の目で見なければわからないこともありますから」
そう言ってゲルタは手の平の土を畑に還す。
満足そうに笑みを浮かべる彼女へ、ほら、とクラウスは手を差し出した。ゲルタの碧眼が丸くなる。
「手が、汚れてしまいます」
「構わない。俺の手も、土まみれで育ったものだ」
王都で政治に勤しむのではなく、剣を片手に辺境を周り土埃に塗れてきたクラウスだ。手の平が汚れるなど日常茶飯事。気にすることではなかった。
実際、ゲルタがそっと手を重ねても眉ひとつ動かさない。
寧ろ優しく握り返してくれたことに、ほんのりと、ゲルタの心が温かくなる。
その直後、
――ドッ!
と、地の底から腹に響くような音が鳴り響いた。
「……っ!?」
次の瞬間、遠くの火山の頂が眩く閃き、真昼の空を焦がすように橙色の閃光が走る。
続けざまに黒煙が噴き上がる。ぐらりと大地が震え、土埃が足元を這った。
「ゲルタ、失礼する!」
クラウスはすかさずゲルタを抱え上げると、馬車の中へ急いだ。
地鳴りはしばらく続き、火口から立ち昇る噴煙がもくもくと形を変えていく。
その間、ゲルタはクラウスに庇うように抱きしめられ、彼の腕の中から窓の外、空を覆い隠さんばかりに広がる火山灰を見詰めていた。
「噴火は小規模だが、灰が多いな……。どれだけ、収穫に響くか……」
次いでクラウスの苦々しい声が、耳元に落ちてきた。




