05 辺境伯夫人への道は険しいですね
「ゲルタさま! 集中なさってください!」
ノメンゼン城、ゲルタの私室。
そこでは今、招かれた女教師ミュラーの怒鳴り声が響いていた。
「貴女は辺境伯夫人として、領地経営を完璧に身に付けなければならないのですよ? それも披露宴までにです」
「すみません、ミュラー先生」
「全く、どうして坊ちゃんは男爵の娘なんて連れて来たんだか……」
席に姿勢よく座るゲルタは、素直に謝る。それを見たミュラーは人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げ、わざとらしく溜め息を吐いた。
半年後に控えた、ゲルタとクラウスの披露宴。
それを挙げた時が二人が結婚する時であり、ゲルタが辺境伯夫人となる時である。
辺境を守護する騎士でもあるクラウスは、遠征で城を空けることも多い。その為、留守を預かる夫人の責務は重く、与えられる権限も大きい。
その使命を果たせるよう遣わされたのが、神経質な顔をした痩躯の女教師、ミュラーであった。
「ミュラー先生。明日は学んだことを確かめに、領地を回ってよいですか?」
遠目からでも火山を見たいから、という本音を飲み込んで、ゲルタはミュラーへ提案した。
「いけません!」
しかしゲルタの細やかな願望は直ぐに却下されてしまう。
「遊び歩いていては、辺境伯夫人は務まりませんから」
「しかし実際に見て回るのも、領民に顔を知って貰うのも必要なことでは?」
「言い訳は結構!」
ゲルタの言葉を遮るように、ミュラーはバンッ! と紙の束を机に叩き付ける。
「課題です。今日中にすませてください」
紙の束は辞書のような分厚さだ。一日でこなせる量にはとても見えない。
しかしゲルタは「そうですか」と涼しげな声で答えると、一番上の紙を手に取り、早速、課題へ取り掛かった。
「……では、私は少し席を外しますが、手を抜いてはなりませんよ?」
「わかりました、ミュラー先生」
コツコツ、とわざとらしく靴音を鳴らしながらミュラーが退室した後、ゲルタはつけペンをペン立てに置く。
そして紙の束を両手で持つと、紙幣を数えるかのように一気に、全ての頁を巡った。
――彼女は、速読ができた。
「これだけの量、確認するミュラー先生の負担も大きいでしょうね。せめて早く終わらせて、ミュラー先生を待たせないようにいたしましょう」
そう思い至ったゲルタは手の平を胸の前に掲げると、魔法の詠唱を唱え――カップ一杯分の水を空中に形成したのだった。
◇
(あの娘は、坊ちゃん自ら求婚したという話ですが……。きっと見た目で選んだのでしょうね)
ゲルタの私室を出たミュラーは、書庫へ足を運んでいた。新たなる課題を作る為である。
ノメンゼン家の歴史が綴られた本、過去に起きた戦争を記録した本、大噴火による災害被害を残した本。他にも市場の流れや隣国の動きなど、辺境伯夫人が知るべきものは五万とある。
しかしこれらは半年かけて学べばいい内容だ。それをミュラーは数日で叩き込もうとしていた。
(男所帯の中で育ち、女性を知らない坊ちゃんはあの顔に唆されたに違いありません!)
小柄で華奢で、金髪碧眼。という、ビスクドールと見紛うゲルタの容姿を思い出す度に、ミュラーの苛立ちは募っていく。
(前の婚約者だって、ろくな女ではなかった!)
身分の低い、顔だけがよい女。
かつて王立学園を第三席で卒業し、頭脳を武器に貴族社会を渡り歩いてきた平民として、不快極まりない。
きっと少し厳しく教育をすれば、直ぐに根を上げ実家へ帰ることだろう。それでクラウスの目が覚めればと、ミュラーは大量の本を抱えゲルタの私室へと戻った。
そしてそこにはゲルタだけでなく、クラウスも待ち構えていたことを知った。
「クッ、クラウスお坊ちゃん……!? どうしてここに!?」
「俺が婚約者の部屋にいちゃいけないか?」
「い、いえっ! しかし今は授業中ですので、できれば入室は控えて頂きたく……っ!」
「授業、なぁ」
クラウスは呆れ顔で、ゲルタの机に積まれた紙束をつまむ。
「俺には嫌がらせにしか見えないが?」
「ちっ、違います! これはゲルタさまの為であり、ひいてはクラウス坊ちゃんの為なのです! 彼女は今までろくな教育を受けてこなかったのですから!!」
「そうですよ、クラウス。初めて知ることばかりで、とても勉強になります」
ぺた、ぺたと、ゲルタは何やらスタンプパットに何かを押し付けて、インクを付けたそれを課題の紙に押し付けながら言った。
よくよく見るとそれは、粘土だ。粘土に回答をペンで書き込む形で彫り、それをスタンプとして紙に印字しているのだ。
答えが同じ箇所、全てに。
「ゲルタさま、何をして……?」
「こちらの方が書くよりも速いので。似たような設問が多かったですし」
「なっ! そんな手抜きをしていては身に付きませんよ!?」
「答えがわかっている相手に、身に付くもつかないもないだろう」
クラウスが手に持つ紙束に視線を落としたまま言う。
印字されたワードは、全て正解を示している。ゲルタは飲み込みが早いなと、クラウスは感心した。
「この分だと座学は直ぐに修了するな。なんなら独学でもいけるんじゃないか?」
「そんなことはありませんよ、クラウス」
「そうです! その女は頭が軽く愚かなのですよ! ですから、私がきちんと教育を……!」
「ミュラー。お前の見た目で人を判別する悪癖、治ってないな……」
見苦しく騒ぐミュラーへ、クラウスは失望の眼差しを向けると、
「ゲルタは王立学園を首席で卒業しているんだぞ」
彼女のプライドを粉々に砕く事実を、伝えたのだった。




