03 火のない場所にも煙は立ちます
「辺境伯家と婚約を交わした〜っ!?」
舞踏会の翌日。
タウンハウスの朝食の席で、ゲルタは父ケンペ男爵に昨日の出来事を報告していた。
それはそれは驚かれた。今まで交流がなかった家との縁談が舞い込んできたのだから、当然なのだが。
「えぇ、まだ口約束の段階ですけど」
「しかし、それでも辺境伯家となんて……! あっ! もしや側室として迎えられる話か……っ!?」
「いいえ、正妻としてです」
「正妻!? か、騙りではないだろうな!? 世の中には結婚詐欺というものがあるだろう!?」
「お父さま、うちには大した人脈も財産もないのですから、家柄目当てなんてことはあり得ません」
「ぐはっ……!」
ケンペ家は弱小貴族である。小さな領地を細々と運営する、歴史の浅い家。
その事実を直球で言われ、男爵は胸を押さえた。
「だ、だが一晩で婚約なんて! こういうのはもっと逢瀬を重ねるとか、手紙で交流するとか……!」
「白い結婚になるでしょうから、愛を育む必要はないかと」
あっけらかんとゲルタが言った「白い結婚」という単語に、ケンペ男爵はひっくり返りそうになる。
「それはどういう意味だ、ゲルタ!」
「そのままの意味です。クラウスさまは身を固める為に、私は火山を拝む為に結婚するのです」
「か、か、かっ、火山……!」
全身を震わせ、今にも泡を吹きそうな父。
ゲルタは微笑みながらナフキンで口元を拭う。まさに淑女の鏡である――趣味さえ絡まなければ。
「王国の北には黒い山があると聞いたことはありましたが、まさか火山でしたなんて……。縁起が悪いからと、なるべく隠していたそうですよ。クラウスさまも人が悪いですよね」
「それは何に対しての『人が悪い』なんだ!?」
ゲルタの思考はケンペ男爵の理解の範疇を超えているようで、先ほどから叫んでばかりである。
「辺境伯家が男爵の娘を迎えるのも異常だというのに、白い結婚!? より良い縁談が来たら容易に捨てられてしまうぞ!?」
「心配してくださってありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
そう言うとゲルタは目を輝かせ、火山への情熱を語った。
「例え辺境の地で捨てられようとも、そこで平民として生きるつもりですから! だって火山のある領地ですよ!? それも活火山! 鉱物の産みの親、地母神の息吹を感じられる聖地に等しく、連れて行って貰えるだけでお釣りが来ます!!」
「そう言うところが心配なんだ……!!」
ケンペ男爵は、いつかゲルタの良さをわかってくれる紳士が現れるはずだと願っていた。愛のある結婚をして欲しかった。
だというのに、ゲルタは白い結婚を決めてきた。それも火山を目当てに。
あんまりにもな結果にケンペ男爵が両手で顔を覆い、「わっ!」と泣く。
「ねぇ、今の話本当なのかい?」
そこに、見計らったかのように男爵家嫡男、兄ハーゲンが食堂へ顔を出した。
彼は心配そうに妹ゲルタの顔を見る。
「辺境伯子息のクラウス・ノメンゼンは婚約者に暴力をふるって逃げられたって噂だ。ゲルタは次の獲物として目を付けられたんじゃ?」
「ひぇっ! その噂、本当なのかハーゲン!? ゲルタ、やはり考え直した方が……っ!」
「お兄さまは実際に、クラウスさまとお会いしたことがあるのですか?」
ゲルタはハーゲンをじっと見据えながら訊ねた。
その鋭い眼光に、ハーゲンは少したじろぐ。
「それは、ないけど……」
「私は会いしました。誠実な方でしたよ?」
――いいか、ゲルタ嬢。ノメンゼン領は貧乏で不便で立地も最悪だ。
――何より、いつ噴火するかもわからない火山がある。
――よくよく考え決めてくれ。
女神像の前で勢いで求婚を受け、勢いで承諾をしたあの夜。
クラウスは自領のマイナスとなる点を正直に並べ、ゲルタに何度も確認をしてくれたのだ。見栄を張るでもなく、いっそ自虐的にさえ。
「失礼します、旦那さま」
そこに使用人がやってくる。
何やら慌てた様子で。
「ノメンゼンという方が訪問なされて、ゲルタお嬢さまにお会いしたいと……」
「何っ!?」
「あら、わざわざお越しいただけるだなんて」
突然の訪問にも狼狽えず、ゲルタは落ち着き払った様子で席を立った。
「参りましょう。お父さまも早く」
「僕も同席するよ、ゲルタ」
「あわ、あわわわ」
そうして、ゲルタとハーゲンは優雅に、ケンペ男爵はばたつきながら食堂を出たのであった。
◇
「当然の訪問、申し訳ない」
応接室でゲルタを待っていたのは、クラウス・ノメンゼンその人だ。
上質な衣服に身を包んだ上流貴族が、男爵家の質素な応接室に立っている。ケンペ男爵はそれだけで卒倒しそうだった。
「う、う、うちにどういった用向きで……!?」
「ゲルタ嬢から聞いていませんか?」
「そ、そ、それは……っ! その、ええと……っ!」
「クラウスさまとの婚約の件は、既にお話いたしました」
まともに喋れなくなってしまったケンペ男爵に代わり、ゲルタがすっと間に入る。
次いで使用人にお茶と菓子の用意を頼み、優雅にソファへ腰を下ろす。落ち着いたところで――ケンペ男爵は自分の屋敷だというのに居心地悪そうに背筋を伸ばしていたが――ハーゲンが口を開いた。
「男爵家嫡男、ハーゲン・ケンペと申します。昨晩の話は妹から、おおよそですが聞きました。……俄かに信じ難いですが」
「それが正しい反応かと」
ハーゲンの言葉をあっさり肯定するクラウス。
貴族の末端である男爵へ、上流貴族たる辺境伯が婚約を持ち込む。信じろと言う方が難しいだろう。
「しかし事実、俺は彼女へ求婚した。そしてそれは酔っ払った末の戯言などではない、ということをお伝えしたく……」
「そ、そ、それでわざわざ……! ご足労頂かなくとも、手紙で結構でしたのに……!」
「本気であることを伝える為には、顔を合わせるのが一番だと……母に背中を蹴飛ばされてな」
どうやら、彼は強引にここへ向かわされたらしい。
「確かに、手紙だけでしたら父も兄も“何かの冗談だろう”と流していたかもしれません」
「し、仕方ないだろう!? うちは男爵なんだぞ……!」
ケンペ男爵は情けない声を上げ、あわあわと両手を振り回した。
ハーゲンもまたそれに同意した。
「えぇ、我が家は男爵です。とても辺境伯家とは釣り合いません。……何故、妹に求婚を?」
じ、と。ハーゲンの鋭い眼光がクラウスを射抜く。
裏があるのではと、探る目。
それに対しクラウスは一切、怯むことなく理由を述べた。
「ゲルタ嬢はノメンゼン家と切っても切り離せない、火山に好感を持ってくれた。我が家へ迎え入れるのに、彼女ほど相応しい女性はいない」
爵位も財力も人脈も関係ない。
特異な自領を受け入れてくれるか否か、それこそが最優先すべき婚約条件だと。
「それを踏まえて、一つ確認しておきたいことが。……ゲルタ嬢は俺の“元婚約者”についての噂を、耳にしたことはあるか?」
その一言に、ケンペ男爵がびくりと、ハーゲンはぴくりと反応した。
だがゲルタだけは取り乱すこともなく、静かに頷く。
「はい。少しだけ」
「どんな噂を聞いた?」
「よろしいのですか? 噂ですよ?」
「頼む、話してくれ。大丈夫だ、間違っても不敬罪には問わない」
そう言うクラウスの瞳は真剣そのものだ。
眼差しに嘘はないと見たゲルタは、迷わず口を開く。
「――元婚約者に暴力を振るい、破談になった。と」
直後、短い沈黙が流れた。




