21 目を離してはいけません
「それはどういう意味でしょうか?」
「どうもこうも、そのままの意味よ」
コリーナは扇を揺らし、当然の権利のように言い放つ。
「貴族の婚姻は、個人の気まぐれでは決められません。ましてクラウスさまは辺境伯家の嫡男。家同士の合意なくして結婚は叶いません」
「私は王家にクラウスとの結婚を望まれているのよ?」
余裕を含んだ声音。
まるで「王家の意向」が、万能の鍵であるかのような物言いだ。
「その件は、破談になったと聞きましたが?」
「気が変わったの。ここは貧乏で灰が降るばかりで、いい所なんて一つもないと嘆いて出て行ったのだけれど……。王都でノメンゼンのガラスを見て、認識を改めたわ。だから戻ってきたのよ」
怪しい。ここに居る誰もがそう思った。
何ならヘルムートが実際に「どう考えても怪しいだろ」と言いかけ――すかさずリタに口を塞がれていた。
「ですが、クラウスさまには既に私という婚約者がいます。そして婚約者として……城内で横暴を働く貴女を、見過ごすわけにはまいりません」
「たかだか男爵の娘が、どうしてそんなに生意気な口を利けるのかしら」
コリーナの視線は、あからさまな侮蔑で冷たく光っている。
「男爵令嬢であると同時に、辺境伯夫人ですから」
しかしゲルタは一歩も退かず、澄んだ声で返した。
その毅然さが、コリーナの癇に触れた。
「話が通じないわね。もういいわ、消えて頂戴」
呆れた様子のコリーナがぱんぱんと手を叩くと、どこからともかく軍服を着た者達がやって来て、ゲルタたちを部屋の外へ外へ押し出した。
ノメンゼン城の者ではない、コリーナが連れて来た余所者だろう。
彼らに力づくで追い出された後、バタンと、扉は無情にも閉められた。
「なんっだあの女ぁっ!!」
つい先程までリタに口を塞がれていたヘルムートが、解放されたと同時に不満をぶち撒ける。
「態度でかすぎ! 我が儘すぎ! なーにが『身のほどをまきまえろ』だ! 礼儀を求めるならまずそっちが礼儀正しくしろっての! 幾ら侯爵令嬢だからって、他人の家でこんな勝手許されるのか!?」
「いいえ、許されるものではありません。……通常は」
ゲルタは短く息を整え、言葉を続ける。
「コリーナさまの生家、バルフェット家は王家と強く結びついた名門。政界でも名を馳せています。その影響力は強い。……ノメンゼンに圧力をかけることも、可能です」
コリーナには、圧倒的な後ろ盾がある。
他家で女主人のように振る舞っても強く出られない程、強力な。
「だから逆らえないって? おかしいだろ、こんなの!!」
理解し難い理不尽を前に、ヘルムートは怒りを爆発させた。
憤りを抱いているのは彼だけに限らない。ゲルタも、ままならない現状に不満と怒りを感じている。城にいる者たちもきっと、同じ気持ちだろう。
「し、しかしどうしましょう。ゲルタさま。部屋が使えないとなると、他の部屋を用意しなくてはいけませんけど……。ええっと、とりあえずクラウスさまを探します?」
リタの提案に頷き、ゲルタは歩みを速めた。胸の奥は落ち着かない。さっきのコリーナの圧に焼け残ったような熱が、まだ皮膚の裏に貼り付いている。
廊下を進むと、角を曲がった先でクラウスがこちらを見つけ、安堵の色を浮かべた。
「ゲルタ!」
彼は大股で近寄ってくる。
「ここに居たのか! ……その、コリーナとは」
「お会いしました」
「……そうか」
クラウスの眉が痛そうに寄せた。
声音が沈んでいくのが、クラウスは自分を責めているように思えて、逆にゲルタの胸を締めつけた。
「すまない、会わせたくなかったんだが……。部屋も奪われてしまったらしいな。俺が不甲斐ないばかりに……。今、ギュンターに新しい部屋を用意させている」
「ありがとうございます、クラウス」
「ところで、その格好はどうしたんだ? 農婦のようだが、庭仕事でも?」
ゲルタの格好を見て小首を傾げるクラウス。
「えっ? えぇ、この格好はですね、その、リタたちとピクニックを楽しむ為に着ました」
「取り繕うの下手かよ」
「ヘルムートさん、しっ!」
またしてもリタに口を塞がれたヘルムートが、「むぐぅ」と情けない声を漏らす。
空気が一瞬だけほぐれたが、クラウスはすぐに表情を引き締めた。
「いくら侯爵家といえど、この状況は看過できない。してはいけない。コリーナには直ぐに出ていって貰う。少しだけ耐えてくれ、ゲルタ」
彼の声は低く、真っ直ぐだった。怒りというより、守ろうとする意志がその奥にある。
クラウスはそのまま、踵を返す。ゲルタが返事をするより早く。戦場へ向かう騎士のように、一瞬の逡巡も見せず、背をまっすぐにして歩き去ってしまう。
廊下に残されたゲルタは、胸元できゅっと拳を握りしめた。彼の背に宿った決意が痛いほど伝わるからこそ、不安が胸の奥に渦巻いてしまう。
「直ぐに、ねぇ。それができるんならとっくに追い出せているだろ、あの女」
「……はい。容易ではないと思います。少なくとも目的を果たすまでは、退去しないのではないでしょうか?」
「目的、ですか?」
ゲルタの言葉に首を傾げるリタ。
彼女の無垢な問いに、ゲルタは胸の奥に引っかかった違和感をもう一度確かめる。
「一度は去ったノメンゼン城に、再び足を踏み入れた。何か、目的があると思うのです。それも私的な目的が」
それが何かわかるまで、コリーナから目を離してはいけない。
直感でしかないが、この胸騒ぎは決して気の所為ではないはずだ。
ゲルタは唇を引き結び、遠ざかっていくクラウスの足音を聞きながら、そっと廊下の先に視線を投げた。




