20 私が盾にならなくては
クラウスが慌ただしく廊下を駆けている時、ゲルタは帰城するところだった。
馬車から降り、従者としてリタを、アドバイザーとしてヘルムートを連れ、正門へ向かう。
そしていつもは落ち着いている門番たちがどことなく顔色を悪くしていることに気付き、ゲルタは小さく首を傾げた。
「どうしましたか? 何か問題が起きてしまったのでしょうか?」
訊ねると、門番の一人は口ごもり、相方は「どうせすぐ知れ渡る」と言い、それに対し「ならお前が話せ」と押し返している。二人して責任を押し付け合っている始末だった。
ゲルタは一歩前に出ると、凛とした声で言った。
「私は、貴方に訊いています」
その一言で門番はびくりと肩を震わせ、背筋を伸ばす。
そして観念したように、事の次第を語りはじめた。
「クラウスさまの元婚約者……。コリーナ・バルヒェット侯爵令嬢が今、城に来ています」
それを聞いたゲルタの碧眼が、見開かれる。
「コリーナさまが!?」
リタが跳ねるように声を上げた。次いで真っ青になっていく顔色。
またあの、凍えるような空気が、城に蔓延っているのではと、彼女の背筋が冷えていく。
尤もヘルムートだけは「誰だ、そいつ」と、状況を全く理解していなかったが。
「そうですか。教えていただきありがとうございます。それでは、挨拶に伺わなくてはいけませんね」
「えぇっ!? 挨拶を!?」
門番とリタの声が揃った。
「はい。私はクラウスの婚約者で、男爵令嬢です。目上の方にご挨拶をしないのは無作法ですから」
そう言うや否や、ゲルタは毅然と城へ入り、城内を歩みを進める。
リタは慌ててその後を追い、まだ全体像を掴めていないヘルムートも小走りでついてきた。
「ゲ、ゲルタさま! コリーナさまの対応はクラウスさまがしてくださっているはずですし、無理に顔を出さなくても……!」
「いいえ。社交を怠れば、かえって厄介な火種になります」
コリーナという不安分子を迎え撃つ勢いのゲルタに、リタは半泣きで続ける。
「で、でも! 旅服のままですし、まず着替えては? その姿で侯爵令嬢と対面なんて……!」
「リタはなんでそんなにコリーナって奴を避けたいんだ?」
「ヘルムートさま! コリーナ『侯爵令嬢』です!!
横から呑気に声を挟んできたヘルムートをリタは叱責する。
「上流貴族ですよ、上流貴族! 位がまるで違います! 敬わないといけない方なんですよ!?」
「えぇ? 会ったこともない他人を敬えって言われてもなぁ。仕事相手ならともかく、貴族階級の細かい差なんて知らん」
ヘルムートは実力主義がモットーの錬金術師工房に幼い頃から通い詰め、そのまま就職し、室長にまで上り詰めた男だ。その特殊な育ちから、平民の身ながら身分差をあまり意識していない。
その落差にリタは頭を抱えた。
一方ゲルタは、城内に漂う張り詰めた空気をいち早く察知し、特に緊張感が高まっていると伝わってくる場所――上階へ向かって、迷わず足を動かす。
(クラウスは、大丈夫でしょうか)
その最中。脳裏に浮かぶのは王都での記憶、父ケンペ男爵がクラウスに元婚約者のことを訊ねた時。元婚約者コリーナを思い浮かべたと思われる彼の顔からは、血の気が引き、身体を強張らせ、額には汗を滲ませていた。
ゲルタの目からすると、その姿はどこか、怯えているように見えた。
(もしもコリーナ侯爵令嬢の存在がクラウスの負荷になるのでしたら、私が盾にならなくては)
決意を胸に階段を登り切った直後。廊下に甲高い声が反響してきた。
声の発生源は、ゲルタの部屋だ。
『コリーナさま、ここは婚約者さまのお部屋です! 許可のない入室は……!』
『婚約者の部屋というのなら、私の部屋じゃない。あぁ、でもこの花瓶は駄目ね。趣味が悪いわ』
『おやめください! どうか、おやめくださ……! きゃあっ!』
扉越しに使用人の短い悲鳴が聞こえ、ゲルタは自ら扉を開ける。
中では突き飛ばされたのか、壁際にへたり込んでいる使用人と――ガラスの花瓶を高く掲げ、真紅のドレスを身に纏う女性、コリーナがいた。
パリンッ
次の瞬間。甲高い破裂音が部屋中に散り、ガラスの破片が光を散らす。
「あぁ、丁度良かったわ。そこのメイド、床を片してくれないかしら? 手が滑ってしまって」
どう見てもわざとだろうに、コリーナは白々しく言う。
しかもゲルタを指差し、使用人として命令を言い放った。
「コ、コリーナさま! この方は使用人ではありません! クラウスさまの婚約者、ゲルタさまです!」
リタが蒼白な顔で、しかし勇気を振り絞って声を張る。
「いずれ辺境伯夫人となる方です! ぶっ、無礼な物言いはお控えください……!」
「まぁ?」
コリーナは扇の陰でくすりと笑う。
「この見窄らしい女が、貴族ですって?」
今のゲルタの格好は、見窄らしい訳ではない。しかし上品とも言えない。
動きやすく、そして汚れてもいいように、丈が短めなスカートに革製のロングブーツを履いているというだけで。これも全て、『サプライズ』を成功させる為に必要なことだった。
「それに何? 貴女、ただの騎士でしょう?」
そこでコリーナはパチンと扇を閉じると、その先端をリタに向ける。
「誰が『口を開いていい』と言ったの。身の程をわきまえられないなんて、不愉快だわ。……処分が必要かしら?」
「う……っ!」
リタの肩が震え、たじろいだその時。
ゲルタがすっと、彼女の前へ出た。
「ご挨拶申し上げます、コリーナ・バルヒェット侯爵令嬢。私はケンペ男爵が娘、ゲルタと申します」
そして膝を折り、完璧なカーテシーを描くゲルタ。
「やだ。本当に貴族なの? 滑稽ね」
「このような格好での対面、失礼をお許しくださいませ。本来なら正装に着替えた後、伺いたかったこですが……。この部屋に、私の衣服がございますので」
遠回しに「貴女が占拠しているせいで着替えられない」と告げられ、コリーナの眉がぴくりと動く。
「そうなの。……ところで、ゲルタ嬢」
「はい、何でしょうか」
「この部屋、今後は私が使うわ。貴女は出て行って頂戴」
「……はい?」
眉をひそめ怪訝な顔をするゲルタへ向け、コリーナは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「クラウスと結婚するのは私。貴女は、要らないわ」




