18 クラウスの雑念
キンッ! キィンッ!
ノメンゼン城の隣。訓練場からは、朝から騎士たちが稽古に励んでいた。
辺境に接している隣国からいつ攻められてもいいよう、万全を期しているのだ。
「そこ! 腰が引けているぞ!!」
早くもばてている騎士を見かけたクラウスが、怒声を飛ばす。
騎士団長も務めている彼は騎士育成も力を入れており、こうして毎朝顔を出しているのだ。
「団長〜。朝から厳しいっす〜」
「弱音を吐くな! 城外を三周してこい!!」
「ひぇええ」
朝だからと弛んでいる騎士に走り込みを命じ、他の騎士たちの身も引き締めさせるクラウス。
尤も幼い頃から剣を片手に走り回っていた彼にとって、城外の走り込みなど散歩も同然。これでも甘い采配のつもりであった。
戦となれば、休みなく荒野を進軍し続けることとなるのだから。
尤も厳しい指南役としての姿は表面だけ。
クラウスは今、心の中では全く違うことを考えていた。
(最近、ゲルタに避けられている気がする)
他でもない、婚約者であるゲルタのことを。
ここ数日、食事を共にしても彼女は早々に席を立つ。
最初は教育が立て込んでいるのだと思った。だが授業の話をそれとなく聞いてみても、ミュラーがまた過度な課題を課している、といった様子はない。
そこでゲルタのことをよく観察してみれば、リタと連れ添ってどこかへ出かけていることに気が付いた。なので行き先を訊ねてみたのだが、いつもやんわりとはぐらかされてしまう。
(……そして、最近は城の中でヘルムートと一緒にいることが多い)
胸の奥がざわついた。
ゲルタと過ごす時間が減ったことよりも、彼女が他の男と笑顔を交わしていることのほうが、よほど堪えた。
ヘルムートがノメンゼン領へ移住する件は既に伝えてある。今は城に仮住まいしており、謝恩会が終われば本住まいを提供する予定だ、と。
不思議とそれ以降、ゲルタは何かと彼に声をかけるようになってしまった。
(どうしてだ……。まさか、ゲルタはヘルムートに懸想を……? ギュンターの言う通り、あいつとゲルタは同じ目線で語り合えている。俺には鉱物や魔道具の話はできないからな……)
思い起こされるのは昨日の記憶。
クラウスとゲルタが談話室でアフタヌーンティーを嗜んでいるところに、ヘルムートがやって来て混ざることとなったのだが――
巨大扇風機製作に必要な予算の確認、という野暮用を早々に終わらせたヘルムートはゲルタに辰砂を見せた。先日、ギュンターから報酬として渡されたものだ。
それを見た時のゲルタのときたら。
透明感があり、精巧なカッティングが施されたルビーやガーネットの方が美しいだろうに。瞳を輝かせ、頬を紅潮させ、手の平の石を抱くように見つめていた。
まるで、長年憧れていた舞台俳優に初めて会ったかのような熱。
歪な形をした赤い鉱石に、彼女は本気で魅了されていた。
(あの中に俺の入る余地は、……ない)
同じ熱量、同じ知識量で話を弾ますなど、夢のまた夢だ。
仲睦まじく団欒していた二人が脳裏から離れず、心ここにあらずとなってしまったクラウス。彼は無意識に訓練場の隅へと移動し、剣を構えたまま行ったり来たりした。
周囲の騎士たちは「どうしたんだ?」と囁き合い、遠巻きにその様子を見守っている。
(ギュンターにそれとなく探ってくれと頼んだが、『直接聞いてください』の一言で終わった。……クソ。それができたら最初から頼んでいない)
クラウスの切実な頼みをギュンターは涼しい顔をして流してきた。むしゃくしゃしたクラウスは半ば八つ当たりも含め、鍛錬を終えた騎士へ模擬戦を申し込む。
結果は十戦十勝。
だが勝っても勝っても、胸の中のもやは一向に晴れなかった。それどころか肥大化するばかり。
息を荒げながら、クラウスは次の訓練を指示する。今度は三対一。勿論、クラウスが一の側だ。
雑念を振り払うには、体を酷使するしかない。
汗を飛ばし、刃を振るうたびに、耳の奥で血の音が鳴っていた。
その時、
「クラウスさま!」
ギュンターの焦った声が、訓練場に響いた。
「何だ!? 俺は今、取り込み中……!」
「コリーナさまが、いらっしゃいました……!!」
カシャン、と乾いた音がした。
クラウスの手から剣が滑り落ち、砂利の上に落ちたのだ。
すかさず彼は振り向き、顔を真っ青にして聞き返す。
「コリーナ、が……?」
クラウスの、元婚約者。
コリーナ・バルヒェット侯爵令嬢。
もう二度と聞くことはないと思っていた名に、クラウスは狼狽した。
「事前に手紙もなくか!? その女性は、本当に彼女なのか……!?」
「は、はい。間違いありません。私がこの目で確認しました」
ギュンターの言葉に、剣を拾うこともできず立ち尽くすクラウス。
訓練場にはざわめきが広がり、騎士たちの視線が集まる。
「……今更、何の用だ? 婚約を解消した以上、彼女と俺は赤の他人だ。約束もなしに会うことなんてできない」
クラウス声は低く、怒りを抑え込んでいた。
それでもギュンターは一歩、クラウスへ近づくと、声を潜めて囁く。
「会わなければ『あの件』を、吹聴する。と……」
その瞬間、クラウスの口の奥に、血の味が広がった。歯を食いしばりすぎて、唇を噛んだのだ。
怒りと焦燥が同時に込み上げ、指先が震える。それを隠すように、彼はわざと靴音を荒く鳴らした。
「ギュンター、コリーナを談話室へ。それから、人払いを」
「はい、クラウスさま」
命じる声は平静を装っていた。
だが、内側では激しい動悸が耳鳴りのように響いていた。




