13 片思いは、寂しいですね
ゲルタと、ヘルムート。そして扉の前に立つギュンター。
応接室には三人の吐息だけが残った。窓越しの光が低く差し込み、机の木目を淡い縞模様にしている。
ヘルムートはソファの背にもたれかかり、指先で『呼気の器』が入った箱の縁を小さく弾いていた。その仕草は幼子が落ち着かない時にするような、抑えの効かない緊張を帯びている。
「ゲルタ。君はクラウス、さまが好きなんだな?」
問いは穏やかだが、針のように鋭く胸を刺す。
ゲルタは咄嗟に目を伏せ、胸の鼓動を確かめるように手を握った。
「いえ、私は……」
「取り繕わなくていい。……僕の前では、ありのままでいいんだ」
ヘルムートの言葉には、甘さも苛立ちも、諦念も混ざっている。
ゲルタはしばし答えを探し、やがて小さく息を吐く。
「……この気持ちが、好意なのかはまだわかりません。けれど確かに私は、クラウスに特別な感情を抱いております」
胸の内に抱いていた言葉をきちんと紡ぐと、ゲルタの顔には不思議な明るさが差した。
顔を上げ、真っ直ぐにヘルムートを見据えるその瞳は、鉱石を見つめるときと同じ純粋さを帯びている。
「なら、尚のこと別れるべきだ」
そこに彼が突き付けてきた結論は唐突で、冷たいほど現実的だった。
「……どうしてでしょう?」
「君がつらい思いをするからだ」
ヘルムートのの言葉は、暖簾を剥がすように真正面から迫る。
「結婚が成立するまで、つまりクラウスさまが無事に辺境伯を継ぐまで大事にして貰えるかもしれない。けどその後、あいつに好きな人ができたら? 愛人を囲うようになったら? 君はそれを間近で見ることになるぞ」
想像の風景が、室内を一瞬で凍らせる。
ゲルタの頬が引き締まり、指先がドレスのスカートに沈み込む。
「……」
言葉を失った彼女の頭の中に、未来の光景がちらついた。
クラウスが誰かの腕に寄り添う姿。城の長椅子で自分だけが虚ろに微笑む姿。単なる想像だというのに、嫌と思うほど鮮やかだ。
「好きな人から好意を向けられない苦しみは、思った以上にしんどいものだ」
ヘルムートは実感のこもった声で言った。
実際、彼はゲルダへ片思いをしているのだから。
最初は貴族同士の婚約に割って入るのは無理だと、諦めていた。ゲルタとは良きビジネスパートナーとなれればそれでいい、と。しかし時を経るごとに思いは膨らみ、自分を押し潰していった。
「人間ってのは身勝手でさ。最初は見返りがなくてもいい、なんて崇高な考えを抱いていたとしても、いつか求めるようになる。そうでなきゃ、心が摩耗して死ぬ」
故にヘルムートはゲルタの破局を待つようになった。
その時、思いを告げる。それを糧にじっと耐えていた。しかし耐えた先にあったのは、ビジネスパートナーどころか辺境への嫁入り。
ヘルムートは足元が崩れ去る錯覚に陥った。
やがて思いを押し殺して何になる、と開き直る勢いで辺境へ向かった。今、手の中にある『呼気の器』を届けに来たという体ならば、追い払われることもないだろうと踏んで。
そして今度こそ、本心を語ることに決めた。
「僕は、ゲルタに死んで欲しくない」
この一言に、全てが詰まっていた。
勝ち目のない者の、最後の懇願。
ゲルタの胸の奥で何かが弾け、熱いものが広がる。視界が滲み、言葉が喉の奥で震えた。
「どうか、よく考えてくれ」
そこでヘルムートは立ち上がり、ゲルタへ近付いた。ギュンターの視線が鋭くなる。
だが彼がしたのは、『呼気の器』が入った箱をゲルタの手の平に握らせる。ただそれだけ。
そうして彼女の前から去ろうとした時――
「医者を呼んでくれ! 早く!!」
切羽詰まった声が廊下から響き渡った。
只事ではない気配に、応接室が緊張に包まれる。
「な、何の騒動だ!?」
「怪我人でしょうか……?」
「お二人共、ここで待機を。私が様子を見てきます」
緊急性を感じ取ったギュンターは、止むを得ずゲルタとヘルムートを残し外へ出ようと扉を開ける。
「うおっと!」
そして扉の目の前にいたクラウスとぶつかりそうになってしまい、ギュンターは慌てて後退した。
「クッ、クラウスさま、一体何が……!」
「わからない! 巡回から戻ってきた騎士が倒れたんだ……! 単に食あたりに当たったのか、それとも急病か……っ!」
外では、ガシャガシャと甲冑がぶつかる音があちらこちらから鳴っている。
人が集まっているのはエントランスのようで、そこから混乱が滲む声が飛び交っていた。ゲルタはソファから立ち上がり、クラウス越しに様子を窺う。
応接室からでも、絨毯の上に何人かの騎士が横たわっているのが見えた。
その中に、まだあどけなさが残る少女、リタもいることに、ゲルタは気付いた。
「もしも病ならば感染したらことだ! ゲルタ、上の私室へ移動を……!」
「リタ!」
居ても立っても居られなくなったゲルタは、身を案じてくれたクラウスを横切りリタへ駆け寄る。
リタはキツく目をつむり、ぐったりとした様子で床に伏せていた。呼吸は浅く、顔色は青い。
(昨日は、あんなに元気でしたのに……!)
弱っている彼女の姿に、ゲルタは泣きそうになる。
そこでふと、リタの手に白い袋が握り締められていることに気付いた。火山灰を集める時に使って欲しいと、ゲルタが渡した物だ。
「お嬢さま、離れてください! これは未知の病気かもしれません……!」
「……リタは、火山へ向かったのですか?」
声をかけてくれた騎士の一人に、ゲルタは問いかける。
「え? いえ、リタと彼女が同行した部隊は、東の湖へ向かっていました」
「東の湖……」
昨日の夜、告げていた次の火山灰回収場所。
リタはそれを達成する為に、領地の東を担当していた巡回警備の部隊に同行し、まだ朝日が昇る前に城を経っていた。
「湖に着くまでは順調に回っていたんです。しかしそれから間もなく、リタを含む何人かの騎士が体調不良を訴え、大事を見て切り上げようかと話していたら……」
体調不良を訴えていた者達が連鎖するように倒れてしまい、馬に乗せ慌てて城に連れ帰り、今に至るのだと言う。




