12 お久しぶりです、錬金術師さま
「彼女には僕の名前を出せば聞いてくれる!!」
翌朝。
城の門前では、門番と男の声の口論が響いていた。
(何の騒ぎでしょう?)
気になったゲルタが私室の窓から外を覗くと、門の前でひとりの青年が息を荒げていた。
汗で茶髪が額に張り付き、上等とは言えない旅装の裾には砂埃がこびりついている。
「あの方は、錬金術師さまの……」
その顔に、見覚えがあった。
ヘルムート。
王都の錬金術師の宮廷工房で、室長を務める青年。平民出身ながら天才の名を欲しいままにし、やがて所長の座を継ぐだろうと囁かれている才人だ。
彼こそがゲルタと共に魔道具ルーペを開発した協力者その人で、仕事仲間であり、友人でもあった。
ゲルタは急いで部屋を出ると階段を下り、門へ向かう。
「ヘルムート。お久しぶりです」
「ゲルタ!」
その名を呼ぶなり、ヘルムートは数歩で距離を詰めた。
いつになく険しい表情。その瞳は、責めるようにゲルタを射抜いていた。
「お前、何でこんなところに……!」
「嫁ぎましたので」
「そういう意味じゃ……!」
「朝から大声を出すな」
低い声が割り込んだ。クラウスだ。
城から出てゆったりとした足取りで門へ近づいてきた彼は、冷えた瞳をヘルムートに向けた。
「失礼な客だな」
「クラウスも朝に男爵家へ来ませんでしたか?」
「……あっ」
王都で婚約を確認に行った時。朝から押しかける、という同じことをしでかしたのを思い出し、クラウスが気まずげに眉をひそめる。
その横顔を見て、ゲルタは思わずくすりと笑った。
「いや、しかし。こんな餓鬼みたく騒ぐことはなかったぞ」
「貴様……!」
「落ち着いてください、ヘルムート」
クラウスに今にも殴りかかりそうなヘルムートへゲルタが歩み寄り、そっと彼の腕を押さえた。
冷静な声に、ヘルムートの力が少しばかり抜ける。しかし怒りが収まった訳ではないようで、顔は険しいままであった。
――結局、応接室へと場所を移すことになった。
磨かれた机を挟んで、ソファに腰掛けた三人は向かい合う。
「ヘルムート。貴方は王都でお忙しい身でしょう? 事前に手紙も出さず来るだなんて、どうしたのですか」
「……ゲルタの婚約を、ついこないだ知ってな。どうして僕に一言も言わずに嫁いでしまったんだ!」
「あら? おかしいですね。王都を発つ前に、お兄さまが言伝を請け負ってくださったのですが……」
「……ハーゲン!!」
その名を聞いた直後、ヘルムートは拳を机に叩きつける。
それを見てクラウスは察した。
なるほど、彼が出てくると婚約に異を唱えるのは目に見えている。一悶着が起きないよう、ハーゲンは敢えて伝えなかったのだろう。と。
(……後で兄君に謝礼を送ろう)
クラウスが心の中でひっそりとそう決めたことを、ゲルタは知らない。
「それにしても、ゲルタを追いかけてわざわざ辺境まで? ご苦労だったな」
「っ! それだけじゃない、これを渡しに来たんだ!!」
そこでヘルムートは懐から小箱を取り出した。
その仕草は妙に芝居がかっていて、まるで求婚の一場面だ。
衝撃的な光景に、クラウスが硬直する。
「まぁ! 『呼気の器』! 貴方自ら持ってきてくださるなんて、ありがとうございます」
だがゲルタは口元に手を添えて目を輝かせた。
『呼気の器』。一定時間、水の中でも呼吸ができる魔道具。
この箱に入っているのはプロポーズリングではなく、仕事道具だったのだ。
(……紛らわしい)
クラウスは、密かに肩の力を抜いた。
「工房に発注がきたんだ。発注者は君なのに、納品先がノメンゼン領になっていて、最初は意味がわからなかったぞ。まさか嫁いでいただなんて……!」
「お兄さまの不手際、よくよく注意しておきますね」
ゲルタが苦笑すると、ヘルムートは言葉を詰まらせた。
その笑みが、王都にいたころと少しも変わっていないことに胸が疼く。
「しかしまだ婚約の段階だろう!? ゲルタ、今なら間に合う! 僕と帰ろう!!」
「なっ! お前、何を勝手なことを……!」
「帰る? 貴方と?」
ゲルタは小首を傾げた。
何を言っているのかわからない、というように。
「私の帰る場所は、この城ですよ?」
クラウスが勝ち誇ったように笑う。逆にヘルムートは悔しげに唇を噛む。
――二人の男の間に流れる空気が、どこかぎこちない。
ゲルタだけが、その意味を理解していなかった。
「そう言う訳だ。お前だけ帰れ」
「ここまで来て引き下がれるか!」
「王都にいた頃に行動しなかったのが悪い。諦めろ」
「それは……っ!」
ヘルムートの拳が震える。
彼とゲルタが出会ったのは二年前。仕事で顔を合わせるようになり、国王直々の依頼であるルーペの開発を任され、共に試行錯誤を続ける内に、彼女の知性と品格に惹かれていった。
しかしヘルムートが自分の恋心を自覚した時、ゲルタには婚約者ができていた。
それも名門子爵家の令息――平民の自分では到底勝ち目のない相手だ。
(彼女は何度も婚約が破談になったという話だったから、次の破局を待って伝えるつもりだったのに……!)
破談からほんの数日で、彼女は別の男に嫁いでいた。
しかも、見知らぬ辺境の次期領主のもとへ。
「しかし実際、婚約は成立しているんだ。披露宴へ向け準備も進めている」
「だが所詮は白い結婚だろう!? ケンペ男爵から聞いたぞ! ゲルタ、お前はそれでいいのか!?」
「私は……」
一瞬、ゲルタの胸の奥に波紋が広がる。
――もし、クラウスと愛し合えたら。
きっと、それは幸福だ。
けれどその想いを押し殺して、ゲルタは穏やかに微笑んだ。
「火山目当ての結婚ですから、よいのですよ」
クラウスが渋い顔をしたことに、気付くこともなく。
「……ゲルタ」
ヘルムートの声が低く沈む。
「少し、二人で話をしたい」
「はぁ? 婚前前に男女を二人きりにするなんて、許可できるか」
「じゃあ使用人がいてもいい。ともかくクラウスは席を外してくれ」
「ヘルムート」
「……クラウス“さま”は、席を外してくれ」
室内の空気が張り詰める。
しかしゲルタにも視線で退室を促され、クラウスは舌打ちを飲み込み、渋々といった様子で立ち上がった。
そして後ろに待機していたギュンターに声をかける。
「おい、リタを呼んで来い」
「リタですか? それが今朝から姿が見当たらなくってですね」
「何? 仕方ない。じゃあお前が同席しろ」
「えぇ? 私がですか?」
ギュンターは若干、嫌そうな顔をしていたが、クラウスの命だとして頷く。
クラウスは最後にヘルムートを一瞥し、静かに退室する。
扉が閉まる音が、妙に重く響いた。




