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第99話 交際の障壁

 バイト帰りの祐希が食事を終え、自室で待っていると、控えめなノックの音が聞こえた。


「さくらです」


「はい、どうぞ」


 祐希が応じると、ゆっくりと扉が開いてさくらが入ってきた。

 その表情は、どこか不安げに見えた。


「とりあえず、ここに座って」

 祐希は自分の隣を指し示した。


「はい、失礼します……」

 

 さくらは、祐希の隣に腰を下ろした。


「お帰り。秋田ではゆっくりできた?」


 祐希が優しく語りかけると、さくらは小さく首を横に振った。

 そして、膝の上で手をぎゅっと握りしめたまま、小さな声で言った。


「いいえ…… 祐希さん、ごめんなさい……

 父を説得して交際を認めてもらうと約束したのに、果たせなくて……」


 さくらは、消え入りそうな声で祐希に詫びた。

 帰省中、毎日のように父を説得しようとしたが、最後までまともに取り合ってくれなかったと、さくらは説明した。


(……祐希さん、ガッカリしているだろうな……)


 そんなさくらの心を見透かしたように、祐希は優しく言葉をかけた。


「いいんだ。さくらが必死で説得してくれたのは、ちゃんと伝わっているから」


「本当にごめんなさい。

 母と祖母が味方になってくれて、一緒に説得してくれたんだけど……

 ……それでも、父の頑固さは変わらなくて……」


 祐希は震えるさくらの手を、自分の両手でそっと包み込んだ。


「さくら、僕のために説得してくれてありがとう」


「祐希さん……

 母の提案なんですけど、次は祐希さんと父を直接会わせて人柄を見てもらうのがいいだろうって……

 時間はかかるかもしれないけれど、私、絶対に父を説得してみせますから……」


 さくらは祐希の手をぎゅっと握り、真っ直ぐな瞳で決意を語った。

 祐希はその想いを受け止めるように、深く頷いた。


「分かった。僕もできる限り協力するよ」


 不安を押し殺すように(うつむ)くさくらの肩を、祐希はやさしく抱き寄せた。


「……祐希さん」


 腕の中に収まった彼女の柔らかな身体から、トクトクと刻まれる鼓動が伝わってくる。

 言葉以上に確かな温もりが、彼女の心を安心させた。

 視線が重なり、どちらからともなく顔を近づける。

 自然と唇が重なり、互いの存在と想いを確かめ合うような、静かで深いキスを交わした。


 やがて、2人はどちらからともなく身体を離した。

 それは想いが通じていても超えられない、今の2人のもどかしい距離そのものだった。


「祐希さん……ありがとうございます。これで少し元気が出ました」


 さくらは安心したような、反面、少し切ない笑顔を浮かべて、部屋を後にした。

 祐希は扉が閉まった後も、唇に残る温もりを静かに噛み締めていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 シェアハウスにいつもの日常が戻ってきた。


 9月中旬、カレンダー上では秋だが、朝の空気にはまだ真夏のしつこい熱気がまとわりついている。

 今日から大学の後期が始まる。


「祐希さん、お待たせしました」


 玄関で待つ祐希の前に現れたのは、緊張した面持ちのさくらだった。


 今日の彼女は、沙織直伝の「ダサコーデ」をアレンジしたものだった。

 顔には、以前明日奈から貰った、赤いプラスチックフレームの伊達眼鏡。

 長く美しい黒髪は、後ろで1本の三つ編みにきっちりと編み込まれている。

 白い半袖ブラウスを一番上のボタンまで留め、膝丈のネイビーのプリーツスカートに白いソックス。

 まるでミッション系の女子高生のような、清潔感あふれる「真面目な」装いだ。


(着こなしで印象は変わるが、幼さの中に隠しきれない清楚さが(にじ)んでるな)


 その時、背後から別の足音が響いた。


「おはようございます、センパイ。

 さくらさん、その服装よくお似合いですね」


 現れたのは、通学モードの沙織だった。

 ピンクの細縁丸眼鏡に、三つ編みのおさげ髪。

 そして上はゆるいTシャツに、下は大きめのデニムパンツ。

 抜群のプロポーションをあえて隠すようなゆったりとしたシルエットで、地味女子学生を完璧に演出している。


「おはよう! ……沙織も一緒に行くのか?」


「先輩、目的地が同じなんですから、一緒に行ってもいいでしょ」


 沙織は祐希の隣に並ぶと、当然のように歩き出した。


 シェアハウスを出て、駅へと向かう道を3人で歩き出す。

 太陽が容赦なく照りつけ、アスファルトからの照り返しが肌を焼く。

 柏琳台駅から電車に乗り込むと、車内は通勤通学客で混雑していた。

 星ヶ丘駅までの約15分間、祐希は左からさくら、右から沙織に密着されながら、揺れる車内で吊革に掴まり身体を支えた。


 やがて電車が星ヶ丘駅に到着し、3人はホームへと降り立った。

 改札を抜け、駅前のメインストリートに出る。

 そこには、祐希たちのバイト先である『カフェ・バレンシア』が朝の光を浴びて佇んでいた。

 その横を通り過ぎ、多くの学生で賑わう大学へのレンガ敷きの歩道を歩き始めたときだった。

 沙織が口を開いた。


「そういえばさくらさん。

 ……お父様の説得は、上手くいったの?」


 その言葉にさくらの肩が、びくりと跳ねた。


「それは……」


 さくらはうつむき、消え入りそうな声で答えた。


「父は認めてくれませんでした……

 最後まで、まともに取り合ってもくれなくて……」


「そっか。残念ね」


 沙織は、言葉とは裏腹に心の中では「しめた」と思っていた。


「じゃあ……先輩はまだ『フリー』ってことですね」


 その一言が、さくらの心に突き刺さった。

 自分の不甲斐なさと、祐希への申し訳なさ。

 不意に流れ出た悔し涙を、彼女は慌てて指先で(ぬぐ)った。


「ご、ごめんなさい、私……っ」


 さくらは慌ててハンカチを取り出すと涙を拭き、小さく肩を震わせた。

 そんな彼女の痛々しい姿を見て、祐希の胸は締め付けられた。


 祐希は立ち止まると、震えるさくらの肩をそっと引き寄せ、沙織を正面から見据えた。


「沙織。さくらを追い詰めるのはやめてくれ!」


「先輩、誤解しないでください。私は事実を確認しただけですから……」


「僕が好きなのは、さくらだ。

 交際は、お父さんに認めてもらってからと決めているだけで、僕の気持ちはもう変わらない。

 だから他の女性と付き合うつもりはない」


 祐希は、沙織の目を真っ直ぐに見て言い切った。

 さくらは涙を拭うのも忘れ、呆然と祐希を見つめた。


 その拒絶は、沙織にとってあまりにも非情で容赦がなかった。

 沙織の唇に浮かんでいた余裕の笑みが、一瞬にして凍りついた。

 彼女は俯くと、ただ悔しさに震えて唇を強く噛み締めた。

 

 やがて3人は、聖女の正門に到着した。

「……さくら、また帰りにここで」


「はい……! 祐希さん」


 さくらは何度も振り返りながら、大学の中へと消えていった。


 祐希と沙織は、隣の星城大学へ歩を進めた。

 さくらがいなくなった途端、沙織はショックを振り払うように努めて明るく振る舞った。


「……先輩。今の宣言、めちゃくちゃ格好良かったですよ。

 私が彼女になった時も、今の言葉、ちゃんと言ってくださいね!」


「沙織……僕は真剣なんだから、茶化すな」


「でも、さくらさんと正式に交際してる訳じゃないんですから、私にもまだチャンスありますよね?

 私が先輩を振り向かせて、彼女の座を奪ってみせますから」


 沙織は強気でそう言い放ったが、内心では焦りを感じていた。

 祐希と身体の関係を持っても心は奪えないという事実。

 そして、現状を打開する「次の一手」が何も思い浮かばず、沙織は手詰まり感をひしひしと感じていた。


 後期の幕開け。

 祐希の日常は、これまで以上に波乱に満ちたものになりそうだ。

※創作活動の励みになりますので、作品が気に入ったら「ブックマーク」と「☆」をよろしくお願いします。

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