第86話 祐希の帰省
8月中旬、お盆の真っ只中、祐希は新千歳空港に到着した。
到着ゲートからロビーへ出ると、明るい元気な声が祐希の名を呼んだ。
「ゆうき兄ちゃ~ん!」
その声の方に振り向いた瞬間、ふわりと甘い香りと共に、妹が飛び込んできた。
「わっ……!月、危ないって」
「お兄ちゃん!会いたかったよ~!」
祐希の胸に顔を埋めて甘えているのは、妹の月だった。
彼女は、祐希の母校に通う高校3年生だ。
栗色のロングヘアに愛らしい顔立ち、ぱっちりとした大きな瞳。
スタイルも抜群で、アイドルと言われても信じてしまうほどの美少女だ。
「こら月、祐希が困ってるだろ」
「あらあら、月は相変わらずお兄ちゃん子ねえ」
苦笑しながら歩いてきたのは、父の篠宮幸希と、母の祐子だった。
「父さん、母さん、ただいま。
わざわざ迎えに来てくれてありがとう」
「いいってことよ。祐希の帰省は久しぶりだからな」
再会の挨拶もそこそこに、父が腕時計を見た。
「11時か……少し早いが、お昼食べてくか?」
「そうね。祐希、何が食べたい?」
「う~ん……やっぱりラーメンかな」
「よし、お昼はラーメンにしよう」
祐希たちは空港内にある函館ラーメンの名店へ向かった。
観光客で混み始めた店の一角に、空いているテーブルを見つけて席につくと塩ラーメンを注文した。
透明でコクのある昆布ベースの塩スープと中細ストレート麺が特徴で篠宮家全員のお気に入りだ。
「それで、大学はどうなんだ?
ちゃんと単位は取れてるのか?」
父が水を飲みながら祐希に聞いた。
「うん、前期の単位は全部取れたと思うよ」
「さすがはお兄ちゃん」
祐希の隣に座った月が、ニコニコ笑いながら目を輝かせた。
運ばれてきた熱々のラーメンを啜りながら、祐希たちはシェアハウスの話や、アルバイト先の様子など、他愛もない話に花を咲かせた。
家族の温かさと、本場のラーメンの味わいに、祐希は「北海道へ帰ってきた」と実感した。
空港を出て車で1時間ほど走ると、札幌市内にある祐希の実家に着いた。
荷解きを終えてベッドに倒れ込むと、旅の疲れが出たのか、いつの間にか眠ってしまった。
ふと目を覚ますと、窓の外はすでに夕方だった。
「今日の夕飯は寿司にしたぞ」
出かけていた父が戻ってきてダイニングテーブルの上に置いたのは、地元で人気の回転寿司『根室北まる』のテイクアウト寿司だった。
プラスチック容器を開けると、豪華な寿司が所狭しと並んでいた。
「うわあ、すご~い!
ホタテにイクラにウニだよ!」
月が歓声を上げ、母がサッポロクラシックの500ミリ缶とグラスを運んできた。
「じゃあ、祐希の帰省に乾杯」
父の音頭でグラスを合わせ、久しぶりの家族団欒が始まった。
祐希は好物のホタテを口に放り込んだ。
肉厚で甘みが強く、シャリの握り具合も絶妙だ。
「やっぱり北海道の回転寿司はレベルが違うな……
神奈川のスーパーの寿司とは別格だよ」
「そりゃそうさ……
魚介類は北海道が一番だ」
父は満足そうにビールを煽り、母もニコニコと祐希たちの食べっぷりを見守っている。
しばらく地元の味を堪能した後、話題は東京でのシェアハウスでの生活へと移っていった。
「それにしても……男1人に女9人の共同生活か。
何度聞いてもすごい環境だな」
父は少し心配そうに言った。
「明日奈さんには、迷惑掛けてないだろうな?
お世話になりっぱなしじゃ、義理の姉とはいえ申し訳ないからな……」
両親の中で、明日奈は「亡き夫の弟を住まわせてくれる、慈愛深い未亡人」という認識だ。
まさか、その明日奈と身体に関係があるとは口が裂けても言えない。
「大丈夫、居候してるわけじゃないよ……
明日奈さんから『管理人』の仕事を任されてるんだ」
「ほう、管理人か」
「共有部の修理修繕とか設備の点検もしてるし、力仕事は僕の担当なんだ」
母が感心したように頷いた。
「勉強も大事だけど、責任ある仕事を任されてるというのは良いことね」
「住人のみんなとも上手くやってるよ。
みんな個性的だけど、いい人たちだし」
祐希が胸を張って答えると、両親は表情を緩めた。
息子が責任感を持って生活していることに安心したようだ。
横でサーモンを頬張っていた月が、不意に箸を止めて祐希に聞いた。
「ねえお兄ちゃん、さくらさんとは、その後どうなったの?」
月の言葉に祐希は少し驚いたが、自分にとって、今一番重要なことは家族に隠さずに話しておくべきだろうと思った。
「月が言ってるのは、シェアハウスに住んでる、早乙女さくらさんのことだよ」
「へえ、可愛い名前じゃないか」
「彼女、聖晶学園女子大学の一年生なんだけど、頻繁にストーカー被害に遭っててさ。
明日奈さんに頼まれて、僕が大学の行き帰り、毎日ボディガードしてるんだ」
「あら……それは大変ねえ」
母が心配そうな表情を浮かべる横で、月がスマホの画面を両親に向けた。
「お母さん見て見て!
これ、さくらさんと私が一緒に撮った写真!
すっごく可愛いでしょ?
まるで天使みたいに清楚な美少女なんだよ!」
月は、星城大学のオープンキャンパスに行ったときに、カフェ・バレンシアでさくらと一緒に撮った写真を見せた。
月は、純粋にさくらの容姿や性格の良さを称賛していた。
「……実は僕、さくらに『好きだ』って告白したんだ」
「えっ、お前がか!?」
「あら、まあ……」
父と母が同時に声を上げた。
祐希は鼓動が早くなるのを感じながら、先を続けた。
「そしたら、彼女も好きですって言ってくれて……」
「おおっ!やったじゃないか祐希!」
「まあ、素敵!両想いってことじゃない!」
両親は、祐希の言葉に色めき立った。
「いや、でもまだ正式に交際を始めたわけじゃないんだ……」
「どういうことだ?」
「彼女のお父さん、高校の音楽教師なんだけど、すごく厳格な人らしくて……
交際するには、彼女のお父さんから許可をもらわなきゃいけないそうで……
だから今は、許可待ちの状態なんだ」
「なんか、いかにも頑固親父っていう感じだな。
だが、筋を通すのは大事だ。頑張れよ」
父は苦笑しつつも応援してくれた。
そんな中、月が、グラスの縁を指でなぞりながら呟いた。
「……ふ~ん。許可待ちってことは、まだ付き合ってないのか」
その声には、どこか安堵の響きと、焦りの感情が混じっているように聞こえた。
月は、すぐに笑顔を作ったが、その奥にある感情までは読み取れなかった。
楽しい夕食がお開きになり、それぞれが自分の時間を過ごした。
久しぶりに実家の風呂にゆっくり入り、旅の疲れを癒やした。
風呂から上がり、祐希は2年前まで使っていた自分の部屋に向かった。
本棚には当時の参考書がそのまま残っており、懐かしさがこみ上げてくる。
「あの頃と変わってないな……」
ベッドに潜り、スマホを取り出すとチャットアプリ『LINK』でメッセージを確認した。
その時、ノックの音がして、静かにドアが開いた。
「……お兄ちゃん、起きてる?」
入ってきたのは、パジャマ姿の月だった。




