第85話 頑固親父(2)
「……賢吾、そこまでにしておやり」
見かねた祖母・吉乃が口を挟んだ。
「か、母さん……」
「さくらが独り暮らしをする条件を仲介したのは私だよ。
この子は約束通り、5つの条件を全部守って頑張っているじゃないか。
親の都合で『恋愛禁止』なんてルール、勝手に増やすもんじゃないよ。男らしくないねぇ」
「しかし、母さん! 俺はさくらの将来のためを思って……」
「何が将来だい、ただの父親のエゴにしか思えないよ」
「なっ……!」
実の母に痛いところを突かれ、賢吾は二の句が継げなくなった。
そこに畳み掛けるように、母・晴子が静かに口を開いた。
「あなた、さくらの言う通りよ。
とにかく、一度会ってあげたらどう?」
「は、晴子……お前まで何を言うんだ」
「さくらは、祐希さんの人柄を見て、信頼できる人だって言ってるの。
本当に誠実な人かどうか……一度会って、自分の目で確かめてみれば?」
「ぐ、ぬぅ……」
妻からの「本当に誠実な人かどうか」という言葉は、頑固な賢吾の心にも深く刺さった。
だが、ここで認めてしまえば、自分の威厳が崩れてしまうと思った。
「うるさい、この話はこれで終わりだ!
父さんは絶対に認めんぞ!」
賢吾は苦し紛れに怒鳴った。
もう正論では勝てない。
だから、親の威厳で押し切るしかなかった。
賢吾はグラスの冷酒を飲み干すと立ち上がった。
これ以上ここにいれば、妻と母と娘に完全に論破されてしまうのが分かっていたからだ。
「俺はもう寝る」
賢吾は逃げるようにして自室へと引きこもった。
バタン! と荒々しく扉が閉まる音が、リビングに響き渡った。
「……やれやれ。論破されそうになって逃げるなんて、情けない男だねぇ……」
祖母の吉乃が、呆れたようにため息をつき、お茶を啜った。
さくらは唇を噛み締め、膝の上で拳を握りしめたまま俯いている。
「ごめんね、さくら……
お父さんったら、痛いところを突かれてここにいられなくなったのよ」
母の晴子が、さくらの背中を優しくさすった。
「えっ……逃げたの?」
「そうよ。賢吾が部屋に籠もるのは、もう言葉で言い返せなくなった証拠さ」
吉乃が可笑しそうに笑った。
「5つの条件のことも、晴子さんの言葉も、全部図星だったんだよ。
頭では分かっているけど、父親としての寂しさと変なプライドが邪魔して、認めると言えないだけさ」
「そうなの……?」
「ええ、間違いないわ。
だから、さくらは何も間違ってない。
堂々としていればいいのよ」
母と祖母の言葉に、さくらの緊張は緩んだ。
けれど、父に拒絶されたショックは、すぐには拭えそうになかった。
「おかあさん、おばあちゃん……ありがとう。
私も部屋に行くね」
「ええ、今日はゆっくり休みなさい。
お父さん……明日になれば少しは頭が冷えているかもしれないし、お母さんからも、またじっくり話しておくから」
「うん……おやすみなさい」
さくらは力なく立ち上がると、足を引きずるようにして2階へと上がっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自室のドアを開けると、そこには5ヶ月前と変わらない風景が広がっていた。
本棚に並んだ受験時代の参考書や、ピアノの楽譜。壁には高校の制服がハンガーに掛けられたままになっている。
「……はぁ、疲れた……」
さくらはベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めた。
父から投げつけられた言葉の棘が、胸に深く刺さったまま抜けない。
『男にうつつを抜かしている暇があるなら勉強しろ』、『別の女性専用住宅へ引っ越せ』など、父の愛ゆえの暴言だと分かっていても、初めて抱いた祐希への「好き」という感情を全否定されたことが、たまらなく悲しかった。
枕元のスマホが小さく震えた。
通知画面には、祐希からのメッセージが表示されていた。
『さくら、実家には着いた?
移動で疲れただろうから、ゆっくり休んで』
彼の優しい言葉が、今のさくらには痛かった。
『絶対に説得してみせる』と約束したのに。
母と祖母という最強の援軍がいたにも拘わらず、父を怒らせてしまった。
(……ごめんなさい、祐希さん)
『うまく説得できなかった』と入力しようとして、指が止まった。
心配をかけたくない。
それに、情けない自分を見せるのが怖かった。
さくらはスマホを握りしめたまま、涙に濡れた瞳で窓の外を見上げた。
秋田の夜空は、都会よりも星が綺麗に見える。
しかし、彼がいない夜空は寒くて寂しかった。
(祐希さんに会いたいな……)
さくらは、初デートの時に2人で撮った写真を見つめながら、祐希のことを想った。
彼もきっと、神奈川で私のことを想っているに違いない。
その数日後、祐希が沙織の罠に落ち、ホテルのベッドで身体を重ねることになるのを、この時のさくらは知る由もなかった。
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