第75話 一つベッドの上で
さくらの部屋は、オーシャンビューの広々としたツインベッドルームだった。
入口を入るとトイレと浴室があり、その奥がリビング兼ベッドルームになっている奥行きのある部屋だ。
ベッドは右手の壁際に2台置かれていた。
「祐希さん、こちらです」
さくらは奥側に置かれたベッドを指し示した。
「奥の私のベッドを使ってください」
「あ……ここね……」
祐希は一瞬、言葉に詰まった。
さくらが、この部屋に誘ったのは「一緒に寝よう」という意味ではなかった。
清楚で純真なさくらが、祐希を同じベッドで寝ようと誘惑するわけがない。
ただ単に寝室から追い出された、哀れな祐希を気遣ってくれただけだ。
「手前のベッドだと、沙織さんがもし戻ってきた時に、まずいですから」
「あ……なるほど、そういうことか……
ありがとう、助かったよ」
「私は沙織さんのベッドで寝ます。
沙織さんは、おそらく朝まで戻ってこないでしょうし……」
さくらは沙織のベッドに腰を下ろし、寝る体制を整えた。
祐希は窓側のベッドへ移動し、靴を脱いでベッドの影へと置いた。
2人ともTシャツにショートパンツというラフな格好でベッドに横たわった。
「……おやすみなさい、祐希さん」
「うん、おやすみ。さくら」
さくらは、ベッド下の常夜灯のみを残し、灯りを消した。
薄暗がりの中、互いの呼吸音だけが聞こえ、心地好い沈黙が訪れた。
さくらの甘い残り香に包まれ、祐希の緊張も次第に解けていった。
遊び疲れた身体に、睡魔がゆっくりと近づいてきた。
意識が溶け始め、夢の境界線を彷徨い始めた時だった。
ドアロックを解除する電子音が静寂を切り裂いた。
誰かがカードキーを使ったのだ。
「……っ!?」
さくらは一瞬で反応した。
音もなく身を起こすと、ドアノブが回される前に、祐希が寝ているベッドへ移動し、布団の隙間から中へ滑り込んだ。
祐希の口元を手で塞ぎ、さくらは彼にしがみつくようにして、掛け布団を頭まで被った。
直後にドアが開き、廊下の光を背にした沙織が部屋へ入ってきた。
「ふぁ~……」
沙織は大きなあくびをしながら、重たそうな足取りで部屋に入ってきた。
遊び疲れて眠気の限界なのだ。
彼女は虚ろな目で部屋を見渡した。
「それにしても祐希せんぱい、どこへ消えたんだろ……。 まあ、明日になれば分かるか……」
沙織の視線が、奥のベッドへと向けられた。
暗がりの中、布団が人の形に盛り上がり、誰かが寝ているように見えた。
「……さくらさんも熟睡してるみたいだし、私も眠いから寝よ」
沙織は独り言を呟くと、自分のベッドへと倒れ込んだ。
「ん~……やっぱり自分のベッドは寝心地最高……」
沙織は数秒もしないうちに寝息を立て始めた。
祐希とさくらは息を殺してその様子を窺っていた。
このホテルのベッドは、一人用にしてはやや幅広のセミダブルサイズだ。
いずれにしても2人で寝るには、窮屈なことに変わりはない。
2人の身体はこれ以上にないほど密着していた。
暗闇の中で感じる体温、柔らかい身体の感触、そしてお互いの高鳴る鼓動。
祐希が期待していた展開が、現実のものとなった。
沙織の寝息が規則正しいリズムに変わり、2人はようやく緊張感から解放された。
危機的状況は去ったが状況は変わらない。
1つのベッドに2人が潜り込み、夏用の薄い肌掛け布団を被った状態だ。
さくらがとっさに潜り込んだ際に、2人はちょうど抱き合うような体勢となった。
祐希の腕の中には、さくらがすっぽりと収まり、彼女の顔がちょうど祐希の胸元にあった。
ツインルームとはいえ、部屋は40平米と広く、沙織のベッドとは数メートルの距離がある。
だが、静まり返った室内では、その距離も近く感じられた。
密閉された布団の中は、互いの匂いで満ちていた。
さくらの髪から漂うシャンプーの残り香と、彼女自身が持つ甘い香りが、祐希の理性をじわじわと侵食していく。
さくらもまた、包み込まれる祐希の男性的な匂いに、目眩を覚えるほど陶酔していた。
視覚と嗅覚だけではない。
触覚が、より鮮明に相手の存在を伝えてくる。
薄いTシャツとショートパンツ越しに伝わる体温。
祐希の太ももには、さくらの滑らかな生足が絡みつき、胸には彼女の柔らかい膨らみが押し付けられている。
トクン……トクン……。 トクン……トクン……。
静寂の中で、心臓の音が響いていた。
自分の鼓動なのか、相手の鼓動なのか分からないほど、2人のリズムはシンクロし、激しく高鳴っていた。
「ゆうき……せんぱぁい……」
不意に、沙織の寝言が静寂を破った。
一瞬、2人の身体が強張った。
むしろ互いを守り合うように、自然と腕に力がこもり、さらに強く抱きしめる形となった。
祐希の手がさくらの華奢な背中を包み込み、さくらの手が祐希のTシャツの背中側をギュッと握りしめる。
やがて沙織の呼吸が再び穏やかなものに戻ると、2人は安堵の息を吐いた。
緊張が去った後、意識は「異性」に向いた。
祐希は、腕の中にいるさくらが愛おしくてたまらなかった。
さくらもまた、祐希の腕に抱かれ、かつてないほどのドキドキと、不思議な安心感を感じていた。
「さくら……苦しくない?」
祐希が耳元で、そっと囁いた。
名前を呼ばれ、さくらは首を振った。
「……大丈夫です。祐希さん」
名前を呼び合うことで、先ほどの浜辺での出来事が夢ではなかったと実感した。
愛おしさが込み上げ、2人は抱き合う腕に力を込めた。
さくらは下腹部に硬いモノが当たっていることに気づいた。
それが何なのかに気づいた彼女は恥じらいを感じた。
男性がそのように反応することは、知識として知ってはいたが、現実に祐希が自分に反応してくれたことに驚き、同時に嬉しく思った。
緊張と興奮がピークに達した後、不思議な穏やかさが2人を包み込んだ。
祐希がさくらの頭を優しく撫でると、さくらは目を細めた。
お互いの体温が心地よい眠気を誘い、2人は抱き合ったまま、深い微睡みへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
小鳥のさえずりと共に、カーテンの隙間から、まぶしい朝日が差し込んでいた。
時刻は朝の6時。
「ふわぁ~……よく寝たぁ……」
沙織が起き上がり、大きな欠伸をしながら伸びをした。
昨夜の記憶はおぼろげだが、自分のベッドで寝られたおかげで目覚めは快適だ。
「さくらさんは……?」
沙織は隣のベッドへ視線を向けた。
するとそこには驚きの光景が待っていた。
布団の中で気持ち良さそうに寝息を立てているのは、紛れもなく祐希とさくらであった。
「はぁ?……なんで?」
沙織には、祐希とさくらが幸せそうな表情で抱き合って眠っている理由が分からなかった。




