第32話 未亡人明日奈(1)
篠宮明日奈は、27歳の未亡人だ。
約4年前、想い人からプロポーズを受け、幸せの絶頂の中、結婚式当日の朝を迎えた。
望み通り「6月の花嫁」として教会で式を挙げられる。
明日奈は、幸せを噛み締めていた。
もうすぐ生涯の伴侶となる大希が、爽やかな笑顔を見せて、明日奈のもとへやってくるはずだ。
その時までは、そう思っていた。
しかし、挙式30分前になっても、大希は姿を表さなかった。
一抹の不安を覚え、大希のスマホに電話してみた。
しかし電源が入っていないと通知され、繋がらなかった。
その時、大希の父親から電話があった。
「明日奈さん、気をしっかり持って聞いてくれ……
大希が……大希がトラックにはねられて、救急車で運ばれた」
電話口から聞こえた義父の言葉が、明日奈の時間を止めた。
目の前が真っ暗になり、純白のドレスのまま、彼女はその場に崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気が付くと明日奈は自宅のベッドで寝ていた。
母親が心配そうに明日奈の顔を覗き込んでいた。
「あ…明日奈、気がついたの……」
「お母さん……大希は、大希さんはどうなったの?」
「大希さんは、大希さんは……」
母は何か言おうとしていたが、言葉が見つからない様子だった。
明日奈は、母のただならぬ様子を見て、すべてを悟った。
大希は、もうこの世にいないのだと……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、病院の遺体安置所で冷たくなった大希と再会した。
その表情は穏やかで、まるで眠っているかのようだった。
亡くなっているとは思えないほど、綺麗な顔だった。
トラックにはねられたと聞いていたが、遺体にはかすり傷がある程度で大きな外傷はなかった。
通夜の夜、明日奈は喪主として弔問客を迎えた。
まったく現実感がない中、葬儀は滞りなく終了した。
火葬場で大希に最後の別れを告げる時も、なぜか涙は出てこなかった。
それは、明日奈の心が大希の死を拒否していたからだ。
大希は、小さな「お骨」となって、明日奈のもとへ帰ってきた。
それから、日が経つうちに徐々に喪失感が明日奈を襲った。
明日奈は、大希を失った悲しみで1ヶ月もの間、涙が枯れるまで泣き、泣きつかれては眠り、起きてはまた泣いた。
食事もほとんど喉を通らず、かつての美貌は見る影もないほど痩せこけた。
大希が亡くなってから2ヶ月が過ぎたある日、明日奈の元へ来客があった。
それは、大希の両親と弟と妹であった。
大希の両親に会うのは、本当に辛かった。
弟の祐希は高校2年生だが、出会った頃の大希によく似ていた。
大希の両親は、警察から聞いた事故の状況を説明してくれた。
交通量が多い交差点で、大希は信号待ちしていた。
すぐ前に小学校低学年の小さな女の子が立っていた。
信号が青に変わると、大希とその子は横断歩道を渡り始めた。
すると信号無視のトラックが急ブレーキをかけながら突っ込んできた。
大希は咄嗟にその子を抱き上げ、反対車線へ放り投げた。
大希もトラックを避けようとしたが、間に合わずはねられてしまった。
女の子は、かすり傷を負ったが、命に別状はなかった。
「本当に大希さんらしい行動です」
明日奈はその話を聞き、大希の取った行動を誇らしく思った。
誠実で優しい、まさに彼らしい行動だと思った。
「明日奈さん、これから話すことをよく聞いてほしい。
大希の生命保険金と交通事故の損害賠償金の話だ。
明日奈さんの心の痛みが、金で癒される訳ではないことは、重々承知しているが、これから生活していくのに金が必要なのも確かだ」
義父の話では、大希の生命保険金と損害賠償金の合計は3億を超えるという話だった。
明日奈はまだ若く、子供はいない。
そのため、遺族年金は5年間だけ受け取れるそうだ。
「お義父さん、私のことを心配してくれてありがとうございます」
明日奈は、義父に礼を述べた。
挙式前に既に入籍を済ませていた明日奈は、夫の巨額の遺産と共に「未亡人」という、ありがたくない称号を受けることとなった。
こうして、23歳で未亡人となった明日奈は、実家に籠もる生活が続いた。
一時は生きる希望を失い、自ら命を絶つことさえ考えた。
しかし、両親のきめ細かなフォローのおかげで、何とか思いとどまることができた。
それから半年が経ち、気持ちの整理をつけた明日奈は、前向きに生きることを決意した。
両親は、明日奈の将来を考えて再婚を勧めてきた。
明日奈は、結婚前に大希を生涯の伴侶とすることを固く誓っていたので、再婚するつもりはないと断った。
未亡人となり、元の姓に戻る選択肢もあったが、明日奈は篠宮姓を名乗り続けることを決めた。
しかし、一人で生きていくのは、あまりにも寂し過ぎる。
毎日賑やかに暮らせる方法はないか考えた。
そして明日奈が出した結論は、シェアハウスの経営だった。
家賃収入もあるし、毎日若い子に囲まれてワイワイと生活できれば、どんなに楽しいことか。
明日奈は両親の反対を押し切って、かつて大希と出会った街で土地を見つけ、シェアハウスを建てることを決めた。
知り合いのデザイナーに頼んで、デザインは凝りに凝った。
遺産の3分の2以上を注ぎ込んで、自分の納得するシェアハウスが完成した。
それは、2年前の11月のことだった。
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