第23話 モヤモヤの正体
日曜日の夜7時過ぎ。
シェアハウス「ヴィーナス・ラウンジ」のリビングは、美味しそうな匂いと賑やかな話し声で満ちていた。
テーブルの上には、唐揚げ、フライドポテト、焼き鳥、ドーナツといった、各々が持ち寄った料理が並んでいた。
それに明日奈がスーパーの値引き品を狙って買ってきたという、6人前の寿司とオードブルが豪華に並んでいる。
ヴィーナス・ラウンジ恒例プチ宴会の始まりだ。
「うまぁ~、これ、めっちゃ美味しい。
怜奈さん、これどこのですか?」
朱音が唐揚げを頬張りながら聞いた。
「駅前の商店街にある『唐揚げキング』っていう店よ。
秘伝のスパイスが人気の秘密らしいわ」
怜奈が嬉しそうに答えた。
琴葉は、黙々とフライドポテトを食べながら、時折スマホをチェックしていた。
明日奈は缶チューハイ片手に、みんなの話ににこやかに相槌を打っている。
さくらも、その和やかな雰囲気に自然と笑顔になっていた。
祐希は、まだ風呂に入っているようだ。
そこへ、2階から未来が降りてきた。
その表情は、お出かけの興奮冷めやらぬといった様子だ。
「わ~、お寿司だ~、美味しそう。
これ食べていいんですか?」
「どうぞ召し上がれ」
明日奈がそう言うと、待ってましたとばかりに、未来が寿司に手を伸ばした。
「明日奈さん、いただきま~す」
未来は、お寿司が大好物なのだ。
「未来ちゃん、どうだった?
祐希くんとの映画!」
怜奈が未来に興味津々といった様子で聞いた。
「そうそう、詳しく聞かせてよ~!」
朱音が身を乗り出して聞いた。
「え、それ聞いちゃいますぅ~」
未来は勿体ぶりながら、それでも話したくて仕方ない様子だった。
「うん、聞きたい、聞きたい」
琴葉も身を乗り出して、聞き耳を立てた。
それに明日奈も興味津々といった様子で、
「未来ちゃん、聞かせて、聞かせて」と言い出した。
さくらは、自分だけ会話に参加していないことに気づき、慌てて言葉を続けた。
「未来さん、私も聞きたいです」
「しょうがないなぁ、じゃあ、話しちゃいますね」
未来は、祐希がこの場にいない今がチャンスだと思った。
「すっごく楽しかったです!
映画、めちゃめちゃ感動しちゃって…!
それに、ご飯も美味しかったし、祐希兄ちゃん、すっごく優しくて……」
未来は、キラキラと目を輝かせながら話した。
「いいな~、私も見に行きたいなぁ…
その映画いつまでやってるの」
琴葉もその映画を見てみたいと思った。
「今月いっぱいだよ」
未来が嬉しそうに答えた。
「未来ちゃん、映画の後、どこか寄った?」
今度は、怜奈が聞いた。
「うん、その後ね、 ショッピングにも付き合ってくれて…これ見て!」
未来は嬉しそうに、スポーツキャップを取り出して見せた。
人気キャラクターが刺繍された、可愛らしいデザインだ。
「これ、祐希兄ちゃんがプレゼントしてくれたの。
私が悩んでたら、『今日のお礼に』って買ってくれて…!
もう、本当に嬉しくて…! 大事にしなきゃ!」
未来は、キャップを胸に抱きしめ、幸せそうに微笑んだ。
その姿は、恋する乙女そのものだった。
「へぇ~、祐希くん、やるじゃない」
明日奈が祐希のスマートさに感心した。
「未来ちゃん、よかったね~」
周りのみんなは、温かい言葉をかけた。
さくらも「よかったね」と笑顔を作ったが、それとは裏腹に心はどんどん沈んでいった。
午前中から、ずっと胸の中にあったモヤモヤが、未来の話を聞くうちに、増幅していくのを感じていた。
(……この感情はなんだろう)
未来が祐希と映画に行って楽しかったのは、良いことなのに……
祐希が未来にプレゼントしたのも、彼らしい優しい行動なのに。
なぜ、素直に喜べないのか。
むしろ胸がヒリヒリして、未来の話をそれ以上聞きたくなかった。
頭では理解しているのに、心が拒絶しているのだ。
未来の屈託のない笑顔が、眩しすぎて直視するのが辛かった。
さくらは相槌を打つのも忘れ、黙り込んでいた。
目の前のお寿司にも手が伸びず、ただグラスの水滴を指でなぞった。
(私、どうしちゃったんだろう……)
生まれて初めて感じる、自分でも理解できない不快な感情。
その正体が分からないまま、さくらは賑やかな輪の中で、一人、戸惑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月曜日の朝。
いつものように朝食を済ませ、祐希はさくらと一緒にシェアハウスを出た。
昨日、未来と映画に行く時から、さくらの様子がおかしいことに、祐希は気づいていた。
夜のプチ宴会でも、どこか上の空だった。
今日のさくらは、朝から不機嫌そうだった。
朝の挨拶も声が小さく、いつもの笑顔もなかった。
祐希が話しかけても、返事は単調で心ここにあらずといった感じだ。
シェアハウスから駅までの道を並んで歩く。
いつもは自然と始まる他愛のない会話が、今日は全く生まれない。
さくらは俯きながら1歩先を歩き、時折小さなため息をつく。
その横顔は硬く、祐希を見ようとしない。
祐希には、さくらが不機嫌な理由が思い当たらなかった。
この重苦しい空気は、さすがの祐希にも居心地が悪かった。
状況に耐えきれなくなり、祐希が声をかけた。
「さくらさん、僕、何か気に障るようなこと言ったかな?」
その言葉に、さくらはゆっくりと足を止めた。
そして祐希に向き直ると、困ったような表情で言った。
「ごめんなさい……これは、私の問題なんです」
さくらは自分でも制御不能な感情にモヤモヤしていた。
その原因が何か分かっている。
祐希が昨日未来と仲良さそうに映画に出かけ、それを彼女が嬉しいそうにみんなに話していたこと。
そのことを思い出すと、胸の奥がヒリヒリと焼けつくような感覚に襲われるのだ。
未来は大切なシェアハウスの仲間だし、祐希が誰と出かけようと関係ないはずなのに。
そんな風に思ってしまう自分が、さくらは嫌いだった。
純粋培養された箱入り娘で、恋などしたことのない彼女にとって、この初めての感情は、あまりに厄介で、理解できないものだった。
「祐希さん…ごめんなさい。
今日、ホントに調子が悪くて…」
さくらはそう言うと、俯きながら歩き出した。
祐希は、それ以上何も聞くことはできず、ただ黙って彼女の1歩後ろを歩いた。
駅までの道が、いつもよりずっと長く感じられた。
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