第20話 さくらの初体験(2)
祐希は、さくらが何も言わずにいなくなったので、トイレにでも行ったのかと思っていた。
しかし、30分以上経っても彼女は戻ってこなかった。
さすがに戻ってくるのが遅いと、祐希が心配し始めた頃、さくらはカフェ・バレンシアの制服を着て美里ママと共に現れた。
さくらが戻って来なかったのは、美里ママがカフェでバイトするよう口説いていたからに違いない。
祐希はそう確信した。
「祐希くん、さくらちゃんの制服姿、どう?」
カフェ・バレンシアの制服を身に纏ったさくらを見て、祐希の思考は停止した。
白いブラウスにカフェモカ色のスカート、生成りのエプロンという組み合わせは、彼女のために誂えられたかのように似合っていた。
その姿は、ユニフォームのカタログに載っているモデルのようだった。
しかも長い黒髪をハイポジションの細ポニーテールにして、その完璧な立ち姿に祐希の心は鷲掴みにされた。
「祐希くん……祐希くん、大丈夫?」
美里ママの言葉で祐希は正気に戻った。
「だ、大丈夫です。
ちょっとびっくりしただけです……
でも、なんで、さくらさんが制服を?」
祐希が尋ねると、美里ママが悪戯っぽく微笑み、ウインクした。
「ほら、パートの鈴木さん、息子さんが骨折で入院して、1ヶ月くらいお休みさせて欲しいって電話があったの。
だから、さくらちゃんに、ピンチヒッターをお願いしたわけ!」
「それならそうと、先に僕に言ってくださいよ。
急にいなくなって、戻ってこないから心配したじゃないですか…」
「祐希さん、心配かけてごめんなさい」
さくらが謝った。
「ううん、悪いのは先に言わなかった私よ。
ごめんね、祐希くん、許して……」
美里ママは悪びれた様子もなく、祐希にウインクして誤魔化した。
その時、ホール係の結からドリンクオーダーが入った。
「オーダー入ります、メロンソーダ、いちごパフェ、1番テーブルです」
祐希は、現実に引き戻され、溜まったオーダーをこなしていった。
接客が初めてのさくらに、ホール係の仕事が務まるのか祐希は心配だった。
さくらは、初めは緊張していたものの、美里ママのお手本通り、そつなく接客をこなしていった。
ドリンクを運ぶ手つきは、まだおぼつかないものの、その一生懸命な姿は見ていて微笑ましかった。
祐希はカウンターの中から、時折彼女の仕事ぶりを見守った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後8時過ぎ、カフェ・バレンシアは閉店の時刻となった。
祐希が後片付けを終えるころ、さくらは結と一緒にテーブルを拭き終えるところだった。
「さくらさん、お疲れ様です!
初めてなのに上手でしたよ!」
結が明るい笑顔でさくらをねぎらった。
「いえいえ、失敗ばかりで迷惑かけてごめんなさい。
結ちゃん、色々教えてくれてありがとう」
「いいえ、分からないことあれば、いつでも聞いて下さい」
「さくらさん、初めてのことばかりで大変だったと思うけど、今日は本当に助かったわ、ありがとう」
美里ママもバイト初体験のさくらに感謝の言葉を述べた。
厨房の片付けを終えたマスターも、ホールへ出てきて礼を述べた。
「さくらさん、突然無理なお願いをして申し訳ないけど、1ヶ月間、よろしく頼みます」
帰り際、美里ママがマスター特製の賄いを、さくらと祐希に渡した。
「今日は頑張ってくれたから、お礼の意味を込めて賄いもスペシャルよ」
「ありがとうございます。
帰ってから食べるのが今から楽しみです」
着替えを終えた祐希とさくらは、店主一家に挨拶して通用口から外へ出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カフェ・バレンシアのドアを開けると、ひんやりとした夜風が、頬に心地よかった。
2人分の賄いの紙袋を提げ、祐希とさくらは並んで星ヶ丘駅へと歩いた。
「さくらさんが、カフェの制服を着て現れた時は本当にびっくりしたよ」
「何も言わずいなくなって、ごめんなさい」
「ううん、あれは美里ママの確信犯的犯行だと思うんだ」
「え、そうなんですか?」
「そうさ、きっとさくらさんの制服姿を、いきなり僕に見せて、その反応を楽しもうっていう魂胆だよ」
「それは、ちょっと意地悪ですね」
「美里ママって、一見真面目そうに見えるけど、根っからのサプライズ好きで、その反応を見て楽しむタイプだから」
「分かりました。
今度から気をつけます」
「それにしても可愛かったなぁ…」
祐希は遠い目をして何かを思い出していた。
「え、何がですか?」
祐希は自分の心の声がつい漏れてしまったことに気づいた。
しかし、今さらもう誤魔化せない。
「あ、いや、さくらさんの制服姿、よく似合ってたなぁと思ってね」
「あ、ありがとうございます」
(祐希さん、今、可愛いって言ったよね…)
さくらは予期せぬ祐希の褒め言葉に、頬を染め下を向いた。
まもなく駅へ到着した2人は、ちょうどホームに入ってきた電車に乗り、空いている席に座った。
それから15分ほどで柏琳台駅へ到着した。
時刻は夜8時40分を少し回ったところだ。
駅前の繁華街を抜け、シェアハウスへと続く少し暗い路地に入る。
街灯がぽつぽつと道を照らす中、2人の足音だけが静かに響いた。
「さくらさん、今日は疲れたでしょう」
祐希が隣を歩くさくらに、ねぎらいの言葉をかけた。
「はい…足はパンパンですし、想像以上に疲れました。
私、ホール係のお仕事、ちゃんとできてましたか?」
「中から見てたけど、ちゃんと仕事できてたよ」
祐希の言葉に、さくらも安堵した。
「あ、ありがとうございます…。
でも、祐希さんの仕事ぶりも、早くて正確でかっこよかったです」
今度は祐希が照れる番だった。
「そ、そうかな? まあ、あれは仕事モードだから…」
そこで言葉が途切れた。
昼間の喧騒が嘘のような静かな夜道。
初めて一緒に働いたという共有体験と、少しだけ踏み込んだお互いへの褒め言葉が、2人の間の雰囲気を甘酸っぱいものに変えていた。
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