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第19話 さくらの初体験(1)

 その日の夕方、さくらはカフェ・バレンシアのカウンター席に座り、いつものように本を読んでいた。

 祐希は忙しそうにオーダーを捌いており、さくらは目の端に映る祐希を時々目で追った。


 月曜日の夕方4時を過ぎると、店内は混み始めた。

 すると美里ママが切羽詰まった様子で、さくらのところへやってきた。

「さくらさん、折り入ってお話があるんだけど、少しいいかしら」

 美里ママは、アラフォーには見えないキュートな美魔女で、この店のパティシエ兼店長だ。


「え?何でしょう?」


「ここでは話しづらいので、申し訳ないけど、中へ来てもらえるかしら?」

 美里ママは、さくらを厨房へ手招きした。


 さくらは、何の話だろうと思いながら、チラッと祐希の方を見た。

 しかし、彼はドリンク作りに集中し、こちらに気づいていない様子だった。


 厨房に入ると、マスターの七ツ森慎太郎が忙しそうに料理を作っていた。

 さくらが厨房へ入って来たのに気づくと、マスターはニコっとイケオジスマイルを見せた。

 どうやら話の内容は、マスターも承知していることらしい。


 さくらは、初めて入る厨房内を興味深げに眺めていると、美里ママが話し始めた。

「単刀直入に言うわ。

 さくらさん、あなた、この店でバイトする気はない?」


「えっ、私が…ですか?」


「そうよ、祐希くんの仕事が終わるの毎日待ってるでしょ。

 もし、その間、お店を手伝ってもらえると、とてもありがたいんだけど…」


「………」

 さくらは美里ママからの突然の申し出に戸惑い、言葉が出てこなかった。


「実は、平日の夕方からシフトに入ってくれてるパートさんがいるんだけど、その人、子供が怪我で入院するから1ヶ月ほど休ませて欲しいって連絡があったのよ…」


 美里ママの話によると、そのパートさんは小学生の子供がいて、足を骨折して1ヶ月ほど入院しなければならないそうだ。

 まだ小さいので、付き添いや身の回りの世話をしなければならず、その間休ませて欲しいと連絡があったのだ。


「ね、お願い。1ヶ月だけ、アルバイトしてくれないかしら。

 こちらの都合だから、バイト代は奮発するわよ、それに賄いも付けるわ」


「そうなんですか……

 でも私、アルバイトしたことがないんです」


「えっ、そうなの」


「はい、父がアルバイトするの許可してくれなくて」


「なるほど……お父様、厳しい方なのね。

 ん~、困ったなぁ」

 美里ママは、さくらの家庭事情を聞いて、頭を抱えてしまった。


「無理を承知で、何とかお願いできないかしら?

 パートさんが復帰するまでの間でいいから、お願い…」

 美里ママは、両手を合わせ神頼みのポーズを取った。


 美里ママの困り果てた様子に、さくらは考え込んだ。

 バイトするなど、父には絶対反対されるだろう…

 しかし美里ママは本当に困っている様子だ…

 さくらは、考えに考えた末、一つの結論に至った。


 それは、このバイトが1ヶ月間の期間限定であり、金銭目的ではなく人助けなのだと。

 さくらは、自分にそう言い聞かせ、美里ママの申し出を受けることにした。

「分かりました、その方が戻られるまでの1ヶ月間、お手伝いさせていただきます」


「ありがとう、ありがとう、さくらさん…

 お願いしておいて、こんな事言うのもなんだけど、お父様は大丈夫なの?」


「大丈夫…ではないと思いますが、常時見張られているわけじゃないですし、1ヶ月なら多分…問題ないと思います」


「え、本当?助かるわぁ。

 ほら、最近夕方から、お店、ものすごく混むでしょ、だからどうしようかと思っていたの。

 さくらさん、本当にありがとう」

 美里ママはさくらの手を取り、何度も頭を下げた。


「でも私、接客とか初めてですけど、できるんでしょうか?」


「それは大丈夫、私が基礎からしっかり教えるから、任せて」


「はい、よろしくお願いします」


「それで勝手なお願いで申し訳ないけど、バイト、今日からお願いできないかしら」


「わ、分かりました。お任せください」


「それじゃ、この制服に着替えてもらえる。

 女子更衣室は厨房の奥よ」


 美里ママは、ハンガーにかかったカフェ・バレンシアの制服をさくらに渡した。

 それは、清潔感のある白い半袖のブラウスと、落ち着いたカフェモカ色の膝丈フレアスカートの組み合わせだった。

 ブラウスの小さな丸襟と、袖口に施されたオレンジ色の刺繍が、アクセントになっていた。

 エプロンは生成り色で、胸元には『Café Valencia』のロゴが刺繍されていた。


 着替えを終えたさくらが、更衣室から出てきた。

「ど、どうでしょうか……?」


「さくらちゃん、とてもよく似合ってるわ!」

 白いブラウスが彼女の清楚な雰囲気を引き立て、フレアスカートが動くたびに軽やかに揺れる。

 キュッと結ばれたエプロンのリボンが、彼女の細いウエストを強調していた。

 長い黒髪は、邪魔にならないようにハイポジションのポニーテールに結い上げられている。


「やっぱりスタイルが良いから、どんな制服でも完璧に着こなしちゃうわね!」

 美里ママは満足そうに頷きながら、さくらの制服姿を褒めた。


「それじゃあ、早速だけど接客の基本を教えるわね」

 美里ママは、ハンディターミナルを取り出した。


「これがオーダーを取るハンディターミナル。

 まず、お客様のテーブル番号を入力して…

 メニューを選んで、数量を入れるの、慣れれば簡単よ」

 美里ママの指の動きを、さくらは真剣な眼差しで追った。


「お客様が来店して席に着いたら、笑顔で『いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?』って聞いて。

 オーダーを受けたら、最後に復唱して確認すること。

『ご注文を繰り返します。カフェラテお一つと、本日のケーキセットでよろしいでしょうか?』って。

 これが一番大事よ」


 次に美里ママは、銀色の円形トレイを手渡した。

「これがトレンチ。

 料理やドリンクを運ぶ時に使うのよ。

 最初は空の状態で持ってみて。

 ポイントはね、手首じゃなくて肘から先全体で支える感じで持つと安定するのよ」

 さくらはトレンチを持ち、美里ママの言う通りに重心を意識してみた。


「メニューは、コーヒーや紅茶、ジュースみたいなドリンク類と、パスタやサンドイッチのフード類、あとはうち自慢のケーキやパフェね。

 細かいメニューは、そのうち覚えていけば大丈夫だから」


 美里ママは説明を終えると、さくらの肩をポンと叩いた。

「よし、基本はこれくらいかな。

 あとは実践で慣れてもらうしかないわね。

 ほら、よく言うでしょ。

 習うより慣れろって…

 失敗してもいいから、まずはやってみましょう。

 困ったら、いつでも私か祐希くんに聞いて」


「はい! 頑張ります!」

 さくらのアルバイト初体験が、今始まろうとしていた。

※創作活動の励みになりますので、作品が気に入ったら「ブックマーク」と「☆」をよろしくお願いします。

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