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第150話 バレンタインデート(2)

 ランチを心ゆくまで楽しんだ後、2人は腹ごなしを兼ねて、海沿いの遊歩道をゆっくりと歩いた。

 すぐ近くにある『ぷかりさん橋』から水上バス『シーバス』に乗り込み、隣の『赤レンガ倉庫』へと向かった。

 普段乗り慣れない船上からの横浜の景色に、さくらは少女のように目を輝かせた。

 だが、キャビンが波を切って大きく旋回した瞬間、不意の揺れに船体が大きく傾いた。


「あっ……!」


 バランスを崩したさくらの腰と肩を、祐希が咄嗟に抱き留める。


「大丈夫?」


「あ、ありがとうございます……っ」


 予期せぬ至近距離での密着。

 お互いの吐息がかかるほどの距離に、2人は自分たちの鼓動が重なるのを強く意識した。


 午後2時。赤レンガ倉庫に到着した2人は、歴史を感じさせる重厚な建物内へと足を踏み入れた。

 雑貨店でキーホルダーを眺めたり、冬の冷たい海風を避けて、温かなオレンジ色の照明が灯る館内を肩を並べて歩く。


 祐希がそっと手を差し出すと、さくらは嬉しそうに微笑み、その手を両手で包み込むように握り返した。指先までしっかりと絡ませる『恋人繋ぎ』のまま、2人は穏やかな時間を共有した。


 少し歩き疲れた2人は、海が見えるテラス沿いのカフェで休憩した。

 冬の午後の柔らかな光が差し込む店内で、温かいショコララテを注文した。

 さくらはカップを両手で包み、少し照れくさそうに祐希を見つめた。


「……祐希さんとこうしているのって、なんだか夢みたいです」


 はにかむ彼女の何気ない一言に、祐希の胸が熱くなる。

 晴れて『恋人』となった2人にとって、これが初めてのバレンタイン。

 ようやく掴み取った、初々しい確かな幸せがそこにはあった。

 

 午後5時。外に出ると、よこはまみらい地区のシンボルである大観覧車が、夜の帳に鮮やかな光の輪を描き始めていた。


「……祐希さん。最後に……あれに乗ってもいいですか?」


 さくらが少し上気した顔で、光り輝くゴンドラを指差した。

 人混みを避け、2人きりになれる場所を求めている——そんな彼女の密やかな決意を瞳の奥に感じ、祐希は優しく頷いた。


「うん、じゃあ行こうか」


 2人はゆっくりと上昇を始めたゴンドラに乗り込んだ。

 地上を離れるにつれ、窓の外には宝石を散りばめたような夜景が広がり、狭い密室に2人きりの沈黙が訪れた。

 ゆっくりと高度を上げるゴンドラの中で、窓の外を眺めていた祐希の脳裏に、ふと半年前の記憶が重なった。

 去年の7月。あの日、同じこの場所で隣に座っていたのは明日奈だった。

 七色の光に照らされた彼女は、夜景の中に一際輝くラグジュアリーな高層ホテルを指差し、「お部屋、取ってあるから」と微笑んだのだ 。

 その後のディナー、そしてスイートルームで本能の赴くままに互いを貪り合った、熱く濃密な一夜。

 明日奈の甘い喘ぎ声と情欲の記憶が、今も指先に生々しく残っている。


 だが、今目の前で「すごい……星の中にいるみたい」と瞳を輝かせているのは、純粋可憐なさくらだ。


 背徳的な記憶と、目の前の純粋な時間が祐希の頭の中で交錯した。

 観覧車から夜景が奇麗に見え始めた頃、さくらはバッグから可愛くラッピングされた小箱を取り出した。


「あの……祐希さん。

 これ、私の手作りチョコレートです。

 美里ママに教えてもらいながら、一生懸命作りました。

 ……気に入ってもらえると嬉しいです」


 言葉にできないほどの愛おしさが、祐希の胸をいっぱいに満たした。


「さくら……ありがとう。すごく嬉しいよ」


 祐希はチョコを受け取ると、真っ直ぐに自分を見つめるさくらの瞳を見つめ返した。

 しばらく見つめ合っていると、不意にさくらが目を閉じた。

 祐希はさくらの肩を抱き寄せ、ゆっくりと顔を近づけた。

 ゴンドラが頂上を超え、夜景を背景に2人の唇は重なり合った。

 さくらの柔らかな唇の感触と甘い香りが祐希の理性を少しずつ侵食していく。


 祐希の腕が彼女の背中を引き寄せると、コート越しに伝わるしなやかな体の曲線が、祐希の本能を呼び覚ました。 

 祐希の右手が、吸い寄せられるように彼女の胸元の方へと滑り上がろうとした――その時。

 脳裏に、さくらの父・賢吾の顔と『清い交際』という絶対条件が強烈にフラッシュバックした 。


(だ、駄目だ! これ以上は……!)


 祐希は奥歯を噛み締め、衝動を押さえつけると、そっと唇を離した。

 そして、さくらの華奢な肩を力強く抱きしめた。


「……祐希さん?」


 突然の、けれど情熱的な抱擁に、さくらが不思議そうに彼の名前を呼ぶ。

 祐希は、腕の中から伝わってくる彼女の小さな鼓動を愛おしむように、さらに力を込めた。


「ごめん。……さくらのことが、本当に好きだ。

 ……今は、こうして君の温もりを感じていたい」


 その真っ直ぐな言葉に、さくらは顔を赤くしながらも、嬉しそうに目を細めた。

 祐希の胸から伝わる激しい鼓動が、自分への愛しさの証であると感じ、彼女もまた安心しきったようにその胸に身を委ねた。


 2人は夜景の余韻を楽しみながら、午後8時過ぎにはシェアハウスへと帰宅した。

 祐希とさくらにとって、一生忘れられないバレンタインデートとなった。

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