第144話 未来の願い
1月17日(土曜日)。
午前10時。 祐希は、よこはまみらい地区にある雑居ビルの一室を訪れた。
あらかじめ専用アプリでネット決済を済ませ、暗証番号で電子錠を解錠して入室する。
そこは、マンションを模した『レンタルルーム』と呼ばれる貸しスペースだ。
祐希は、コンビニで調達した温かいカフェラテを2つローテーブルに置いた。
準備を終えてまもなく、ドアチャイムが鳴った。
祐希がロックを解除すると、ゆっくりとドアが開いた。
「お待たせしました……」
トレードマークであるホワイトアッシュのツインテールを揺らしながら、未来が入って来た。
今日の彼女の服装は、トップスがレモンイエローのオフショルダーニット、ボトムスは白のミニスカートと言うコーデだ。
「……未来、こんな場所に呼び出してごめんな……」
「ううん。私も祐希に話したいことがあったから、ちょうど良かったわ……」
そう答えた未来に、いつもの笑顔はなかった。
少し疲れた顔で室内を見渡すと感想を述べた。
「……へぇ、レンタルルームってこんな感じなんだね」
「うん、僕も初めてだけど、普通のマンションの一室って感じだね。
あっ……これ、コンビニで買ってきたカフェラテ……まだ温かいよ」
「ありがとう、ちょうど喉渇いてたんだ……」
未来は、カフェラテを美味しそうに飲むと、ようやく笑顔になった。
「ところで、今日はなんの話?」
「うん……多分もう知ってると思うけど……
僕、来月から正式にさくらと交際することになったんだ。
だから、もう未来の気持ちには応えられないって、伝えなくちゃって思ってね……」
「やっぱり、その話か……
そうじゃないかなぁって思ってたんだけど、改めて言われると……やっぱりショックだな……」
「未来……」
「私、さくらちゃんには到底敵わないと思ってるし、沙織ちゃんみたいになりふり構わず積極的にもなれないから……
中途半端だって自分でも分かってるんだけど、こういう性格だからしょうがないよね……」
「…………」
祐希は何も言えなかった。
苦渋の表情を浮かべる祐希を見つめながら、重苦しい沈黙を破るように未来は話し始めた。
「……でもね……私、『中途半端な幼馴染』は、もう卒業することにしたんだ……
実はね……うちのバンド、去年9月の『横浜ロックフェス』に出たんだよね。
祐希が重傷で入院してる時期だったから、黙ってたんだけど……
そこで私たちのパフォーマンスが認められて、インディーズ・レーベルからデビューすることになったの。
だから、今はライブハウス周ったり、曲作りしたり準備を進めてる段階なの……」
「本当か!? すごいじゃないか!
未来、おめでとう」
祐希は、未来の夢が実現に一歩近づいたことを素直に喜んだ。
「ありがと……
……だからね、私、バンドに専念することにしたの……
……祐希の彼女になりたかったけど……この際、きっぱり諦めるよ。
ほら、二兎追う者は、一兎も得ずって諺あるでしょ。
両方の夢追いかけられるほど、私、器用じゃないから……決めたんだ……」
努めて明るく振る舞う未来だったが、その瞳には涙が浮かんでいた。
「ずっと祐希の彼女になりたかった……
……でも……私の初恋は、もうこれでおしまい」
未来は、必死に涙を堪えながら笑顔を作った。
「祐希……さくらちゃんとお幸せにね。
私もいつか……ライブ会場で、最高に輝いてる姿、見せるから」
「未来……」
「……それともうひとつ……管理人さんの祐希にお知らせがあります」
未来は顔を上げ、真っ直ぐに彼の目を見た。
「私と琴葉は、シェアハウスを出ることにしました」
「それは……退去するっていうことか?」
「そう……これから横浜で活動することが多くなるから、近くに住むつもりなの……
それに……一つ屋根の下で、祐希とさくらちゃんの幸せそうな顔を見てるのは、さすがに辛すぎるからね……」
その言葉に、祐希は胸を締め付けられるような思いがした。
自分の選択が結果的に未来の居場所を奪ってしまったのだから。
「……そっか。寂しくなるな……」
「しょうがないよ……
でもその代わり……私たちのデビューライブは、絶対に見に来てね」
「ああ、必ず見に行くよ」
無理して笑顔を作る未来に、祐希も思わず微笑んだ。
これで、過去の因縁は清算された……その時はそう思った。
しかし……未来は何かを決意するように拳を握りしめ、上目遣いで祐希を見つめた。
「祐希……最後にひとつだけ、お願いがあるの……」
「お願い……?」
「今から……私を抱いてほしいの……」
その言葉に息を呑んだ彼の脳裏には、すぐにさくらの顔が浮かんだ。
未来と一線を画す目的で訪れたこの部屋で、さくらを裏切るような真似はできない。
かと言って、目の前にいる幼馴染みの悲痛な願いを、無下に断ることもできない。
震える唇で訴えるその瞳には、自分の心に一生消えない思い出を残したいという決意が滲んでいた。
この部屋の利用時間は、あと1時間以上残っている。
レンタルルームには当然ベッドなどあるわけもないが、3人掛けのソファがあれば、未来の願いを叶えることは物理的に十分に可能だ。
祐希は悩みに悩んだ。
これで最後という幼馴染みの願いをここで叶えるべきか、さくらの父が示した「交際3か条」の戒めを守るべきか……
でもここで一線を越えてしまったら、今まで流されてきた自分と同じになるではないか……
過去の自分と決別するために、彼は震える心を鋼の意志で封じ込めた。
「未来……ごめん、君の願いを聞くことはできない」
「え、どうして? お願い……これで最後だから……」
「本当にごめん……さくらを裏切ることはできない!」
「……私が頭を下げてお願いしてるのよ……それを断るなんて……
……祐希の意気地なし!」
「未来に何と言われてもいい。僕の心は変わらないよ」
「し、信じられない……この私に恥をかかせるなんて……
私、こう見えてもファンクラブまである『伝説のトップメイドル』なんだよ……
どうして? 最後の一度くらい、私のわがままを聞いてくれてもいいでしょ!」
未来の声は震え、絞り出すような響きに変わっていた。
「ごめん、本当にごめん、さくらを裏切る真似はできないんだ……」
「嘘……なんで……?
初めての時は、あんなに優しくしてくれたのに……
……私に恥をかかせて、それで満足?」
溢れそうになる涙をこらえながら、未来はぐっと奥歯を噛み締めた。
その小さな肩は、やり場のない怒りで激しく震えていた。
「もういい…… 祐希なんて大きらい!」
捨て台詞を残し、未来は部屋を飛び出していった。
後にはドアの閉まる重い音だけが残った。
電子錠がロックされる無機質な音が、2人の決別を告げるように響く。
1人残された密室には、カフェラテの香りと、未来の微かな甘い匂いが漂っていた。
人目を避けるために選んだこの密室が、未来に「最後の逢瀬」を期待させる残酷な結末になってしまうとは……
自分勝手な配慮が、皮肉にも彼女の心を踏みにじることになった事実に、祐希は自分の無神経さを呪った。
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