第140話 祐希の決意
居酒屋「百花繚乱」での面談を終え、個室を出る頃には、祐希と賢吾の間を隔てていた重苦しい空気はすっかり消え去っていた。
張り詰めた緊張の糸が切れたせいか、賢吾の足取りは少し軽やかに見えた。
「祐希くん、せっかくだからもう一軒行こうじゃないか。
君が普段、どんな店で飲んでいるのか見ておきたいからな」
「えっ、僕が行く店ですか……?」
「ああ。どこか案内してくれ」
義理の父親になるかもしれない人を案内する店……
健全な店は、シェアハウスの歓迎会などで利用する今の居酒屋くらいだ。
祐希は少し悩んだ末、柏琳台駅前の路地裏にあるネオン街へと賢吾を案内した。
「スナック……『茜』か」
怪しげな看板を見上げ、賢吾は眉をひそめた。
「はい。シェアハウスの住人がバイトしている店で、ママもすごくいい人なんです」
「ほう、そうか。では入ってみよう」
カラン、とドアを開けて店内に入ると、カウンターの奥から野太い声が響いた。
「いらっしゃ~い。あら、祐希くんじゃない! 今日はお連れ様と一緒なのね」
満面の笑みで出迎えたのは、がっしりとした太マッチョな体格に、派手なメイクのニューハーフ――茜ママだった。
その強烈なビジュアルに、賢吾は一瞬、言葉を失った。
「茜ママ、こんばんは。
こちらは……僕が住んでいるシェアハウスの住人、早乙女さくらさんのお父様です。
実は今日、彼女との交際の許可をいただいたところなんです」
「あら、そうなの……祐希くん、おめでとう!
初めまして、ママの茜ですぅ♡
え~っと、お名前は?」
「は、初めまして……早乙女賢吾です」
茜ママは太い腕で賢吾の手をガシッと握り、ウィンクを飛ばした。
賢吾はタジタジになりながらも、生真面目にお辞儀をした。
「まあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、さあ座って座って!」
カウンター席に座ると、賢吾は水割りを、祐希はハイボールを注文した。
茜ママが見事な手さばきで水割りとハイボールを作ると、里緒奈が2人の前にグラスを置いた。
「はい、水割りとハイボールお待たせしました」
里緒奈は賢吾に向き直りニッコリと微笑んだ。
「さくらさんのお父様ですね……初めまして、早見里緒奈です。
さくらさんとは同じシェアハウスの同居人で、夜はここでバイトしてるんです」
「……早乙女です。娘が、いつもお世話になっております」
賢吾は、娘の同居人が夜の店で働いていることに驚きつつも、生真面目に応じた。
最初こそ、スナックという独特の雰囲気と茜ママの存在感に戸惑い、所在なさげにグラスを傾けていた賢吾だったが、アルコールが進むにつれて状況は一変した。
「へえ、茜ママさんは元刑事だったんですか!」
「そうなのよぉ。暴力団対策課で、毎日毎日いかつい顔ばかり見てたわ……」
元マル暴刑事という茜ママの異色の経歴に、賢吾はすっかり興味を惹かれたようだった。
教育現場で生徒を厳しく指導する熱血教師と、修羅場を潜り抜けてきた元刑事。
住む世界は全く違うが、根底にある「昭和の男気」のような部分で、2人の波長は奇跡的に噛み合った。
「いやぁ、ママさんの自由な生き方、実に羨ましい!」
「やだぁ、先生ったら褒め上手なんだからぁ♡ ほら、もう一杯飲んで!」
気がつけば、厳格なはずの賢吾が、茜ママとカラオケで昭和の演歌を熱唱していた。
そのギャップに、祐希は呆気にとられながらも、心の底から安堵の息を漏らした。
(まさか、あの厳格なお父さんが茜ママと意気投合するなんて……)
「……ねえ祐希、それで結果はどうだったの?」
里緒奈が、祐希の前に立ち、小声で囁いた。
「……はい。さくらさんとの交際、認めてもらえました」
「ふーん、そうなんだ。
……良かったじゃない、おめでとう。
これで堂々と、さくらちゃんを彼女って呼べるね……」
里緒奈は、祐希の肩をポンポンと叩いて仕事に戻っていったが、その後ろ姿が何故か寂しそうだったのは、気のせいだろうか。
時刻は10時を回ろうとしていた。
上機嫌で酒を酌み交わす2人を横目に、祐希はポケットからスマホを取り出し、チャットアプリ『LINK』を開いた。
宛先は、さくらだ。
Yuki:『面談終わったよ。お父さんに、交際を認めてもらえたよ』
送信ボタンを押すと、すぐに「既読」がつき、さくらからメッセージが返ってきた。
Sakura:『本当ですか……!? 嬉しい……! 祐希さん、ありがとうございます!』
Yuki:『うん、緊張したけど、何とか乗り切ったよ』
Sakura:『でも……父から何か、条件を出されたりしませんでしたか?』
さくらの鋭い指摘に、祐希は苦笑した。
Yuki:『さすがは娘だね。お父さんから『交際3か条』を守るように言われたよ』
Sakura:『交際3か条……?』
Yuki:『一つ、2月からの半年間はお試し期間とすること。二つ、節度ある清い交際をすること。三つ、さくらさんを絶対に裏切らないこと。……この3つだよ』
Sakura:『え……そんな条件つけたんですか……?』
Yuki:『うん、厳しい条件だけど、守るしかないよね……』
Sakura:『娘を全然信用してないんですよ、あの人は……』
Yuki:『うん、その辺の話は帰ったら、詳しく話すね』
Sakura:『わかりました。ところで父は、何かご迷惑掛けてませんか?』
Yuki:『大丈夫! 今、茜ママとカラオケ熱唱しているから……なんかとても楽しそうだよ』
Sakura:『そうなんですか、祐希さん、くれぐれも父をよろしくお願いしますね』
画面の向こうで、さくらの呆れた顔が目に浮かぶようだった。
祐希は自然と口元を緩め、スマホを胸ポケットにしまった。
2月1日から、正式にさくらと交際できる。
だが、そのためには、さくらの父から言われた条件をクリアしなければならない。
(1月いっぱいで……女性関係をキッパリ清算する)
期限まで、あと3週間。
自分に好意を寄せてくれている、幼馴染みの未来。
自分を運命の人と慕い、隙あらば誘惑してくる後輩の沙織。
そして、戸籍上兄妹でありながら一線を越えてしまった、従兄妹の月。
彼女たち全員と向き合い、明確に「ノー」を突きつけなければならない。
(……心を鬼にしてでも、やり切るしかない。さくらと自分の未来のために)
スナック茜の賑やかな喧騒の中で、祐希は静かに決意を固めていた。
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