第139話 交際の三条件
「ひとつの懸念……ですか……?」
祐希が聞き返すと、賢吾は静かに頷き、テーブルの調査報告書に目をやった。
「君が命がけで娘を守ってくれた勇敢な男で、将来有望な好青年であることは十分に理解している。
あんな物騒な事件から、さくらを守ってくれたのだ……さくらが君に惚れるのも、無理はなかろう」
賢吾はそこで言葉を区切り、鋭い視線を祐希に向けた。
「だが、君がそれほど魅力的な男であるとすれば、裏を返せば、他の女性からも言い寄られる可能性はあるということだ。
……実際、この調査報告書には、君の周りにいる複数の女性――幼馴染みや後輩と親密な関係を疑う記載があった」
「……ッ」
図星を突かれ、祐希は思わず息を呑んだ。
決定的な証拠こそないものの、調査は祐希の複雑な女性関係に迫っていた。
「私はな、祐希くん。
……さくらの悲しむ顔だけは、見たくないんだ」
その声には、娘の幸せを願う父親としての切実な想いが込められていた。
賢吾は深く息を吐き出すと、少し表情を和らげた。
「私も鬼じゃない。若い君に、過去の過ちを一つ残らず穿り出そうという気はない。
だから……もし万が一、今現在、清算していない女性関係があるのなら、1月いっぱいで綺麗サッパリ清算してくれ」
「え……」
「この条件を飲むなら……君の真摯な人柄を信じ、2月1日から、さくらとの交際を正式に許可しよう」
その言葉の意味を理解した瞬間、祐希の胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
「本当ですか……! ありがとうございます!」
祐希は勢いよく頭を下げた。
長かった。あの夏の終わりに海辺で想いを伝えてから、ずっと待ち望んでいた言葉だった。
「待ちなさい。喜ぶのはまだ早い」
賢吾は祐希を手で制し、再び厳しい表情に戻った。
「交際を認めるにあたって、君には守ってもらわなければならない『3つの条件』がある。
これが守れないなら、交際の話は白紙だ」
「3つの条件……ですか?
それは、どんな条件でしょうか?」
祐希が姿勢を正すと、賢吾は指を折りながら説明した。
「一つ。2月からの半年間は『お試し期間』とする。
この期間に君の人間性を改めて見極めさせてもらう」
「はい、承知しました」
「二つ。学生の本分は勉学であることを忘れず、節度ある『清い交際』をすること。……意味は分かるな?」
「……はい。そのお言葉通り、節度をもった行動を徹底します」
賢吾が突きつけた『清い交際』という、反論の余地がないほどの正論に、祐希は内心で窮した。
それは、さくらとの性的な接触を一切禁ずるに等しい宣告だからだ。
「そして三つ目。……さくらを裏切るような行為を、絶対にしないこと」
賢吾の眼光が、この日一番の鋭さを帯びた。
「もし、他の女性と関係を持ったり、娘を泣かせるような真似をした場合は……
その時点で即、交際は解消してもらう。
以上が、私からの『交際3か条』だ。守れるか?」
それは、さくらを想う父親からの、最大限の譲歩であり、絶対の掟だった。
祐希は賢吾の目から決して視線を逸らさず、力強く頷いた。
「はい、その3か条を肝に銘じます。
さくらさんを、悲しませるようなことは致しません」
その真っ直ぐな目を見た賢吾は、口元を緩め、大きく息を吐き出した。
肩の力が抜け、それまで個室を満たしていた張り詰めた空気が、嘘のように霧散していく。
「……よろしい。男と男の約束だ」
「はい。ありがとうございます、お父さん」
「……まだお父さんと呼ぶのは、少々早いがな……」
賢吾は苦笑しながら、テーブルの上の湯呑みを手に取った。
「さて、堅苦しい話はここまでだ。
腹が減ったな……祐希くん、君も何か好きなものを頼みなさい」
「はい。ありがとうございます」
最大の難関を乗り越え、祐希は全身の力が抜けていくのを感じていた。
だが、安堵と同時に、新たなプレッシャーが彼の肩にのしかかる。
(2月1日までに……女性関係を清算しなければ……)
それはつまり、自分に想いを寄せてくれている未来、沙織、そして月の3人に対し、明確に拒絶を突きつけ、関係にけじめをつけなければならないということだ。
これまでの経緯から見ても、それが容易でないことは、火を見るより明らかだった。
さくらとの幸せな未来を手に入れるためには、決して避けては通れない、重く苦しい試練だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
賢吾が注文した刺し身の盛り合わせと、大瓶のビールが運ばれてきた。
先ほどまでの緊張感は影を潜め、賢吾は慣れた手つきで、祐希のグラスに黄金色の液体を注いだ。
「まあ、飲みなさい。今日は君も神経をすり減らしたことだろう」
「……恐縮です」
祐希は慎重に返杯し、賢吾と静かにグラスを合わせた。
喉を鳴らしてビールを飲み干すと、重苦しい緊張が和らいだように感じた。
「この店の料理は、なかなかレベルが高いようだな。どの刺身も新鮮だ」
賢吾はマグロを口に運び、満足そうに笑った。
「ところで祐希くん。今回はどんな部屋に泊まったんだね?
私も温泉好きなものでね……興味があるんだよ」
「はい、今回、明日奈さんが予約した部屋は最上階の特別室でした。
20畳のリビング・ダイニングにツインベッドの洋室と12畳の和室、それにウッドデッキのテラスに温泉露天風呂が付いていました」
「ほう、それは豪勢な部屋だね。
正月料金ともなれば、1泊で私の給料が飛ぶような額だろう」
賢吾が箸を置き、何気ない様子で視線を投げた。
「年頃の男女が4日も同じ部屋で過ごしたわけだが、夜はどのような部屋割りだったんだね?」
(――来た。これはトラップだ)
祐希は努めて冷静に言葉を返した。
「はい、あの部屋は特別室なので、寝室は2部屋あるんです。
明日奈さんと倉科さんはツインベッドがある洋室を使い、僕は12畳の和室で寝ました。
間は襖で仕切られていましたから、寝室は完全に分離されていました」
「なるほど、寝室は分かれていたのか……」
賢吾は何度も頷き、今度は焼き鳥を手に取った。
「部屋に露天風呂もあったそうだが、義姉さんに背中を流してもらったりしたのかね?」
茶目っ気のある笑みを浮かべる賢吾であったが、その目は笑っていなかった。
(これもトラップだ……)
「まさか……明日奈さんはそんなことをする人ではありません。
ああ見えても礼節には厳しい人ですから……
露天風呂には電動のロールスクリーンが完備されていました。
入浴中はリビングから見えないよう遮蔽されていたので、完全にプライバシーは保たれていました」
「……なるほど。最近の設備はよくできているな」
賢吾は再びビールを注ぎ足した。
淀みのない回答に賢吾は納得した。
賢吾は祐希の視線を見ていたが、彼は鉄の自制心で明日奈との秘密を封じ込めた。
「ハハハ! 私も心配しすぎなようだ。
祐希くん、君ならさくらを預けても安心かもしれんな……」
賢吾が豪快に笑うと、個室の空気がようやく緩んだ気がした。
「……ありがとうございます。お父さん」
「……だから、まだ早いと言っているだろう。ほら、出汁巻き玉子が来たぞ、祐希くん食べなさい」
苦笑する賢吾に、祐希はやや安堵し、熱々の卵焼きに箸を伸ばした。
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