第137話 祐希 vs 頑固親父
1月10日(土曜日)午後5時55分。
祐希は、柏琳台駅前にある居酒屋『百花繚乱』の暖簾をくぐった。
ここは予約必須の大人気居酒屋で、シェアハウスの住人たち御用達の店でもある。
その店の一番奥の個室の前で、祐希は身だしなみを整えた。
紺色のスーツにロイヤルブルーのネクタイ。
普段の祐希には縁遠い服装だが、明日奈の「必ず正装して行くのよ」という強い勧めに従い袖を通したのだ。
祐希は、鏡に映る自分の姿を厳しくチェックし、ネクタイの結び目や襟元に乱れがないことを確かめると、「よし」と短くつぶやき、自分に気合を入れ直した。
「篠宮です、失礼します」
祐希がふすま越しに声をかけると、中から低い応諾の声が聞こえた。
意を決し、ふすまを開けると、そこには腕組みして待ち構える早乙女賢吾の姿があった。
スーツ姿の彼は、座っているだけで空気が張り詰めるような、重々しい威厳を放っている。
「早乙女さん、お待たせ致しました」
「いや、私が早く着いただけだ。
祐希くん、そこに座りなさい」
促されるまま、祐希は賢吾の対面の席に腰を下ろした。
店員が持ってきた温かいお茶がテーブルに置かれ、ふすまが閉められると、個室の中には重苦しい沈黙が支配した。
「……祐希くん」
先に沈黙を破ったのは、賢吾の方だった。
彼は姿勢を正すと、祐希に向かって深々と頭を下げた。
「君の入院中にも言ったが、改めて礼を言わせてほしい。
……さくらを命がけで守ってくれて、本当にありがとう。
君は、私たち家族にとって恩人だ。君の勇敢な行動に、心から感謝している」
「頭を上げてください。
住人を守るのは管理人の務めですし、僕は、当然のことをしたまでです。
さくらさんが無事で、本当によかったと思っています」
祐希がそう答えると、賢吾はゆっくりと顔を上げた。
その目には、娘を助けてくれたことへの深い感謝の色が滲んでいた。
だが、次の瞬間――その瞳から温もりが消え、一人の父親としての鋭い眼光に変わっていた。
「君が娘の命の恩人であること……
そして、将来有望な好青年であることは、十分に承知している。
さくらが君に惹かれるのも、納得できる」
賢吾の声のトーンが、一段低くなった。
「だがな、祐希くん。君が命の恩人であることと、大事な一人娘の『交際相手』として認めるかどうか……それは、まったく別の問題だ」
「……はい。分かっています」
祐希は居住まいを正し、彼の言葉を受け止めた。
賢吾は小さくうなずくと、ビジネスバッグから、角2サイズの分厚い封筒を取り出し、ドンッとテーブルの上に置いた。
「命の恩人に対してこんな真似をするのは、本当にすまないと思ったのだが……
君がさくらを泣かせない男かどうか、父親として見極める必要があるんだ。
……悪いが、君の『女性関係』について、専門の調査機関に依頼して調べさせてもらった」
「え……?」
祐希は自分の耳を疑った。
専門の調査機関? つまり、探偵を雇って身辺調査をしたということか?
いくら娘のことが心配だからといって、そこまでするのか……
祐希はその狂気じみた過保護さに言葉を失い、呆れるのを通り越し、背筋が凍るような戦慄を覚えた。
「君が、私のしたことに呆れているのも理解できる……
普通は、ここまでしないだろうからな。
だが、その封筒を開けて中の書類を見てみなさい」
賢吾に言われるがまま、祐希は封筒の封を切り、中身を取り出した。
出てきたのは、『身上調査報告書』と印字された、50ページにも及ぶ分厚い書類だった。
ページをめくると、祐希は全身から血の気が引いていくのを感じた。
そこには、札幌の実家の父母、そして妹の月の名前と年齢、勤務先や学校名など、詳細な個人情報が記載されていた。
それだけではない。
シェアハウス「ヴィーナス・ラウンジ」の住人全員の氏名、年齢、出身地、大学名、勤務先。
さらには祐希との関係性まで細かく分析されている。
バイト先であるカフェ・バレンシアの七ツ森家の3名と、女性スタッフの情報。
大学での交友関係――悪友のコジケンのことまで、洗いざらい調べ上げられていた。
(……マジかよ。プロの探偵って、ここまで調べるのか……)
さらにページを進めると、未来、沙織、そしてブラコンの妹である月に関する個別調査書まで添付されていた。
そこには、「親密な関係が疑われる」と記載されているが、肉体関係などの事実を断言する決定的な証拠は載っていなかった。
祐希は内心でホッと胸を撫で下ろし、最後のページをめくった。
だが、そこにクリップで留められた数枚の写真を見た瞬間――祐希の心臓は、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
「……ッ」
その写真に写っていたのは、12月30日に河口湖の高級温泉旅館のエントランスに、荷物を持って入っていく祐希の姿。
そしてその隣には、明日奈と満面の笑みを浮かべた沙織が、しっかりと写り込んでいた。
写真から目を離せない祐希に、賢吾の低く冷たい声が突き刺さった。
「さて、祐希くん。……説明してもらおうか。
年末年始、女性2人と君1人で、高級温泉旅館に3泊4日も宿泊して……一体、何をしていたのかね?」
予想だにしない証拠写真を突きつけられ、祐希は絶体絶命のピンチに立たされていた。
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