第130話 倉科沙織の過去
12月31日、大晦日
河口湖の朝は静謐な空気に包まれていた。
深夜まで及んだ情事の疲れから、3人が目を覚ましたのは午前8時半を過ぎた頃だった。
遅めの朝食をとるため、3人は館内のビュッフェレストランへ向かった。
窓際の席からは、白い雲と青空を背景に、雪化粧をした富士山がくっきりと見えた。
「ん~、このオムレツ最高に美味しい……
それに昨日はたくさん運動したから、お腹空きましたね」
「ホントね、最近運動不足だったから、ちょうどいい運動になったわ」
「ですよね……普段使わない筋肉使ったり、アクロバティックな動きしたり、セックスってけっこういい運動になりますね」
「沙織!」
「あ、先輩、ごめんなさい……」
沙織はペロリと舌を出し、祐希にウィンクした。
近くに他の客は居なかったが、爽やかな朝にふさわしくない話題に、祐希は冷や汗ものだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食後、腹ごなしを兼ねて館内を散策していると、卓球ルームを見つけた。
料金は無料と書いてあった。
「あ、卓球台ありますよ! みんなでやりましょう!」
沙織の提案で、急遽「大晦日卓球大会」が開催された。
浴衣の袖を帯に挟み、裸足での真剣勝負。
「魔球・沙織サーブ!」
「甘いわね! 明日奈スマッシュ!」
「うわっ、明日奈さん上手すぎ!」
中学時代に卓球部だったという沙織と、中学まで近所の卓球クラブに所属していた明日奈が本気モードになり、ラリーの応酬が続いた。
カコン、カコンという乾いた音と、3人の笑い声が部屋に響いた。
身体を動かし、汗を流す健全な時間は、昨夜の背徳感を忘れさせてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後2時。
明日奈は、予約していた館内のエステサロンへと向かった。
フェイシャル&ボディのフルコース、たっぷり120分間の至福タイムだ。
「それじゃあ、私はエステに行ってくるから、2人はゆっくりお茶でも飲んでてね」
明日奈が手を振り去っていくと、2人はテラスに出て、富士山を正面に望むチェアに腰掛けた。
テーブルには淹れたてのコーヒーと、売店で買ったお茶菓子。
「先輩……なんか、不思議ですね」
沙織がコーヒーカップを両手で包み込みながら呟いた。
「何が?」
「先輩とこうして、のんびり景色を眺めてるのが。
まるで新婚旅行みたいだなって……」
沙織は少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「先輩……私を連れてきてくれて、本当にありがとうございます」
「それは、スポンサーの明日奈に言う言葉だろ」
「でも、先輩も賛成してくれたから」
「あの話を聞いて、反対できるわけないだろう……
それにしても沙織の泣き顔、初めて見たな」
祐希は、沙織が自らの秘密を暴露した時の事を思い出していた。
「も~、先輩ったら、それ言わないで下さいよ……」
「沙織の生い立ちを聞いて驚いたけど……
あんな重い事情を抱えながら、僕らの前ではずっと明るく振る舞ってたんだな。
今まで一人で、弱音も吐かずに本当によく頑張ってきたな……沙織……偉いぞ」
祐希が頭を撫でると、沙織は猫のように目を細め、彼の手のひらに頬をすり寄せた。
「ありがとうございます。
私を助けてくれるのは、いつも先輩だけです」
「え、助けたって、ストーカー事件のこと?」
「違います……それよりもっと前ですよ」
「それより前?」
「ふふ、やっぱり忘れてますね、あの時のこと……」
沙織は思い出すように、自分の過去を語り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
京都、鴨川沿いに建つ高級マンションの一室で、一人の少女が息を潜めるようにして生きていた。
地元の有力政治家と元芸妓の間に生まれた妾の子。
それが、倉科沙織という少女が背負わされた十字架だった。
父からは認知もされず、最低限の生活費が母の口座に毎月送金されるだけ。
スキャンダルを恐れた父は、母が働きに出ることを禁じ、内職で糊口を凌ぐ日々が続いた。
母娘2人、爪に火をともすような貧しい生活の中で、沙織は幼心に誓った。
(いつか、絶対にこの生活から抜け出してやる……)
その執念だけが彼女を支えていた。
小学校高学年から新聞配達のアルバイトを始め、家計を助けた。
アルバイト代は、全額母に渡し、その中から小遣いをもらったが、ムダ遣いは一切せず、自分のために貯金した。
高校生になると奨学金制度を利用して大学へ進学できると知った。
沙織はアルバイトで進学に必要な学費を稼ぎ、眠い目をこすりながら毎日勉強机に向かった。
その甲斐あって、高校では常に学年10位以内の安定した成績を収めた。
そして、将来はコンピュータ関連企業に就職したいと、情報工学部のある星城大学を第一志望に決めた。
結局、高校3年間は勉強とアルバイトに明け暮れ、恋などする暇もなく終わった。
そして4月、念願叶ってついに星城大学への現役合格を勝ち取り、京都の実家を出た。
神奈川での新生活。
大学近くの6畳一間の安アパートで鏡を見つめながら、彼女は決意した。
「友達を作って、彼氏も作って……明るい大学生活を送るんだ」
沙織は、地味な丸縁眼鏡をコンタクトに変え、お下げ髪を解いて流行のロングストレートヘアにした。
メイクを覚え、生まれつきのスタイルの良さを活かして流行りの服で着飾ると、鏡の中には別人のような美少女が立っていた。
イメチェンして大学デビューを果たした沙織は、入学早々、男子学生の注目の的となった。
そして1週間も経たないある日、3年生の久保和也というイケメン男子から告白された。
「沙織ちゃんって、可愛いし、それにスタイルもいいから、俺のタイプなんだ……もし良かったら付き合わない?」
有名企業の社長令息で、爽やかな笑顔が眩しいイケメン。
彼となら、楽しい学生生活が送れそうだと思い、沙織は交際を承諾した。
交際が始まると、彼はすぐに沙織の身体を求めた。
「今どきの大学生なら、セックスなんて当たり前だろ?」
その偽りの言葉に騙され、沙織は初めてを彼に捧げた。
それからというもの、和也は毎日のように彼女の身体を求めラブホテルへ誘った。
沙織はそれを愛されている証だと信じ、求められるままに応じた。
交際から約1ヶ月が過ぎたある昼下がり。
学食で昼食を摂っていた沙織は、見知らぬ女子学生4人組に囲まれた。
「あなた、1年の倉科沙織さんでしょ。
大事な話があるから、私たちと一緒に来てもらえるかしら……」
連れて行かれたのは、人目につかない体育館裏だった。
リーダー格の女は、ミス星城と呼ばれる3年生の中野美咲だった。
「あなた、久保和也の彼女って、本当?」
「はい、和也さんと先月からお付き合いさせてもらってます」
「あんたねぇ、人の彼氏たぶらかしといて、いい気になってるんじゃないわよ、この泥棒猫が!」
乾いた音が響き、沙織は美咲に思い切りひっぱたかれた。
「な、何をするんですか……!」
「あんた、私の彼氏を、色仕掛けで寝取ったでしょ」
それは身に覚えのない言いがかりだった。
「違います! 私は和也さんから告白されて、真剣に交際してるんです!」
沙織が必死に弁明すると、美咲は嘲笑うように鼻を鳴らし、更に逆上した。
「はぁ? あんたみたいな貧乏臭い女と、有名企業の御曹司が付き合うわけないでしょ!
あんた、痛い目見なきゃ分からないみたいね」
美咲の合図で、取り巻きたちが一斉に襲いかかってきた。
殴られ、蹴られ、沙織は抵抗もできず、地面にうずくまることしかできなかった。
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