第127話 露天風呂付き特別室
3人が案内されたのは、最上階にある特別室「501号室」だった。
エントランスを抜けると、そこは12畳ほどの琉球畳の和室と、シモンズ製のベッドが並ぶモダンな洋室、それに続く20畳のリビング・ダイニングが広がっていた。
さらに、ウッドデッキのテラスには、源泉かけ流しの温泉露天風呂が白い湯気を上げている。
「うっわぁ……すっごい景色……!」
沙織が窓辺に駆け寄り、興奮気味に声を弾ませた。
目の前には、午後の日差しを浴びてキラキラと輝く河口湖と、その向こうに聳え立つ雄大な富士山が、まるで絵画のように広がっていた。
「それに、とっても広い……!
この部屋に、私たち3人だけで泊まるんですよね」
「そう、お正月はこの部屋で美味しい料理を食べて、のんびりと温泉三昧よ!
そのために私、この部屋の予約頑張ったんだから……」
高額ながら予約困難なこの部屋は、年末年始にはプラチナチケットと化していた。
「こんな素敵なお部屋で年末年始を過ごせるなんて、私、とても幸せです。
明日奈さん、肩揉みでも、足のマッサージでも、何でもしますから、言ってくださいね!」
「ふふ、そんなのいいから、今日は私の妹として楽しんでくれればいいのよ」
明日奈が微笑んでいると、部屋を案内してくれた仲居が、手際よく座卓に茶器を並べた。
「ウェルカムドリンクの、金箔入り柚子茶でございます。
どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
仲居が深々と一礼して部屋を退出すると、祐希は早速、湯呑みを手に取った。
「……生き返るなぁ。やっぱり冬は温かい飲み物が一番だね」
恐る恐る口をつけた沙織は、ほうっと幸せそうな吐息を漏らした。
「んん~っ……! 温まりますぅ……。
は~、こうしているのが夢のよう……」
芳醇な柚子の香りが、緊張で強張っていた沙織の心を優しく解きほぐしていく。
一息ついたところで、明日奈が提案した。
「沙織ちゃん、せっかくお部屋に露天風呂があるんですもの……
まずはここで、富士山を二人占めしながら温まりましょ」
「はい! 私、明日奈さんの背中流します!」
沙織にとって明日奈と祐希は「義理の姉弟」。
当然、男女別々に入浴することになる。
この部屋の風呂はテラスにあるので、ガラス戸1枚隔てて室内から丸見えだ。
「じゃあ、祐希くんに見られないように、目隠ししなきゃね」
明日奈がリモコンを操作すると、ガラス戸に設置された電動のロールスクリーンが静かに降りてきて、浴室と居室の視界を遮断した。
それを見た沙織が、ニヤリと笑って祐希を振り返る。
「先輩、覗かないでくださいよ?
もし覗いたら……罰金1億円ですからね!」
「覗かないって! 信用ないなぁ……」
「ふふ、冗談ですよ。
じゃあ明日奈さん、行きましょう!」
2人は洗面所へと消えていった。
やがて、テラスの方からシャワーの音と、楽しげな話し声が聞こえてくる。
姿こそ見えないが、すぐそこに裸の2人がいるという事実に、祐希は落ち着かないまま、年末特番を映すテレビ画面をぼんやりと眺めていた。
「ふぅ……いいお湯だったわねぇ」
「はいっ! お肌ツルツルです!」
お風呂から上がり、リビングに戻ってきた2人の姿を見て、祐希は思わず息を呑んだ。
温泉で火照った肌はほんのりと桜色に染まり、髪をアップにまとめられている。
明日奈の白く艶めかしいうなじと、少し後れ毛が掛かった沙織の華奢なうなじ。
浴衣の襟元から覗くその無防備なラインは、強烈な色気を放っていた。
「あら、祐希くん?
どうしたの、ボーッとして」
「……あ、いや……
ちょっと考えごとしてたので……」
祐希は動揺を悟られないよう、慌てて視線を逸らした。
「じゃあ、次は祐希くんの番よ」
「先輩、どうぞ……いいお湯でしたよ」
2人の甘い残り香が漂う中、祐希はテラスへと出た。
檜の湯船に浸かりながら、祐希は湖の向こうにそびえる富士山を見上げた。
夕暮れの空に、雄大なシルエットが浮かび上がっている。
冷たい風が火照った頬に心地よい。
湯船の中で手足を伸ばし、祐希はほうっと長い息を吐いた。
(……それにしても、さっきの浴衣姿は目の毒だったな)
脳裏に焼き付いた、2人の濡れた髪と白いうなじの残像を思い出し、祐希は苦笑いした。
「まあ、のんびり過ごす正月も悪くないか」
祐希は独り言をつぶやき、湯煙の向こうの赤富士を目に焼き付けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
祐希が風呂から上がると、いつの間にか豪華な夕食の準備が整えられていた。
座卓の中央には、見事な霜降りのA5ランク甲州牛が綺麗に皿に盛り付けられ、その横には新鮮な伊勢海老やアワビが踊る舟盛りが鎮座している。
「わあぁぁ……すごいお肉……それに大きな伊勢海老!」
それは、沙織の普段の生活からは、想像もできない光景なのだろう。
「さあ、座って。乾杯しましょう」
明日奈に促され、祐希と沙織が席に着く。
3人はビールとソフトドリンクが入ったグラスを掲げた。
「それじゃあ、改めて。
いろいろあったけど……3人で過ごす年末年始に、乾杯!」
「「乾杯!」」
グラスが触れ合う涼やかな音が、静かな部屋に響く。
明日奈は早速、鍋の出汁が沸いたのを確認すると、薄紅色の肉を一枚、しゃぶしゃぶと湯にくぐらせた。
程よく脂が落ち、ほんのりと桜色に変わった肉を、沙織の取り皿へと運ぶ。
「ほら、まずは沙織ちゃんから。熱いうちに食べて」
「えっ、そ、そんな! 私なんかが先にいただくわけには……
明日奈さんが先に……」
「いいのよ。今日は私がスポンサーなんだから、私の言うことを聞きなさい。
……ほら、あーん」
「あ、あーん……」
明日奈の有無を言わせぬ笑顔に、沙織はおずおずと口を開けた。
口に含んだ瞬間、沙織の目が大きく見開かれる。
「んんっ……!?」
噛む必要すらないほど柔らかい肉が、舌の上で溶けていく。
濃厚な旨味と脂の甘みが口いっぱいに広がり、沙織の脳内を幸福物質で満たした。
「おいひぃ……!
なんですかこれ、ほっぺた落ちそうですぅ……」
沙織は口元を押さえ、涙目になって感動している。
その表情は、年相応の少女が心からの喜びに浸っている顔だ。
「ふふ、よかった。
沙織ちゃん、遠慮しないでどんどん食べてね。
追加のお肉、もうすぐ来るから」
「は、はいっ! ありがとうございます……!
私、こんな美味しいお肉食べたの、生まれて初めてかも……」
「あらあら、大袈裟ねぇ」
明日奈は慈愛に満ちた目で沙織を見つめ、甲斐甲斐しく次の肉や野菜を取り分けてやる。
その様子は、まるで本当の姉妹のように見えた。
(……よかったな、沙織)
祐希はビールを傾けながら、その光景を温かい気持ちで眺めていた。
「先輩も、たくさんお肉食べてくださいね。
お刺身もプリップリですよ!
お酒、お注ぎしましょうか?」
すっかり元気を取り戻した沙織が、今度は祐希の皿に刺身を乗せ、お酌してくれた。
和やかな空気に包まれた部屋で、沙織は自らの「不幸な境遇」をすっかり忘れるほど満喫していた。




